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「いのちのコール〜ミセスインガを知っていますか〜」
「子宮頸がん」に苦しむ女性の姿
病に対する偏見に立ち向う

 女性が羅災する子宮頸ガンをテーマとするヒューマン・ドラマ「いのちのコール〜ミセスインガを知っていますか〜」(以下「いのち」)(蛯原やすゆき監督)が公開される。このガン撲滅の啓蒙の意味を持つ本作は、同時に、病気の恐ろしさ、命の大切さを語っている。
小品ではあるが、この病気の偏見に立ち向う作り手の本気度が感じられ、見る者を惹きつける。


恐ろしい病気

  子宮頸ガンは女性のみが羅災するが、性交渉によりもたらされ、女性の間では「恥ずかしい病気」、「遊び過ぎの病気」と、偏見が根強く、このため、実態は長い間、表面化しなかった経緯がある。ここ数年、年間3500人の女性が亡くなる、その死亡数から、にわかに注目され始めた。女性特有のガンでは乳ガンに次ぐ死亡数である。このガンの発症率は、20代−30代の結婚適齢期の女性に多いことが、「恥かしさ」と結びついていると考えられる。原因は、男性の持つウィルスで、交渉をもつことにより発症するが、ほとんどの場合、自己免疫力で治る。しかし、ウィルスが女性体内に留まった場合に発症する可能性があり、最良の予防法は早期発見のための検診である。


夢一杯のカップル

主役の安田美沙子〈左〉と山口賢貴
(c)「ミセス インガを知っていますか」製作委員会

 冒頭シーン、横浜の明るいマンションで、若い2人が引っ越し荷物の運び込みに余念がない。たまき(安田美沙子)と高志(山口賢貴)は結婚前でしあわせ幸福一杯、夢一杯。安田は高校教員、明るい性格の先生で生徒に慕われている。山口はサラリーマン、いづれは、趣味のカメラを生かし、カメラマンへの転身を考えている。この新居にラジオからDJ杉田マユミ(室井滋)の声が聞こえ、「知っていますか」の曲が流れる。このラジオ放送がラストの大きなヤマ場の伏線となっている。ある日、安田は下腹部に痛みを覚える。これは子宮頸ガンの前兆であるが、本人は知る由もない。
余りの痛みの強さに、彼女は婦人科へ駆け込む。診断結果は、今まで考えもしなかった子宮頸ガン、子供は出来ないと医師から宣告される。結婚式を控えて、手術を躊躇する安田。そして、物語の展開は2年後へと飛ぶ。舞台の中心は室井滋がDJをつとめるラジオ局である。編年体ではなく、間の2年を中抜きにするシナリオの手際が良い。DJの室井は25年続いた番組の最終回を迎え、いつものようにリスナー声に耳を傾け、丁々発止と受け答えを始める。室井のDJのキャラクター、堂に入ったものだ。その中でインガ(もともとは安田の飼い猫の名)と名乗る女性から自殺をほのめかす電話が入る。彼女は、末期の子宮頸ガンを発症し、体調不良から仕事を辞めたことを語るのである。

 

若い夫婦の亀裂


 室井の必死の説得と同じ併行で、この2年間の若い2人の生活が物語られる。子宮頸ガンは羅災者を無気力にするが、外見からはわからず、ブラブラ病と見られがちである。夫は、会社勤務と家事をこなし、疲労は蓄積する一方である。妻は病気の進行で気持ちがなえ、2人の間の会話は途絶える。ここまで来たら夫婦の態を成さず、一方が犠牲を受け入れざるを得ない状況に陥る。結局、妻は単身実家へ戻される。何とも痛ましい結果だ。老齢者であれば、施設に入れる手段もあるが、若者世代に対して、適当な避難場は整っているのであろうか。もちろん、末期ガン患者のためのホスピスはあるが、収容人数は限られているのが現状であろう。


場をさらう室井滋



ラジオDJ役の室井滋
(c)「ミセス インガを知っていますか」製作委員会
 存在だけで場をさらえる女優に、故杉村春子、現在では渡辺えりと室井滋の名が挙がる。現在のこの2女優は、杉村ほどの芝居は望めないが、その芸達者振りと存在感で際立つ。
2人も美人タイプでないところが、芸域を広げるのにプラスになっている。この室井のDJが安田扮する主人公の自殺を阻もうと、なるべく話を引き延し、説得を続ける。ここが「いのち」のハイライトシーンといえる。



巧い2本線の融合



放送中のスタジオのシーン
(c)「ミセス インガを知っていますか」製作委員会
 DJシーンと平行し、脚本は、若いカップルのその後を伝えるもう1本の線が用意されている。この2本線の融合が興味の的となり、ラストまで見る者の目を離させない。平行する一方の線では、2年間の若い2人の軌跡が語られる。安田は手術を受けるが、体調が思わしくなく、すぐ横になりたがる。最初は、「俺が女房を守る」と意気込んだ男は会社勤めの傍ら身の回りの世話を焼くが、そのうち段々と妻が疎ましくなる。



根強い偏見



 子宮頸ガンは性を媒介とする病気であるが故に、「遊び女」のものと誤解されがちだ。作中でも、妻を守ろうと決心する男も、妻の過去を気にしだす。今日、男女交際は自由で、マッサラな若い男の子はかね金のワラジで探さねばならぬほど、レアーものであり、女性の過去のみを詮索するのは男性の勝手な論理である。新藤兼人監督は終生人間の性にこだわり続けた作家であり、「人間は子供を作るためだけにセックスをするのではない」と述べている。彼は、当然、性を猥雑に捉えることを戒めているが、言外に、性は人間にとり大きな歓びをもたらすものの1つであることの意が込められている。あるいは、「釣りバカ日誌」で西田敏行扮する浜チャン流にいえば和合となる人生の歓びを、女性が口にすることははばかれる風潮が日本文化にはある。このことが「恥ずかしい病気」とする偏見を助長している。


物語の発端



 「いのち」には実在のモデルがいる。クレジットに企画として名を出している故渡邉真弓である。病気の発症後、彼女は娘に手記をしたため、これがプロデューサーの小池和洋の目に留まり、監督の蛯原やすゆきが乗り、映画化の運びとなった。渡邉真弓の発症が2009年、余命半年と宣告される。そして、2年後の2011年に自らの手記を、企画として小池プロデューサーに持ち込み、映画化の道筋をつける。2012年に、作品「いのち」の完成を見ず、56歳で亡くなる。彼女が娘に残した思いの一節が素晴らしい。2009年に入院した折、「余命は半年…/希望や夢は/山ほどある/だから忙しい/だから楽しい」(プレスシートより引用)。亡くなる人間の心意気に圧倒される。


監督の提言



 今年32歳の監督は、本作が長篇第1作である。映像産業で企業PR作品制作をこなした後のデビューとなった。彼はガンの啓発活動に以前から関心があり、出会ったのが本作である。彼は、是非とも、性行為に興味を抱く若い世代に見て貰うことであり、特に男性に見て貰うことを希望している。そして、子宮頸ガンに対する偏見に多くの女性が苦しんでいることを世間へ知らせたく考えている。


作品の強み



 1つ1つ描かれる行為への人々の対処に説得力と感動
  本作はガンを扱い、映画業界的にいえば、難病ものの範疇に入る作品といえる。しかし、作り手の伝えるメッセージは、難病ものの域を越えている。言葉を変えれば、子宮頸ガン撲滅キャンペーンが底流となり、病に立ち向う人々の生き方が綴られ、一つ一つ描かれる行為に対する人間の対処の仕方に説得力がある。そして、それらが感動をもたらせている。地味な作品だが、乗り越えねばならぬ偏見とどう向き合うかを教える佳作である。



 



(文中敬称略)

《了》


2014年6月7日よりシネスイッチ銀座他にて全国順次公開

映像新聞2014年6月2日掲載号より転載

 




中川洋吉・映画評論家