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映画「そこのみにて光輝く」 佐藤泰志の長編小説が原作
社会的弱者の生き様を描く

 「そこのみにて光輝く」(以下「そこのみ」)は、文学的でストイックな感じが漂うタイトルであり、佐藤泰志の強い思いが満ちた作品を見たくさせるツカミがある。そこには41歳の若さで自死した、原作者である函館出身の彼の内面の叫びが伝わるようだ。彼の描く世界は、気鋭の若い世代の映画人を引き付け、原作者の苦衷と作り手の思いが厚く響き合う良さがある。

佐藤泰志の世界

池脇千鶴
(c)2014佐藤泰志「そこのみにて光輝く」製作委員会

  「海炭市叙景」(10、熊切和嘉監督)で再評価された作家、佐藤泰志は、芥川賞、三島由紀夫賞を始めとする数々の大きな賞の候補となり、その才能は広く知られていたが、賞に届く寸前に命を絶った。その彼の初の長編小説が、死の1年前、89年発表の「そこのみにて光輝く」である。その後、直ぐ書かれたのが「海炭市叙景」で、こちらは短編集である。
彼の描く世界は、一言でいうならば、「出口のない青春」であり、そこには青春の残照が厳然と存在している。人が、誰しも体験する出口のない閉塞感が佐藤原作にあり、我が身に重ね合わせ、身につまされる思いに至る。彼の語りは決して明るくはないが、作者と受け手が互いに共振し合える人間関係が確かにある。そこが、佐藤泰志の魅力、そして、引力なのだ。


巧みな導入部

綾野剛(後方)と池脇千鶴
(c)2014佐藤泰志「そこのみにて光輝く」製作委員会

 原作は二部に分かれており、それを、脚本の高田亮は1本にまとめ上げた。その手際は並ではない。彼の代表作は、共同で書き上げた「さよなら渓谷」である。冒頭シーンは、陽が差し込むアパートで若い男、達夫(綾野剛)が酔いつぶれ、昼までだらしなく寝ているところから始まる。平坦な出だしであるが、これが、後の重要な伏線となる。

 

等身大の身近さで迫る


「そこのみにて光輝く」3人の主演者
(c)2014佐藤泰志「そこのみにて光輝く」製作委員会

 酔眠もうろう朦朧の達夫は、パチンコ屋へ向う。何とも無気力なたたず佇まいである。パチンコ屋で、その彼に、煙草の火を貸せと、達夫より一回り若い男、拓児(菅田将暉)が馴れ馴れしく声を掛けてくる。総ての出会いの始まりだ。拓児は、火を貸してくれた礼に、自宅へ誘う。この場の台詞「飯を食わすから」は気が効いている。この簡潔な誘いに、若者同士がもつ気の置けない関係が浮彫りとなる。着いた先は海辺のバラックで、とても人を呼べる家ではない。ここで、拓児の生活環境が分かる。暗い家の中には、母(伊佐山ひろ子)が不愛想に客を迎える。伊佐山は、往年の日活ロマンポルノのスターで、往時を懐かしむファンも多いはずだ。ここで、姉の千夏(池脇千鶴)が登場し、達夫や拓児のために具なしの炊飯を、そそくさと用意する。また、奥には脳梗塞で寝たきりの父がアーウーとうめき、母親が渋々立ち上がる。性欲だけは衰えぬ父が母を呼んでいるのだ。
時代はバブル絶頂期、1991年、繁栄に取り残された家族像が露わとなり、達夫と千夏の出会いの場が写し出される。



主人公の過去



 達夫の方は、いつものように酔いつぶれ、外から男が「戻ってこい」と呼び、彼はけだるそうに顔を出すシーンで、彼が石切場で誤って同僚を事故死させた責任を感じる過去の出来事が明らかになる。このように、導入部で全体的状況を見せ、話を廻すが、分かり易さがあり、観念的難解さとは無縁であるところに「そこのみ」の作品としての資質の真っ当さがある。



寄る辺なき魂 時代の波に翻弄される人間像



 物語は、達夫と千夏の2人に絞り込まれ、そこに、弟の拓児が絡む進行となる。設定自体、負け組の生き方であり、主人公は原作者、佐藤泰志の分身であることは容易に想像できる。右に左に頭をぶっつけ、悶々と生きる、先の見えぬ青春が胸を打つ。23年前に発表された本作、バブル期の日本であったが、現代の格差社会と重なりある部分が多々見られ、そこに時代性の一致がある。その時代の波に翻弄される人間像が、等身大の身近さをもって迫り、見る者を強く引き付ける。




取り残された人々



 繁栄から取り残された3人と彼らの家族の存在は、無気力を突き抜けた方向性のない強さがある。同僚を事故死させた主人公、達夫は、千夏と出会い、彼女を通し、生きることを正面から受け止めようとし始める。相手役の千夏は、貧しい家庭を救うため、昼は工場、夜は売春でわずかな現金を得、何とか家族の体を保つ努力をするが、悲壮感はなく、ありのままの現実を体ごと受け止めている。しかし、彼女は、年上の、小企業の社長の愛人であり、何度か別れようとするものの、ズルズルと関係を続けるメスの本能も併せ持つ。弟の拓児は、明るく、単純で気の良い男で、絵に描いたような落ちこぼれであるが、家族が彼の唯一の拠り処であることを自らが知っている。達夫と千夏の仲の進行により、拓児にも兄が出来るが、これは、家族の一員が増える、新たな喜びとなる。


不遇な人間像を演じる俳優たち



 佐藤原作で映画化された「海炭市叙景」、そして、本作で描き出される人間像は、貧しさや、不遇な環境の中で、特段、大声をあげ泣き叫び、社会の不条理に対し、反抗する人間ではない。そこには、社会的弱者の生きるささやかな仕合わせがある。その仕合せの象徴がラストシーンの海岸での陽光である。本作では、脚本の運びの上手さもさることながら、主演俳優の芝居に注目せねばならない。主演の達夫役、綾野剛は、撮影に当たり、毎晩飲酒をし、酔眼朦朧の芝居を作り上げたそうだ。これが、実に極まっている。前作「夏の終り」では、線が細く、存在感が薄く、瀬戸内原作ものには不向きな印象であったが、今回は、中々の役者ぶりだ。
達夫の相手役、千夏を演じるのが池脇千鶴である。今年33歳の彼女、10代でデビューし、芸歴は長い。初期は柄を生かした小柄な元気印で、エネルギー一杯の役柄が良くはまっていた。しかし、「ジョゼと虎と魚たち」(03)、「ストロベリーショートケイクス」(06)などの傑作をものにし、芝居の出来る若手女優のトップクラスに仲間入りした。脇に廻っても「舟を編む」(13)のコミカルな芝居など、良い味を出し、作品ごとに、いろいろな柄を出せる、芸域の広い女優へと変身してきている。本作は彼女の代表作の1本になるであろう。不遇ななかでも仕合わせになる一るの希望を持つ役柄を作り上げるひた向きさが、見ていて心地良い。
拓児役の菅田将暉の自然児のような役柄、非常に感じなのだ。この役柄、地に近いように想像できるが、若さと脆さを併せ持つキャラクター、これは得難い。


期待の女性監督



 佐藤原作の「海炭市叙景」は男の世界であり、今回の「そこのみ」での女性監督、呉美保の起用は意表をつくものである。しかし、多層的に負け組を描き、力勝負とケレンを避けたところに、彼女自身の手腕を感じさせる。
呉監督は、同世代の女性監督の西川美和、ドキュメンタリーの纐纈あやと並ぶ若手の期待の星で、今後、彼女たちの作品には注意せねばならない。
呉美保組の多くのスタッフは大阪芸大出身で、彼らの作品に対する熱さが滲み出ている。彼らの存在は今後の日本映画の力(りき)となるであろう。また、彼らには描く対象を血肉化し、決して頭で考える、周囲3メートル平方のお仲間発信でない、社会と向き合う姿勢がある。今年度ベスト5に入る作品と踏んだ。




 



(文中敬称略)

《了》


4月19日(土)テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー

映像新聞2014年4月21日掲載号より

 




中川洋吉・映画評論家