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「あの日のように抱きしめて」
ユダヤ人女性の視点で捉える戦後
ナチス強制収容所から生還

 ナチスの戦争犯罪をただす作品は、アウシュヴィッツ強制収容所ものなどをはじめとし、数多く製作された。しかし、「収容所のその後」の物語は少ない。この落差を埋めるのが、ドイツ作品『あの日のように抱きしめて』(クリスティアン・ペッツォルト監督)である。そして、本作は戦後、ドイツの負の過去の克服を1人の女性の視点からとらえている。


ドイツの終戦直後

ツェアフェルト(左)ニナ・ホス(右)
(C)SCHRAMM FILM / BR / WDR / ARTE 2014

 ナチス・ドイツは1945年5月8日に無条件降伏し、第2次世界大戦は終わりを迎えた。日本は、それに遅れること約2か月後の8月15日に敗戦を受け入れた。
ナチス強制収容所から生還したユダヤ人女性ネリ(ニナ・ホス)は、収容所でナチスから銃で顔を殴打され大怪我をおう。彼女の希望は、生き別れになった夫ジョニー(ロナルト・ツェアフェルト)との再会であった。当時、多くのユダヤ人たちは、パレスチナに建設されるユダヤ人国家(イスラエル)の移住を望んだ。しかし、ネリは夫との過去を取り戻すことに固執するのであった。物語は原作もので、ユベール・モンティエ著「帰らざる肉体」(早川書房/品切れ重版未定)である。


敗戦直後のベルリン

2人
(C)SCHRAMM FILM / BR / WDR / ARTE 2014

 アウシュヴィッツから解放された主人公ネリは、ベルリンへ向かう途中、当時、分割占領をしていた米国の検問に合う。同じ、ユダヤ人女性レネに伴われての帰郷であった。レネがハンドルを握り、顔を包帯でぐるぐる巻きにした助手席のネリは、米兵から顔を隠し、横を向いているところを、強引に顔をのぞかれる。余りの怪我に驚いた米兵は、すぐに検問のゲートを開け2人の女性の車を通す。
戻ったアパルトマンに落着き、ネリは顔の手術を受けるが、医者の勧めに抗い、元の顔の修復を強く望むのであった。昔の顔で、夫ジョニーとの再会を願ってのことだ。
ようやく、手術で元の顔を取り戻した彼女は、夫探しを始める。戦前は声楽家であったネリは、音楽が縁で結ばれたピアニストのジョニーが居そうなライブバーに出向く。このシーンが、空爆で破壊されたベルリンの往時の姿を映し出している。街中、瓦礫の山で、建物は破壊され、至る所闇ばかり、そして、明るいのはけばけばしい飲食街のネオンだけと、荒廃の様子が生々しく、暗闇からは、犯される女性の叫び声と、弱者に不幸が当然にように襲いかかる。このシーンの濃淡の強い質感の夜景は見物(みもの)だ。空襲の焼け跡でも、ドイツは瓦礫の山であり、日本は焼け野原と、戦禍の光景が全く違う。米兵や、成金のたむろするライブバーで、ネリは、遂にジョニーを発見する。彼は下働きの掃除夫であった。


再会

ニナ・ホス(右)と女友達
(C)SCHRAMM FILM / BR / WDR / ARTE 2014

 夢にまで見た夫を見つけたネリは、ジョニーに声をかけるが、反応がおかしい。当然、抱き合い、再会を喜ぶはずのところだが、様子が違う。彼はネリが妻に似ているのだが、収容所で亡くなっていると頑として譲らない。その上、ネリは戦争で家族を失い、その遺産を山分けしようと持ち掛けるのであった。幸せだった戦前に執着を持つネリは驚き、落胆するが、一縷(る)の希望を託し、彼の詐欺話に渋々乗る。苦渋の決断だ。そして、アウシュヴィッツから生き返って生還するさまを親類に見せ、彼女が正当な遺産相続人であることを仕立て上げ、彼女が戦前に身に着けていた赤いワンピースやパリで求めた靴を履かせ、準備を整える。



ニュルンベルク法(人種法)

ニナ・ホス
(C)SCHRAMM FILM / BR / WDR / ARTE 2014

 ここで、新たな事実が明らかになる。ネリの親友ルネは、ジョニーを数か月前に市内で目撃し、彼女は、ネリの収容所送りの際、離婚届を出した事実を掴む。当時、ナチスはニュルンベルク法を施行し、ユダヤ人とドイツ人との結婚を禁止した。そのため、多くの夫婦が法律に従い、止む無く離婚届を出し、身の安全をはからざるを得なかった。ジョニーも、妻と別れ、ネリは収容所送りとなった。ある意味では、この非道な法の下では、やむを得なかった選択である。

夫の認知拒否

 すっかり元の顔を取り戻したネリに対し、ジョニーは認知を拒否するが、ここに話として、いささか辻褄が合わない感がある。物語の展開として、2人が認知し合えば、このままで終わらざるを得ず、2人のこの問題は見る側の解釈に任されているような気分にさせられる。




2人の立場

自転車に乗る2人
(C)SCHRAMM FILM / BR / WDR / ARTE 2014

 法的には、離婚している2人だが、ネリには強い過去への執着があり、女性が男性に従う展開となる。
ジョニーは、離婚を伏せ、合法的にネリに遺産相続をさせる腹で、昔の彼女を復活させ、ことを運ぼうとする。2人は親類たちの前で、帰還の無事を演じ、周囲も納得する。しかし、ここで、大逆転が用意されている。最終的にネリは、過去と決別し、未来へと一歩足を踏み入れるラストとなり、ミステリー風の物語にピリオドを打つ。この話の運びが非常によく練られている。ただし、ジョニーの妻に対する認知拒否の論理性は脇に置くとして―。


スピーク・ロウ

 主題歌はジャズのスタンダード・ナンバーで有名な「スピーク・ロウ」は、男女のはかない愛と別れを切々と歌い上げ、この歌が実に上手く効いている。この作曲はクルト・ヴァイル(1900−1950)で、ブレヒトの三文オペラの主題歌「マック・ザ・ナイフ」(1926)の作曲家である。純クラシック畑のヴァイルのジャズである。彼はナチスの政権掌握後、アメリカに亡命し、ブロードウェイ・ミュージカルのスター作曲家として活躍し、その間にミュージカル「ワン・タッチ・オヴ・ヴィーナス」(1943)を作曲し、その中の一曲が「スピーク・ロウ」である。


市民の傍観

 今年は戦後70年の記念すべき年であり、多くの著作や記念行事が世界各地でも催されている。そのメインはドイツの戦争犯罪と日本の海外侵略に対するものである。
ネリが収容所送りになる前に、夫婦はあるドイツ人に匿われる。戦後、その家を訪れた彼女は、以前ナチスに発見され、捉えられた時、ドイツ人たちはただ傍観するだけであったことを思い起した。
このシーンは短いが、非常に重要である。ナチスのユダヤ人虐殺に一般市民が加わっていた事実の暴露で、彼らは加害者の一員でもあった。丁度、戦時中、日本人にもこの姿を重ね合わせることができる。それは、体制に迎合した国民による現状の黙殺であった。


個が徐々に復権する過程を描く

 ドイツ人の夫とユダヤ人の妻の愛という個の問題が、アウシュヴィッツ収容所、戦争という大きな渦に翻弄され、ラストは個の自覚と解放へと向かう道筋を『あの日のように抱きしめて』は示している。歴史の荒波に抗い、個が少しずつ復権する過程を描く作品の構成力の強さが大きな見どころだ。

 



(文中敬称略)

《了》


8月15日(土)より Bunkamuraル・シネマほかにて全国順次ロードショー

映像新聞2015年8月24日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家