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カンヌ最高賞の「愛、アムール」が公開
人間の内面に深く迫る映像
目を引く洗練された芸術性

 昨年のカンヌ映画祭パルム・ドール(最高賞)に輝いた、オーストリア人監督、ミヒャエル・ハネケの「愛、アムール」が公開された。人間の内面に迫る彼の姿勢は、今作でもより一層洗練され、その芸術性が一際目を引く。


人間の内面を描く

「愛、アムール」
エマニュエル・リヴァ)
(C)2012 Les Films du Losange - X Filme Creative Pool - Wega Film - France 3 Cin?ma - Ard Degeto - Bayerisher Rundfunk - Westdeutscher Rundfunk

 今作、2009年のカンヌ映画祭パルム・ドール「白いリボン」に続く、2作連続受賞に輝いた。デビュー当時のハネケ作品は難解であり、見る者を拒否するような作風であった。しかし、「白いリボン」以来の彼の作品は、内面性を深めながら、見易く、観客を拒否する姿勢に変化が現れた。この辺りが、2作品連続受賞の由縁であろう。映像に目に見えない人間の内面性を盛り込むことは、映像自身見えるものしか写さず、内面性を描きとる行為は、映画にとり相矛盾している。その困難さを克服した作家の代表に、スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督やフランスのアラン・レネ監督らがいる。ハネケ監督は、彼らの域に達したようだ。
「白いリボン」以前の彼は、暴力の後味の悪さや、作品のもつ不条理性が見る者を拒絶するところがあり、必ずしも大監督の評価は受けなかった。特に、彼の得意とした手法、「謎を謎のままにする」作風が難解さをもたらせた。



ハネケ監督とカンヌ


「愛、アムール」
ジャン=ルイ・トランティニャン
(C)2012 Les Films du Losange - X Filme Creative Pool - Wega Film - France 3 Cin?ma - Ard Degeto - Bayerisher Rundfunk - Westdeutscher Rundfunk

 今年71歳のハネケ監督は寡作な作家であり、デビュー作は47歳の時の「セブンス・コンチネント」(89)と遅咲きで、「愛、アムール」は10作目となる。特異な作風のため、逆に映画祭では評価された。特にデビュー作から3作目までは、当時のカンヌ映画祭監督週間総代表で、クリエイティヴな才能の発掘を掲げた、ピエール=アンリ・ドゥロのお眼鏡に叶い、連続出品される。当時のカンヌ映画祭では、原則的に、監督週間を経て本選のパルム・ドール争いの舞台への道筋があった。これは、我が国の大島渚監督と同じで、監督週間では「愛のコリーダ」(76)で名を挙げ、その後、本選に選考され、「愛の亡霊」(78)で国際的に認知された経緯がある。


老優の力量



演出中のハネケ監督(左)
(C)2012 Les Films du Losange - X Filme Creative Pool - Wega Film - France 3 Cin?ma - Ard Degeto - Bayerisher Rundfunk - Westdeutscher Rundfunk
 [老い]、[死]は映像として形にし難く、視覚的に見せるには、役者の力に依るところが大きい。ハネケ監督は、存在感のあるジャン=ルイ・トランティニャンを夫役に起用したが、これはシナリオ段階から想定され、相手役にはエマニュエル・リヴァを妻役に引っ張り出した。品位があり、芝居もできる2人であり、絶妙な配役である。実年齢でトランティニャンは82歳(撮影時)、リヴァは85歳とドラマには理想的であった。







劇的構成の巧みさ


 冒頭のストーリーの展開が思わず唸るほど「上手い」。音楽なしのクレジットから始まり、突然、アパルトマンの扉を激しく叩く音。まずこのシーンで「何事」かと思わす、そして、消防士たちの姿が写る。見る者は、何が何だかわからぬ状況に放り出される。広い、パリのアパルトマンの廊下を伝い、現われた部屋の寝台の上には老女が横たわり、上半身には花びらが撒かれている。そして、シーンは、パリ・シャンゼリゼ劇場の演奏会の会場へとつながる。老夫妻の愛弟子である、若きピアニストのリサイタルで、2人は音楽家であることがわかる。楽屋を訪れ、愛弟子に挨拶をし、バスで市内の自宅へ戻る時の、2人の満ち足りた表情が印象深い。




崩壊の始まり


 2人の生活がゆっくりと変化を見せ始める。コンサート翌朝の朝食で、妻がしばし放心状態に陥ることに夫は気付く。そのことを夫は告げるが、妻は何も思い出せないと語る。認知症の初期段階だ。夫は、病院に頼らず、妻の希望を入れて、自分で妻の介護をする決心をする。最初は、普通に生活し、会話もあり、治癒も間近いと思われた。或る日、シャンゼリゼ劇場でリサイタルを開いた愛弟子が妻の病状を心配し、見舞いに訪れる。久しぶりの若き弟子の訪問に妻は上機嫌、しかし、病状については頑なに説明を拒否する。自身の病状の説明は「話したくない」と断るあたりは、旧世代に属する女性の衿持であろう。逆に、彼女は、昔のレッスン曲、ベートーベンの「バガテル」を所望、青年がリクエストに応える一コマ、往時の子弟関係が目に浮かぶようだ。
意図的に台詞以外の音を排した演出、静寂さが支配し、映像的格調が高まる。そして、挿入されるクラシックの名曲、作り手の透徹した人間を見る目が冴える。


壊れ行く人間


 夫、娘(イザベル・ユペール)、アパルトマンの管理人夫妻の期待に反し、段々と妻の不機嫌が続き、遂に、寝たきり状態となり、夫が手助けして食べさせようとする食事を口にしない。心配した娘は、1人で抱え込むより施設入りを勧めるが、夫は断固拒否する。彼は妻の面倒を見ることを約束し、とても他人に任せる気はない。愛する妻を独占するかのように。だが、妻の拒否反応が続き、夫自身も精神的、体力的限界を悟り、ある決断を迫られる。その間に、広いアパルトマンの窓際に一羽の鳩が舞い込むシーンが挟み込まれる。鳩は逃げ口を探し、羽をばたつかせる。夫はその鳩を追い、布を被せる。正に、老夫妻の状況を映す暗喩である。このような、象徴的シーンの描き方がハネケ監督は実に上手い。考え抜かれたインサートだ。



意志疎通の断絶


 ハネケ作品全体を通して言えることは、意志の疎通の回復を希求する思いが底流にあることである。初期作品の不条理な暴力は、疎通不全となったイラ立ちの現れと解釈できる。「愛、アムール」の悲劇は意志の疎通の見込みの立たぬ絶望から生まれている。しかし、今作に関しては、ラストは心中の一面があり、2人の終生変わらぬ愛を自身の中に留めるための行為とも考えられる。冒頭のベッドに横たわる妻は、現世を超えた愛の暗示と受取れる。

ハネケ監督の最高傑作


 意志の疎通の断絶はハネケ監督の重要なテーマであり、そのことが人間の内面性に深く迫る作風の定着化となっている。彼の初期は、「難解で違和感が強く、暴力、ペシミズム、知的な冷淡さが特徴のシネアスト(フランス映画誌〔ポジティフ〕からの引用)」とのレッテルが張られた。人間性の崩壊と普遍的な問題、[老い]、[死]に対し、今作では、人間性[愛]が加味され、高い芸術性を導き出している。
人間への冷徹な眼差しと、シンプルな映像表現を特徴とする「愛、アムール」は、内面性に深く踏み込む名作である。
2013年の第85回米国アカデミー賞に、今作「愛、アムール」は外国語映画賞を受賞した。





(文中敬称略)


《了》


映像新聞2013年3月11日号掲載

2013年3月9日(土)より、BUNKAMURAル・シネマ、銀座テアトルシネマ等 全国公開




中川洋吉・映画評論家