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池谷薫監督作品「先祖になる」
被災者追ったドキュメンタリー
老きこりの賢明な生き様

 ドキュメンタリーとしては異例のヒットとなった「蟻の兵隊」(06)の池谷薫(いけや かおる)監督の新作「先祖になる」が公開される。作品は、東北大震災で壊滅的打撃を受けた、岩手県陸前高田市に生きる大津波の被災者である77歳の老人を追うドキュメンタリーである。
池谷監督が選んだ被災地は、いまだに津波のきづ跡が生々しく残る陸前高田市。
市全体が剃刀の刃でそぎ落とされたような、息を呑む光景が津波の猛威を語り尽くしている。被災一か月後に、陸前高田入りをした池谷監督は、殆ど飛び込みインタヴューの形で、77歳の土地の木こり佐藤直志老と出会った。


製作の動機


谷薫監督(c) Photo by Hiroko Masuike

 震災後、多くの日本人が、何かをせねばならぬと考えたであろう。池谷監督も例外ではなかった。色々と考え、友人に背中を押されたこともあり、自身の専門である映画で被災について語ることを決めた。彼は、被害の記録に留まらず、困難に立ち向かう人間そのものを深く掘り下げて撮った。池谷監督と佐藤老との最初の出会いが、花見であった。自粛ムードが高まる中、高台にあるお堂で花見が開かれ、その呼び掛け人が今作「先祖になる」の主人公となる老木こりなのだ。
池谷監督は、報道される内容が悲惨な状況ばかりの大手メディアの在り方にかねがね疑問を持っていただけに、より一層、花見が新鮮に映った。被害地の人達はこうあるべきとのマスコミの描くところのパターン化された震災像の枠を飛び越える人の生き方が、彼の映画魂を大いに刺激したに違いない。この主人公の老木こりとの出会いが、作品の方向性を決めたと言える。




信頼を得ること


「先祖になる」
(c) Photo by Hiroko Masuike

 東京からぽんと飛び込んだ監督とカメラマンが、直ぐに住民たちの中に入って行くことは難しい。主人公を見つけたのはよいが、それだけでは不十分だ。映画チームは、電気、水道が止まったままの現地で車中泊を強いられ、少なからず住民に助けられた。そのお返しとして、撮影の合間にがれきの片付け、食器洗い、買い出しと出来る限りの手伝いをした。このお手伝いが信頼関係を築く上で役に立った。
映画製作現場とは肉体労働の積み重ねであることが良くわかる。

夢の実現



「先祖になる」
(c) Photo by Hiroko Masuike
 舞台は先述の陸前高田市、今度の震災で釜石と並ぶ大きな被害を受けた海辺の一角である。津波により、高台の山を背にした集落は人家の2階まで冠水し、主人公一家を除く住民たちは、全員避難所暮らし。主人公、佐藤老は、床上浸水した家に留まり、動こうとしない。妻と嫁も彼と生活を共にする。最初はライフラインが総て止まり、暗闇の毎日、トイレは、家の外でしゃべる片手に穴を掘って用を足す。作品の冒頭は、家の前の入江越しに「おはよおー、今日もがんばりましょう」と佐藤老の朝の挨拶から始まる。春遅い東北はまだまだ厳しい季節。度々の市職員の説得にも拘らず、断固避難所住まいを拒否、「津波に呑まれ亡くなった息子と先祖の霊を守るため、ここを絶対に動かない」と市職員を困らす。彼に付き合う妻、嫁は寒空、最初から諦めの態。気の毒だ。佐藤老、ただの頑固者ではない。その時、既に生活設計の図面が頭の中に描かれていた。先ず、食の確保のため空いている田んぼを借り、田植えをし、石だらけの空地に、試しに、そばの種を撒き、秋の収穫に備える。更に、住民集会に出た彼は、家を新築することを宣言、小柄な77歳とはいえ、その壮健振りには驚かされる。そんな彼も、長男を失い、嫁が彼の面倒を見る。彼女にはきちんと感謝の気持ちを、炬燵にはいりながら何気なく伝える。ほろりとさせる場面であり、佐藤老の気持ちの優しさが伝わる。彼自身、全くカメラを意識せず、常に自然体である。震災からすぐにドキュメンタリーの撮影を始めた池谷監督との信頼関係があってのことだ。それ以外、佐藤老も撮られることにより、震災の現況を伝えたい強い思いがあったに違いない。
ゆっくりと、佐藤邸の建築計画が進行する。山で、津波で枯れた杉を次々と伐り出す。自分の家を、自分で伐った気で建てるとは、自然の中で生きる人間の特権であろう。基礎工事が一年後に始まる。上棟式では撒き銭が撒かれる。子供たちは避難所暮らしで、拾うのは大人ばかり、彼らは楽しそうに撒き銭に群がる。実に心楽しい光景だ。最後は見事な木をふんだんに使った田舎風の日本家屋が完成する。




お上頼りに反発


 町内会での家の新築を口にするシーンは、主人公、佐藤老の真骨頂を見る思いだ。集まりでは、復興についても話が及び、貰い根性は願い下げと彼は語気を強める。彼は日本人のお上(かみ)頼りの心情に激しく反発し、自らが進んで震災後の状況に立ち向わねばならぬことを主張する。そのために、彼は木を伐り、家を建ててしまう。お上(かみ)が何かしてくれる期待に対するイラ立ちなのだ。そんな元気者の彼だがガンで数年前に放射線治療を受け、今は重い腰痛に難儀する毎日だ。しかし、天性の明るさで自分を、周囲を元気づける責重なキャラクターの持主であり、池谷監督はここに強く惹かれたと想像できる。


究極のぜいたく


 自ら米を作り、そばを収穫することは勿論必要に迫られてのことであるが、自分で木を伐り、家を建てるに到っては、究極のゼイタクといえる。このゼイタクをやり通したのは佐藤老の衿持であり、土に生きる人間の強さである。

見どころ


 「先祖になる」は見どころが多く、ドキュメンタリーの特性を良く生かしている。例えば、舞台となる被災地の津波の痕跡が丸ごと記録された描写が的確で力強い。
劇映画では、実写を入れてもこうはなり難い。「先祖になる」では、状況に人間を入れ込み、一つの形としている。入れ込まれる人間、今作の場合は佐藤老であるが、素材としての彼の良さが光る。この点は特に強調せねばならない。佐藤老と池谷監督がすぐに信頼関係を結べたのは、老の明るさと人柄の良さ、そして、池谷監督の眼力によるところが大である。長篇は未だ3作目の池谷監督だが、その作品もすべて成功している。それは、描く人間性に弾みがあり、その背景をきっちりと浮び上がらせ、そこが池谷作品の面白さとなっている。前作「延安の娘」、「蟻の兵隊」で描かれる人間像は、八方ふさがりの中に人間は存在し、過酷な状況の中をとにかく生き抜く力を主人公たちから見出している。ここが池谷作品の魅力であり、観念的、難渋性から一歩抜け出し、人間が放つ弾みが画面を覆っている。
今作、佐藤老の家の新築を作品の芯とし、働くことの大事さが強調されている。ここに労働を通じてのコミュニティが築かれ、人の結びつきが前面におしだされている。


人物を深く掘り下げて描く


 大震災後、多くの映画人、テレビ界の人々が現地入りし、災害と人間を写した。特に
テレビ局のドキュメンタリーには力作、秀作が多かった。その中にあり、ドキュメンタリー部門では、独立系の池谷作品の出来栄えは図抜けている。それは、人間を描く掘り下げの深さと内容の密度にある。見応えのある作品だ。




(文中敬称略)


《了》


映像新聞 2013年2月11日掲載号より

2月16日より、東京・渋谷、シアター・イメージフォーラムにてロードショー公開




中川洋吉・映画評論家