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「第68回カンヌ国際映画祭」報告(2)
現代の問題を直視する作品重視
審査委員会の見事な決断

 前回(6月8日号)は、カンヌ国際映画祭(以下、カンヌ映画祭)の受賞作品を中心に触れたが、今回は、その他の注目すべき作品、そして、日本、アジア作品について触れる。さらに、今年の忘れられた秀作も紹介する。

忘れられた秀作

「私の母」

 今年は、見事なまでに社会性の強い作品の受賞で終った。そして、その大部分はフランス映画であった。他方、毎年のことだが、忘れられ、無冠に終わる秀作があったことは取り上げなければならない。その代表は、ナンニ・モレッティ監督の「私の母」(伊)である。既に「息子の部屋」(01)でパルムドールを獲得している同監督だが、今回も、特筆すべき出来栄えを見せた。以前よりも、作品自体の完成度が高まり、彼は現代の世界映画界屈指の作家であることを証明してみせた。主人公は、マルグリット・ブイ扮する女性監督で、舞台はロケ現場であり、そこで、公人としての彼女の活動が綴られる。私人としては、老母の介護で自分の時間を割かねばならず、彼女と介護を共にする兄弟役にナンニ・モレッティ監督自身が扮し、現代の家族の日常が描かれている。映画現場での活気に溢れる彼女とスタッフのやり取りのシーンは、イタリア映画のヴァイタリティを感じさせる。監督役のブイは、最近では、岩波ホールで上映された「ローマの教室で 我らの佳き日々」(13)などで我が国でも知られる存在。劇中、虚言癖のある主役を演じるジョン・タトゥーロとの大口論のエゲツないおかしさは見物だ。この激しさと介護の悩みの落差が、劇的効果を生み出し、審査員構成が変わればパルムドールものの秀作。
他に、1950年代の米国における同性愛問題を扱った、トッド・ヘインズ監督の「キャロル」は、主演のケイト・ブランシェットが格の違う存在感を見せ、これも、一番、賞に近い残念賞だ。本作は、来年初旬に本邦公開予定。

「若さ」

 もう1本、イタリアのパオロ・ソレンティーノ監督の「若さ」ではマイケル・ケイン、ハーヴェイ・カイテル、ジェーン・フォンダと、往年の名優を揃えての、老いから若さを見詰める作品で、そのスタイリッシュな映像展開が見ドコロだ。




日本映画

「海街diary」上映後の是枝監督
(C)八玉企画

 今年は、数的には日本映画の出品が多かった。コンペ部門では是枝裕和監督の「海街diary」、「ある視点」部門はオープニング作品として河瀬直美監督の「あん」と、同部門監督賞受賞の黒沢清監督の「岸辺の旅」、「監督週間」では三池崇史監督の「極道大戦争」、俳優ではコンペ部門で米国のガス・ヴァン・サント監督の「ザ・シー・オヴ・ツリーズ」で渡辺謙(カンヌ入りせず)、侯孝賢監督の「黒衣の刺客」では妻夫木聡が姿を見せた。

河瀬直美監督と出演者たち
(C)八玉企画

  作品的に良く出来ていたのは是枝作品で、丁寧な作りで、密度もあり、作品のレベルの高さを見せたが、一昨年の「そして父になる」には及ばない感があった。河瀬作品は永瀬正敏のどら焼職人と彼を助けるあん作りの名人樹木希林が主人公で、ライ病患者が世間の風評に苦しむ物語である。河瀬監督は、売りである東洋趣味から離れ、新しい世界を目指したが、結果的に普通の作品に仕上がり、インパクトが弱かった。しかし、両作品とも、上映後は盛大な拍手を受け、作り手である監督たちのカンヌブランドが確立している印象が深かった。
受賞の黒沢作品は、同監督が得意とする異界との交流を描き、この黒沢スタイルが評価されたようだ。これらの選考作品に加え、三池作品と、既にカンヌ歴があるものばかりで、新鮮さは薄く、映画祭事務局の選考はかなり楽をしているとの感がある。例えば、カンヌでの評価の高い河瀬作品、確かに、フランス人には受けが良く、事務局の、彼女をカンヌブランドとして強く推す姿勢に執念が感じられる。だが、現在の日本映画界において、才能豊かな30代の女性監督、安藤もも子(「0.5ミリ」)や、呉美保(「そこのみにて光輝く」、「きみはいい子」)などの逸材がおり、何故この辺りに光を当てなかったかの疑問が残る。


アジア映画

「黒衣の刺客」

 地味な存在ではあるが、アジア映画に見るべき作品があった。コンペ部門では、中国語圏の両エース、侯孝賢監督の「黒衣の刺客」とジャ・ジャンクー監督の「山河故人」が出品され、「黒衣の刺客」(原題「殺し屋」)で侯監督は監督賞を受賞。侯作品は時代劇で、スー・チー扮する女殺し屋の格好良さで活劇の面白さを堪能させてくれた。「山河故人」は中国の地方都市在住の1人の女と男2人の人生模様で、ジャ監督が得意とする青春の輝きと挫折のテーマに加え、彼らの目を通しての中国の未来像を語る壮大な家族ドラマで、見応え充分。
今回は無冠の同監督だが、近い将来のパルムドール候補最右翼であることは間違いない。
プロデューサーはフィルメックスのプログラミング・ディレクターの市山尚三である。
特記しておきたい作品が、韓国のシン・スウオン監督の「マドンナ」である。3作品目の若手女性監督の新作で、「ある視点」部門に出品された。この作品のもつパワーには、正直、驚かされた。物語は韓国財閥のトップが死に体で病院に長期入院し、延命のため、心臓移植が必要となり、同じ病院に運び込まれた、危篤の貧しい若い女性マドンナに目を付けるが、彼女は妊娠中の身であり、その腹の中の子を救おうとするのが骨子であり、金持ちが益々金持ちとなり、貧しい者は益々どん底に陥る悲劇が描かれ、現代韓国の格差社会を撃つ力作である。本作を見ると我が国の若手映画人のひ弱さを嘆かざるを得ない。



タブーへの挑戦

「マルグリットとジュリアン」

 前述の「キャロル」は女性の同性愛を扱い、近親相姦に触れたのが、コンペ出品作、ヴァレリー・ドンゼリ監督の「マルグリットとジュリアン」である。トリュフォー監督の企画として、1970年にジャン・グリュオーが書いた脚本をドンゼリ監督が4作目作品として映画化したもの。
物語は、1603年に近親相姦の罪で斬首された兄妹に起った実話であり、大胆なタブーへの挑戦と受け取れる内容である。子供の時から仲の良い兄と妹は、成人となり、肉親の枠を超え、人間個人として愛し合うようになり、ドンゼリ監督は、宗教、道徳の制限を受けない愛の可能性を提言している。愛の形として、別の在り方を追求し、それは、危険ではあるが、全否定出来ない要素を含んでいる。「キャロル」の同性愛、「マルグリットとジュリアン」の肉親間の性愛と、タブーへの切り込み方が鮮やかである。邦画では、木下恵介監督の名作「野菊の如き君なりき」(55)(原作は伊藤左千夫の「野菊の墓」)があり、そこで、政夫と年上のいとこ民子の恋が描かれている。両作を比較すると、木下作品は民子の死で収捨をはかり、本作では死を賭す展開となり、日本の微温的風土が感じられる。

今年の特徴

コーエン兄弟審査委員長
(C)八玉企画

 コーエン兄弟審査委員長を始めとする委員会は、明白に社会的作品へと舵を切った。これほど、はっきりと、社会的潮流にくみ与したカンヌ映画祭は稀有であり、見事なほどの決断だ。ここには、現実の社会問題を直に反映させねば作品が成立しにくい時代性の読み込みが確実に背後に存在している。映画は社会性と無縁な存在では有り得ないとする考えである。
個々に眺めれば、時代の検証、人間としての自立の意識、タブーへの挑戦と、現実に風穴をあける強い意識の在り方が披瀝されている。2015年のカンヌ映画祭は面白い年であった。





(文中敬称略)

《了》


映像新聞2015年6月15日号より転載

 


中川洋吉・映画評論家