このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『ふたりの桃源郷』
25年にもわたる記録の集大成
山口放送制作のドキュメンタリー映画

 ローカルの民間テレビ局が自社制作のドキュメンタリーを、映画作品として一般公開するケースが時折見られる。山口放送制作の映画『ふたりの桃源郷』(佐々木聰監督)は、その一例だ。「山口放送」の前身は、昭和31年(1956年)に開局した、山口県で最初の民間放送「ラジオ山口」(KRY)である。同局制作のドキュメンタリーは、地域に密着したローカルなニュースを扱い、最初は報道番組としてオンエアしている。

25年にわたる長期制作番組

ビールで乾杯
(C)山口放送

  『ふたりの桃源郷』の制作期間は25年に及び、テレビドキュメンタリーとしては異例の長さである。
物語は山口県岩国市美和町の山奥。空中撮影で映し出される夫婦2人で切り開いた桃源郷は、山また山の奥で、その規模の小ささから村の体を成さず、掘っ立て小屋と自ら開墾した畑だけで、他に何も目に入らない。
同地に住む1組の夫婦、田中寅夫とフサコ夫妻を、山口放送のドキュメンタリーチームが長きにわたり追った。その後、山口放送が再編集などをし、1本の映画作品に仕上げた。


人跡未踏の軌跡

娘たちと
(C)山口放送

 住人の田中夫妻は電気も水道もない辺地で、自然の真っただ中で日々の暮らしを営む。最初の画面に登場する2人の老人はとにかく明るい。
妻のフサコは、腰が曲がり老婆そのものでありながら、日常の畑仕事をこなし、山道も不自由なく歩き回る。夫の寅夫も元気そのもので、ストーブ用の薪割りが日課である。



夫妻の歴史

山の開墾地
(C)山口放送

 2人とも戦災がきっかけで、不便な山暮らしを余儀なくされる。彼らは、昭和22年(1947年)にフサコの実家近くに山を買い、ゼロから開墾を始め、後の畑を作る。夫の寅夫が33歳の時である。
この地で採れる野菜が彼らの大事な食料品である。フサコはおしゃべりな性格でいつも口を動かし、寅夫は黙って楽しそうに彼女の話をニコニコしながら聞く。2人とも、とにかく機嫌が良い。幸せな証拠である。食卓の缶ビールは見る者の心を和ませる。



戦後の農耕生活

義母を背負う三女の夫
(C)山口放送

  電気もない山奥で暮らす夫婦
どのような経緯(いきさつ)で2人は結びついたのか、作中での説明はないが、戦前の昭和13年(1938年)に、夫24歳、妻19歳の時に結婚している。この地方に暮らす普通の人たちと想像できる。そして大事なことは、寅夫の出征である。昭和20年(1945年)、終戦の年に南方から無事復員する。戦地では、食料の補給が途絶え、多大な苦労をしたことは想像に難くない。
終戦直後、日本国民は皆、食料を求め苦労し、田中夫妻も例外ではないはずだ。2人は農業に生きる道を見出す。賢明な選択である。この山奥の農業生活で、農民としての強さを身に付け、3人の娘を育て上げる。
当時は、電気、ガス、水道がなく、冷たい水で洗濯し、米をとぐ毎日。現在では考えられぬことであるが、田中夫妻にはこの生活を続けた。庶民の目から見た、戦前・戦後の日本の現代史を象徴する人々である。



生活信条

出征前の夫妻
(C)山口放送

 戦争を体験した田中夫妻は、その後の人生において、戦時体験をずっと背負って生きている。
とにかく物資不足時代を乗り切り、少しずつ国民が豊かになり始め、その実感が行き渡る実感が1964年の東京オリンピックとされる。象徴的なものとして、お湯をかけてすぐに食べられる「日清チキンラーメン」がある。多くの人は白物電気製品を三種の神器として崇め、生活はどんどん便利になる。
筆者の母親世代は冷たい水での洗濯や食器洗いから解放された。その便利さ自体は決して否定するものではない。しかし、田中夫妻は世の中の便利さに背を向け、あえて自然の中での暮らしを選ぶ。不便な戦後の生活を乗り切る彼らは、「人間、このように生きていける」との確信を得たのである。
ちょうど、本橋成一監督の『アラヤシキの人々』(2015年)と同様である。この自然を取り込む日常こそ、彼らの生活信条である。


家族の和

一家の山での集まり
(C)山口放送

 主人公の田中夫妻は3人の娘の親である。彼女たちの教育のため、不便だが住み慣れた山の生活を諦め、一家は大阪へと引っ越す。ここで父親の寅夫は個人タクシーの運転手として3人の娘を育て上げる。成人した彼女たちは奈良、大阪で世帯を持つ。3人とも、両親を自分の所に呼び寄せる希望を持つが、両親は山から離れたがらない。そんな彼らを見て、大阪、堺市の寿司屋に嫁いだ三女の恵子は、夫と一緒に両親と山で共に暮らしてもと考えるようになる。夫の安政も、寿司屋を辞めても良いと妻の考えに賛成する。娘も優しいが、この夫の人の善さにはただただ感心する。
長女も、次女も、老い先の短い両親のために、月に一度、皆が孫を連れて山へ遊びに来る。家族の和がすこぶる良い。不便な山の生活で、一生懸命子育てをする親の背中を見て育ったに違いない。あまりに善人だけだと話として退屈だが、この一家の和気あいあいぶりには、引込まれる。


重ね合い人生

肥溜を担ぐ夫
(C)山口放送

 東京における最終試写会場に、わざわざ山口から上京した佐々木監督が、舞台あいさつで述べた言葉が忘れがたい。本作『ふたりの桃源郷』は大切な人を重ね合わせ見る作品であることを強調。田中夫妻は子供たち、子供たちは両親、見る側は自身の両親、兄弟、そして親しい友人たちを重ね合わせるに違いない。
そこが作品の持つ吸引力であり、情緒的な表現であれば「心」の通い合いである。この重ね合いこそ、作品の見どころなのだ。ただの善意のもっと奥へ見る者を誘(いざな)う力がある。


制作過程

夫 田中寅夫
(C)山口放送

  テレビドキュメンタリーの映画化には、1つのルーティーンがある。まず、地方ローカル報道番組から始まる。『ふたりの桃源郷』の歴史は大変古く、2002年までさかのぼる。
最初は20分の報道番組だったが、好評の声に押され、定点観測ものへと拡大し、系列局(日本テレビ)のドキュメンタリー枠「NNNドキュメント16」(毎週日曜日零時45分からの30分番組)で、02年から13年まで放映され、人気を博した。その番組に、新たに撮影した映像を加え、再編集し、87分の映画作品にまとめ上げたのが本作である。
最近ドキュメンタリー放映は、隔週や深夜の片隅に追いやられるなか、日本テレビのドキュメンタリーに対する見識を感じさせる。
本作は山口放送開局60周年の記念番組であるが、何人かのディレクターのバトンリレーにより誕生した。
テレビドキュメンタリーのディレクターは、より多くの人々に自作を見せたい欲求を持つが、これが簡単ではない。局内にドキュメンタリーに実績を持つ先輩ディレクターの存在は必須条件である。さらに、作品ディレクターの熱意がなければ、映画化は困難である。本作、山口放送、ドキュメンタリーチームの地道な努力の結晶である。


ラスト走者

妻 フサコ
(C)山口放送

  25年の長きにわたる記録のバトンを託される最終走者は、テレビドラマ制作部で活躍する今年44歳の佐々木聰(あきら)である。注目すべきディレクターの1人だ。
近作は山口放送制作「NNNドキュメント 16」でも放映された「奥底の悲しみ」(2016.2.22放映)である。終戦直後、日本人移民は満州に取り残され、ソ連兵により、夫や子供の目の前で凌辱され、その後自殺する「特殊婦人」を扱った、壮絶な終戦ものであり、こちらも是非とも多くの人に見て貰いたい。
ナレーションは『男はつらいよ』(山田洋次監督シリーズ)で、国民的コドモ役で知られた、満男役の吉岡秀隆である。
戦災で総てを失った若い夫婦が「自分たちのものは自分たちで作ろう」の信念を貫く、山の中での生活、豊かな生活を今一度、振り返えさせる一作だ。

 



(文中敬称略)

《了》

2016年5月14日(土)−東京・ポレポレ東中野、6月11日−山口県内5館(+1館調整中)を皮切りに全国順次公開予定!

映像新聞2016年5月2日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家