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「ソ満国境 15歳の夏」
戦後70年 日本敗戦を見つめる視点
満州に置き去りにされた中学生の苦難

 今年は戦後70年の年であり、1945年の敗戦を扱う作品が多く登場し始めた。日大芸術学部映画学科教授の松島哲也監督作品『ソ満国境 15歳の夏』は、日本敗戦を見詰める視点がある。日本軍投降直後の、満州に置き去りにされた15歳の中学生の苦難を描き、戦争の悲劇より、むしろ、不毛な戦争と弱い者にのみに犠牲が強いられる状況に対する怒りが滲み出る労作である。


原作

1945年 満州の中学生たち
(C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

 原作は田原和夫著「ソ満国境 15歳の夏」(98、築地書館)である。1945年5月末に、当時満州国の首都新京(現長春)の第一中学校の3年生(当時15歳)120人が主人公だ。彼らは勤労動員で、ソ連国境の東寧報国農場へ派遣された。勤労動員は国内でも常態化し、戦時中、今村昌平監督や増村保造監督も体験しており、増村監督は、学校の授業の代りに工場に派遣され、ひたすら穴を掘らされたと後に語るように、この世代の共通体験だ。
当時は、勤労動員や昭和18年の神宮競技場における雨中の学徒壮行行進などがあり、軍部や政府の狂気としか言いようがない行為が、当然のことのように行われた。この勤労動員、実情は、満州駐屯の日本軍最強とうたわれた関東軍の国境守備放棄をカモフラージュするものである。軍隊が一般国民を守るとは大きな嘘であり、満州や沖縄戦の日本軍の行動を見れば明らかだ。


映画化の苦心

田中泯
(C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

 松島監督は、田原和夫の原作を2009年にプロデューサーから手渡され、興味を持つが、「何故今か」について確信が得られず、製作が延び延びになり、やっと2015年3月に本作を完成させた。ここに作り手の苦心が見られる。
満州における敗戦後の引き上げものの範疇に入る本作は、中国での大量の残留孤児を生み出した、当時の状況の証言でもある。日本の関東軍に見放された、女性や子供の悲惨な物語は多くの人が知るところであり、止むを得ず、赤子を手にかけた母親の悲劇などは、戦争そのものの残虐さ、悲しさを伝え、人々の胸を締め付ける。


福島原発事故と結び付け描く

夏八木勲(中央)
(C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

 70年前の悲劇を再現するために、絞られた知恵が、2011年3月11日の福島原発事故との結び付けである、その原発事故の直後には多くのボランティアの人々が福島入りし、復興へ向けた労働奉仕作業に従事した。その中の1人が、日中間の仲立ちとなる物語が編み出される。



過去と現代のつなぎ方

逃避行の中学生たち
(C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

 70年前の中国における、敗戦国日本の中学生たちの苦難の歴史と、現代の日本、それも、原発事故後の福島とが結ばれ、二つの時代の若い人々の苦難を通し、極限状態における人間性が描かれる。ここに、人間と人間の、言葉を変えれば生きる者のつながりの大切さが強調され、このつなげ方に創作の工夫がある。


福島の中学生の中国訪問

福島の中学生たち
(C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

 原発事故の後、舞台となる中学校の放送部部員たちが、物語展開の進行役となる。中学では、津波により、放送機材が流され、彼らの部活動は不能に陥る。そこへ飛び込んだのが、新品のカメラの寄贈と、そのカメラを使っての中国の小さな村での取材の招待状である。この設定は話がうま過ぎ、少し無理がある気はする。
中学生たちは、耳にしたこともない中国の小さな村へ、半ば驚きながらも、まだ見ぬ土地へ旅立つ。その折に一冊の本がカメラに添えられる。内容は、日中戦争の末期、ソ満国境近くの報国農場へ送られた120名の中学生に起きた壮絶な体験記であった。到着した晩に、招待した小さな村の村長は、中学生一同に、是非、カメラで現地を撮って欲しいとの希望を伝える。


ソ満国境の取材

 中学生たちは、報国農場を基点に、早速、寄贈されたカメラで取材を始める。フラッシュバックで、70年前の光景がよみがえる。ソ連軍の爆撃から逃げ、避難列車の出る駅を目指す120名の中学生たち、その時、彼らは日本の敗戦と、軍隊に置き去りにされたことを初めて知る。逃避行の途中、中学生たちはソ連軍の捕虜となり、食料もほとんど支給されず、50日後に解放されるが、衰弱の一途であった。福島の中学生は、70年前の苛酷な状況が、被災者である自分たちの体験と重なり合うことを理解する。衰弱し切った70年前の中学生は、たまたま通りすがりの村に助けを乞うた。この小さな村が、福島の中学生へ招待状を送ったのである。当初、村民たちは、侵略者日本に対し強い反感を抱き、120名の中学生たちに手を差し伸べることを拒否する。


村長の侠気

 しかし、村民の反対を押し切った村長は、中学生たちを各家庭に分散宿泊させ、食事を提供する。残留孤児と同様、肉親を殺した憎き日本人に救いの手を差し伸べる中国人の侠気が感じられる。被害者が加害者を助けねば、多くの日本人の生存は不可能であったはずだ。この歴史的事実を今一度、日本人は噛みしめる必要がある。この侠気のシーンが本作のハイライトである。


村長の行動とその後

 この日本人中学生たちを救った村長はすでに亡くなり、新しい村長が福島の中学生を招くが、ここにフィクションめいた物語が潜んでいる。小さな村に一泊した70年前の中学生たちは、元気を取戻し、新京への帰途につく。しかし、その中の1人の少年が村に残る。彼は朝鮮人で、自身の出自を隠し生きてきたが、ここにきて、偽日本人として生きることを拒否し、中国人になる決意をし村に留まる。長じて、この村の村長となり、彼が、福島の中学生を招いたのであった。
歴史の因縁のような話だが、ここに人間としての強い絆がある。この描かれる絆こそ、松島作品のテーマといえよう。自らの戦争犯罪の謝罪を、戦後70年に渉り避け続け、「何度、中国に謝ったらいいのだ」と開き直る日本人に対する強い警告とも、本作から受け取られる。
70年前の中学生を迎え入れる中国の、田中泯の扮する村長役は際立っている。彼の背筋の伸びた格好良さは、若いイケメン俳優も青ざめるくらいだ。元々は前衛舞踏家で、1978年パリのルーブル美術館に隣接する装飾美術館の「日本の間展」で、彼の舞踏を見る機会を得たが、全裸の肉体を駆使し踊る彼の肉体表現は、それまで見たことがなく、只々驚きの連続であった。この彼の中国の大人を思わす佇まいには魅入られた。
冒頭に登場する年配の除染作業ボランティアに扮するのが夏八木勲で、本作が彼の遺作となった。この彼が70年前の中学生の1人であることをラストで知る。彼から、中国の元同級生へと話がつながり、それが、中国からの招待状となり、福島の中学生の訪中が実現したのであった。

 



(文中敬称略)

《了》


『ソ満国境 15歳の夏』は、8月1日からK's cinema (新宿)、シネマ スコーレ(名古屋)、シネ・ヌーヴォ(大阪)ほかロードショー

映像新聞2015年8月3日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家