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「東京フィルメックス2013」報告A
生誕100年を記念「中村登特集」
松竹大船撮影所のエース監督
 

 今年で14回目を迎えた「東京フィルメックス」(以下、フィルメックス)では、定番の名物企画として、日本人監督に焦点を当てた部門がある。映画史に名を留める監督の1人を採り上げ、名匠、巨匠を紹介してきた。今年は、生誕百年を記念し松竹のエース監督、中村登(1913−1981)作品10本が上映された。

良質な文芸作品の作り手

「我が家は楽し」

 中村登は、撮影所システム全盛時代を代表する監督で、今回の上映作品は、「我が家は楽し」(51)(笠智衆、山田五十鈴主演)、「土砂降り」(57)(佐田啓二、岡田茉莉子)、「集金旅行」(57)(佐田啓二、岡田茉莉子)、「いろはにほへと」(60)(佐田啓二、伊藤雄之助)、「河口」(61)(岡田茉莉子、山村聰)、「古都」(63)(岩下志麻、宮口精二)、「二十一歳の父」(64)(倍賞千恵子、山本圭)、「夜の片鱗」(64)(桑野みゆき、平幹二郎)、「暖春」(66)(岩下志麻、森光子)、「わが闘争」(68)(佐久間良子、石坂浩二)と普段では中々見られないラインアップだ。
一般的に、中村登の代表作は「集金旅行」、「古都」、「二十一歳の父」、「紀ノ川」(66)、「智恵子抄」(67)、とされている。今回は、これら以外の作品が網羅され、特に印象深い作品として、「いろはにほへと」、「土砂降り」、「我が家は楽し」、「集金旅行」、そして、「古都」がある。


中村登の世界


 彼は36年に東大英文科を出て、松竹大船撮影所に助監督とし入社、82本の作品を監督した。松竹大船調の始祖といわれる島津保次郎組に就いた、この組には先輩助監督として、吉村公三郎、木下恵介と将来の大監督がいた。島津監督に就いたが、この時期に将来の松竹大船撮影所のエース監督となる下地を身につけた。戦前にデビューした小津、溝口、山本薩夫などは、助監督期間が短く、現在から考えると異例の速さで監督昇進をしている。中村登の場合は、みっちり助監督修行をしており、撮影所全盛時代の人材養成の典型例である。

大船調の後継者



 彼は、大船撮影所のエース監督と目され、年間3本の専属契約を終身結んでいる。終身契約監督はざらにいる存在ではなく、如何に大船撮影所から頼りにされていたかがわかる。
撮影時の技術スタッフ編成にも、所内最高の技術者が集められた。撮影の成島東一郎、生方敏夫、編集の浦岡敬一、音楽の黛敏郎、武満徹と、錚々たる面々だ。これは、例えて言うなら、往時の大映多摩川撮影所の増村保造組、同京都撮影所の三隅研次組と同じだ。技術陣の能力の高さは、確実に画面に厚味をもたらす。中村作品の画面の密度は、優秀な技術力に支えられている。


女性映画や文芸作品



 城戸四郎所長率いる松竹大船撮影所の作品製作方針は、今流にいうなら、明るいホームドラマ、しかもホロリとさせる要素を持つ作品といえる。いわゆる大船調だ。59年から、若手監督による松竹ヌーヴェルヴァーグの大島渚、吉田喜重、篠田正浩たちは、この大船調の微温的体質に反旗を翻したものであった。
中村登には原作ものが多い。井伏鱒二の「集金旅行」、「二十一歳の父」(曽野綾子原作)、「古都」(川端康成原作)などであり、彼のフィルモグラフィを見れば、殆どの作品は一流作家の原作ものである。これが当時の松竹大船における主流たる、女性を主役とした文芸路線である。


常識人、中村登


 監督、中村登は物事をきちんとわきまえた常識人であろう。彼が東大を出て、松竹に入り、晩年まで、専属監督として年間3本撮っていたことからもうかがい知れる。彼自身の作風は、抒情的で、品格がある。ここが、松竹大船の文芸路線ときっちりと重なり合う。松竹の枠の中で、実績を積み、また、会社も彼を必要としていたのだ。会社からの企画を、きちんと撮り上げる中村登の監督としての資質の高さは、会社上層部を納得させるに充分であった。
大船の小津安二郎を始めとする監督たちは、一般的に自己顕示の露出を嫌い、逆に野暮とする雰囲気があった。中村登もその内の1人である。ただし、ロケの時は非常に張り切ったとの、出演俳優の証言がある。政治や社会と立ち向うことの少ない彼は、良質な文芸作品の作り手としての職人芸の作家と見られ、長い間、忘れられた作家扱いであった。しかし、彼に社会性や実験性を求めることは、ない物ねだりであり、これらは、突破力にたけた後輩の大島渚、吉田喜重、篠田正浩たちに任せればよいのである。ただし、例外的に「いろはにほへと」や「土砂降り」は従来の彼の殻を破るものであり、想像以上の凄味を感じさせる面も併せて持っている。


汽車のシーン



「土砂降り」
 中村登の映像で、シーンとシーンの間のインサートとして、汽車が数多く挿入されている。「土砂降り」のラスト、陸橋からのシーン、「河口」の沼津駅に入る湘南電車、実際に人間を汽車に乗せてしまう「わが闘争」など、彼の技術に対するこだわりを感じさせる。
技術の高さと並び、中村作品の大きな見所は、わき役陣の年季の入った芝居が堪能できる点だ。「集金旅行」の伊藤雄之助、トニー・谷、花菱アチャコ、西村晃、「河口」の三枚目的な山村聰の画廊のマネージャー、「いろはにほへと」の宮口精二と伊藤雄之助の対決シーンは鬼気迫るものがあり、また、藤間紫の飲み屋の女将の中年女性の色気は悩殺ものだ。更に、「古都」では待合の女将、浪花千栄子の圧倒的な存在感、「二十一歳の父」の山形勲の父親など、流石、中村組ならではの豪華配役だ。

「古都」に見る完成度



 中村登は、松竹の女性映画の巨匠と言われ、数々の傑作を残している。それは、会社の企画、中村登の感性、そして、選りすぐりの技術パートの下支えによっている。その中で、この3者の融合の頂点として「古都」がある。京都を舞台とする、生き別れの美しい姉妹を描く、川端康成の原作、情味を効かした演出と脇を固める宮口精二などの好演、京の祭や北山杉の圧倒的な映像美を誇る成島東一郎のカメラと、商業性と芸術性とがきっちり融合した一作だ。良質な内容で、興行性も高く、極めて完成度が高いのが「古都」である。

特別招待作品から



「微笑み絶やさず」
 コンペと並び、アジアの秀れた監督作品が「特別招待部門」で上映された。この部門の佳作について触れる。今年の審査委員長、イランのモフセン・マフマルバフ作品「微笑み絶やさず」は、実に面白い一作であった。釜山映画祭の名誉ディレクター、キム・ドンホの密着ドキュメンタリーである。文化関連の高級官僚出身の彼は、韓国映画振興公社で韓国映画の振興に務め、その後、釜山映画祭を創設した、韓国映画界の顔とも呼べる人物である。作品は、アジアの映画祭ディレクターに焦点を当てた52分の密着ドキュメンタリーである。物腰の穏やかな彼の人柄が伝わる一作だ。そして、写し出される映画祭自身や、彼の映画人生は大変興味深い。
中篇だが、中身は濃い。




 



(文中敬称略)

《了》




映像新聞2013年12月16日号より転載


中川洋吉・映画評論家