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「娚(おとこ)の一生」
廣木隆一監督の良質な恋愛劇
年の離れた男女の共同生活

 2月14日から全国公開中の廣木隆一監督の「娚(おとこ)の一生」は良質な恋愛劇である。多作な廣木監督は、愚作が少ないタイプで、本作もさらりと手際よくまとめられ、見る方を乗せるリズム感がある。

味のあるシチュエーション設定

榮倉奈々、豊川悦司
(C)西炯子・小学館/「娚の一生」製作委員会

 物語は、地方の古民家に1人住まいをする若い女性の元へ、見ず知らずの中年男が、祖母の友人と称し入り込むところから始まる。
他人の家でマイペースに振舞う主人公(豊川悦司)と若い女性(榮倉奈々)との2人の奇妙な共同生活と2人の男女の愛の化学変化を「娚の一生」は描いている。
このシチュエーションの設定に味がある。
恋愛ものの範疇に入る本作だが、その過程の味付けの施し方にひねりが効き、見る者の興味を最後まで惹きつけ、廣木隆一監督の演出手腕が光る。

コミックの映画化

榮倉奈々、豊川悦司
(C)西炯子・小学館/「娚の一生」製作委員会

 西炯子(けいこ)の原作は、2008−2010年に月刊「フラワーズ」で連載され、ベストセラーとなった人気コミックである。近年の傾向として、映画化の素材をコミックに求めることが常態化しており、その原因の一つが、図抜けた発売部数にある。昨今、音楽の世界で百万枚を超えるCDは稀であるが、コミックの世界では数百万部のベストセラーは珍しくなく、映画製作者は、その巨大な部数に目を付けている。
現在の我が国の出版界は、大別して、コミックと佐伯泰英の時代小説の二つしかないと言われ、それ程、コミックの発売部数はガリバー的存在である。更に、見逃せないのは、この巨大マーケット故に、多くの有為な才能が集結していることである。「娚の一生」も例外ではない。不倫関係と都会のOL生活に疲れ、故郷にUターンした、主人公の若い女性、堂園つぐみを榮倉奈々が扮している。この若いつぐみの前に突然現れる男性が、何ともオジさん風の当年52歳の海江田淳(豊川悦司)の大学教授であり、最近、はやりの年上男性人気の世相を反映している。

 

最初の出会い


榮倉奈々
(C)西炯子・小学館/「娚の一生」製作委員会

 つぐみは、染色家である祖母の逝去で、故郷(関西の小さな町を設定)に戻り、葬式を済ませ、自身は、東京のIT関連会社を辞め、祖母の跡を継ぎ染色家として生きる決心をする。冒頭、染められた色鮮やかな布類が干される間に祖母が立ち、そこに若い男の後姿が写る。ここが物語の重要な伏線となる。美術も大変凝っており、古い田舎の大きな家がメインの舞台で、離れもある。この離れが淳の寝室と仕事場がミソである。葬式の翌朝、朝食の支度をしているつぐみは、内庭で見知らぬ中年男が新聞を読んでるのを目にする。この男こそ淳である。昨晩、彼は葬式に列席したが、親戚中心の人の輪に入れず、離れに泊まったと言う。鍵は祖母から、いつでも遊びに来ていいと渡されたもので、彼は祖母の染色の教え子と自己紹介をする。これが2人の最初の出会い。


他人同士の共同生活



豊川悦司
(C)西炯子・小学館/「娚の一生」製作委員会
 淳は、朝のコーヒーの匂いで、「自分も一杯」と所望し、座敷に上がり込む。初対面でコーヒーのご馳走にあずかるとは、相当な心臓で、つぐみは只々唖然とする。何が何だか事情がわからない彼女は、彼を追い返すわけにもいかず、共同生活が始まる。彼女は本家、彼は離れで寝起きし、そこから大学に通うことになる。共同生活の条件として、飯炊き(ままたき)と掃除は自分、彼には風呂と薪割りを分担してもらうことを提案する。勿論、仏頂面のままである。食事は本宅の居間で、何とも他人行儀の食卓であるが、淳は一向に気にせず、「君の味噌汁はうまいね」と褒め、ご飯のお代りをする。何とも厚かましい同居人に対し、彼女は渋々応じるが、とても心を開いて打ち解ける状態ではない。

2人の過去



榮倉奈々、向井理
(C)西炯子・小学館/「娚の一生」製作委員会
 ある時、つぐみの友人の岬(安藤サクラ)が遊びに訪ねてくる。2人で温泉に浸かったり、布団を並べてのおしゃべりと楽しい時を過ごす。そこで、つぐみの過去が話題となり、彼女は妻子ある男性と不倫関係に陥り、そのことが原因で、祖母の死もあり、故郷に戻り、染色家として再出発することを決心した経緯が明らかになる。また、淳についても、岬は「男は戸籍を見るまではわからない」と言い、つぐみの不安を煽る。さらに、岬は近々結婚することを告げる。この一言で、独り者のつぐみは落ち込んでしまう。現在、ノリに乗っている安藤サクラと、茫洋としたつぐみとの取り止めのないガールズトークが、豊川、榮倉中心の作品のトーンをガラリと変える。たった1人の役者の存在でこれほどまでに変わるとは驚きだ。



徐々に接近



 相変わらずマイペースの淳は、毎日、つぐみの手作りの食事を食べ、勝手なことを言う。化粧気のない彼女に向い「練習の積りで僕と恋愛してみなさい」とか、あまりおしゃれをしない彼女に「もっと手入れをせねば」と大真面目な顔で忠告する。彼女にとり、大きなお世話である。この頃は、すっかり彼女に惚れ込んだ彼は、つぐみの叔母(木野花)に「彼女と結婚する積り」と勝手に宣言する。
ある夜、彼女は、外出時に身に着けたネックレスをどこかに落とす。これは男性からのプレゼントではなく、自前で求めたもので、自嘲的に「負け犬のジュエリー」と呼び、探そうともしない。その様子を見ていた淳は、大雨の中、外へ飛び出し、ネックレスを探し出してくる。そして、「負け犬と思わず、もっと自分を大切にしろ」と、彼女を激しく叱責する。これ以来、彼女は彼の真情を見た思いで、感情が変わり始める。接近の決めての一つが、祭りの夜のこと、彼は祭りの仮面を被ったままの彼女への愛を告白であった。最初は祖母の恋人と親しくなることなど論外とばかりに、頑なな態度であった彼女も満更ではなかった。ここで恋愛成就なら月並みなメロであるが、更に一工夫こらされている。
彼への一通の手紙がもとで、嫉妬したつぐみは彼の離れに乗り込み、前かがみの姿勢の彼の臀部を蹴り上げ、淳は一回転、痛快なシーンだ。この手紙は義理の姉からのもので、総て、彼女の誤解であった。


擬似家庭



 2人の距離は確実に縮まってきたが、決定打には、更にもう一つのエピソードが挟み込まれる。遠縁の子を無理矢理押し付けられたことであった。男と出奔した若い母親が幼い息子を2人に預け、子育ての経験のない2人を当惑させた。テレビゲームにうつつをぬかし、食事はハンバーグしか食べない、この子供に業を煮やした彼は、「お前は捨てられたんだ」と子供に強烈な言葉を浴びせ、「子供には、早いうちに諦めさせた方がいい」と言い放ち、彼女をハラハラさせる。しかし、3人は段々と本物の家族気分となるが、母親の帰りを待つ子供は家出をすると、今まで冷淡を装っていた彼、子供をかわいがる彼女は、必死に探し回り、ついに、駅で子供を発見し、固く抱き合う。本物に近い擬似家庭になっていたのであった。その後、彼は、法事の場で、彼女との結婚を宣言する。家族や男女の結び付きの進展を表す手法として、廣木監督は食事シーンを多用している。これは、人間的距離を見せる格好の演出だ。

にじみ出るおかしさ



 話、演出、俳優がうまく融合
タイトルの「おとこ」を「娚」と表記するあたり、原作者のオトボケは相当なものだ。祖母の元カレの淳は、1人住いのつぐみ宅に居付き、居候然を決め込むが、これが、大真面目で、そこが何ともオカシイ。豊川悦司は長身の格好の良い好男子だが、自然とおかしみを出すことの出来る役者で、彼のCMさえも何となく可笑しさがある(新藤兼人監督の遺作「一枚のハガキ」は例外)。本作は、その彼の柄が際立っている。
つぐみを演じる榮倉奈々は、ボーイッシュな柄を得意とする女優だが、フェロモンを出さずオンナを見せることができ、それが本作では若い女性の迷いと爽快さになっている。
廣木監督は人間の本能を衝く捉え方に優れ、いつも感心させられるが、今回は、むしろ、自らの特質を封じ、2人の年の離れた男女の恋の成り行きに焦点を絞り、作品に密度をもたせている。話の筋、演出、俳優と、三者が上手く融合し、見て楽しい作品だ。




(文中敬称略)

《了》


2月14日より全国公開中

映像新聞2015年2月23日掲載号より転載




中川洋吉・映画評論家