このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『独映画の今を知る新作4本』
東京ドイツ文化センターで上映会
感じられる若手・中堅の実力

 日本では見ることの少ないドイツ映画の新作上映会が、『2015 ドイツ映画 映像の新しい地平』と銘打ち、去る11月4日−7日まで、東京・赤坂の東京ドイツ文化センターで開催された。日本でのドイツ映画の存在感は薄く、本国で賞を取った作品でも輸入、配給がなかなか難しい。今回の上映会では面白い作品がそろった。大変遅れ気味であるが、その内容をレポートしてドイツ映画の魅力を伝えたい。

  数年前、ドイツ映画輸出公団と東京ドイツ映画センターが中心となり、毎年「ドイツ映画祭」が開催され、力のあるドイツ映画を目にすることができたが、経済的理由で、数回で取り止めになった。開催当時は、ドイツから使節団が来日し、部厚いプログラムが作成され、並々ならぬ意気込みを感じさせた。このドイツ映画祭に出品される中堅、若手監督の実力には注目すべきものがあった。その中でも特に目を引いたのが、ドイツの若手監督の社会と向き合う姿勢であり、これは今新作上映会でも見られる。

ドイツの今を見る

「ロストックの長い夜」

  移民・難民問題を描いた秀作
 現在、欧州、ドイツにおける1番の社会問題は、シリアやアフリカに源を発する移民、難民問題である。主として、地中海沿岸諸国からゴムボートで命からがら逃げてくる難民の姿をテレビで見ない日はなく、遠く離れた日本でも大きく伝えられている。
その難民、移民にスポットを当てたのが『ロストックの長い夜』(2014年/ブルハン・クルバニ監督)だ。監督の両親はアフガンからの亡命者で、彼自身はドイツ生まれドイツ育ちの35歳の若手である。
舞台はドイツの地方都市ロストックで、時代は1992年8月。この当時、同市で難民襲撃事件が起き、この一件から、『ロストックの長い夜』は想を得ている。

社会と向き合う強い姿勢

 当時、街には失業者があふれ、難民への襲撃が日常化。17歳のシュテファンは退屈しのぎで、ネオナチの活動に加わる。元々ナチスを生み出したドイツでは、潜在的なネオナチが一定の力を持つ社会的土壌がある。
隣のフランスでは70年代ごろから、今や有力政党にのし上がった極右の国民戦線(FN)が台頭し始めた時期である。極右、ネオナチの一群の共通のスローガンは「移民が我々の職を奪っている」であり、いわゆるプアーホワイト(白人底辺層)に支えられている。ドイツの場合、移民は、労働力不足のため、戦後、トルコ人を入れたのが始めである。
英国のインド人、パキスタン人、フランスの北アフリカ人(アルジェリア、モロッコ、チュニジア)は植民地支配により戦前流入したケースとは異なる。現在、ドイツでは、トルコ人こそ社会の安定を乱す人々と、ネオナチの標的になっている。
主人公のシュテファンの父親はドイツのリベラル政党、社民党議員だが、ナショナリズムの弊害を認識しながらも、積極的に動けない状態であり、息子との意志の疎通を欠いている。このロストックのケースでは、べトナム移民がネオナチの暴力の対象として描かれる。
若いネオナチが、ある時、べトナム人住居に火炎瓶を投げ、侵入し破壊の限りを尽くす。やや遅れて警察、消防らが駆けつけるが、事態は深刻の度合いを増す。実際に起きた襲撃事件の24時間を描くもので、89年ベルリンの壁崩壊後のドイツの社会状況が写し取られている。
この被害者のべトナム人を、アラブ人やアフリカ人に置き換えれば、全く現在と変らない。クルバニ監督の狙いは、92年の事件が現在の状況と深く結びついていることへの警告である。ドイツの暴力支配の実相と容認、まさにナチスを生み出した戦前と同様な思考回路が見え隠れする。『ロストックの長い夜』には、社会と正面に向き合う愚直さと現状を告発する強い姿勢がある。この点が同作のとりえであり、若手監督の勇気ある発言だ。2015年ドイツ映画賞では作品賞、撮影賞にノミネートされ、助演男優賞を受賞。国内で高く評価された。


ワンシーン・ワンカットの力業

「ヴィクトリア」

 『ヴィクトリア』(2015年/セバスティアン・シッパー監督)は、全編をワンシーン・ワンカットで押し通す驚異的な作品だ。映像の長さと、実働時間が同じテクニックで、大変な力業で注目される。このテクニックは、モンタージュなしで撮り切るが、俳優を使っての事前のリハーサルの大変なことは想像に難くない。
物語自体はシンプルである。舞台はベルリンのディスコカフェ、主人公のヴィクトリアはウェイトレスとして働くスペイン出身のチャーミングな若い女性。場内は音楽がガンガン鳴り、若者たちは酒を飲みながら大騒ぎをする。
やがてクローズとなり、精力を持て余し気味の若い男、4人組は、ヴィクトリアを誘い、夜の街を徘徊する。彼女は危ない連中と思いながらも彼らについて行く。この男性たち、実は、親分から命じられ、早朝に銀行を襲うことになっている。しかし、1人が飲み過ぎ、仕方なくヴィクトリアに運転手役を押し付ける。ラストは警官に包囲され、悲劇的結果となる。
無軌道な青春と背後の真のワルの存在を描く作品で、お決まりの筋であるが、それを救うのが、ディスコから早朝の銀行襲撃を一気に撮り切るワンシーン・ワンカットのテクニックである。
映画とは作品の内容がメインで、テクニックはそのサポート役だが、攻守が入れ変わった感がある。本作、ドイツ映画賞では作品賞を始め6部門を独占、2015年のドイツ映画界の画期的作品とされ、東京国際映画祭でも上映された。



しゃれたコメディ

「リンの夢」

 若い人の洒落のセンスには思わず感心させられることがあるが『リンの夢』(14年/インゴ・ヘープ監督)は、その種の作品だ。
リンはホテルの清掃係、客のいない部屋で洋服を試着したり、情事を覗き見する好奇心の強い、普通の女性だ。その彼女がのぞいていたSM嬢に心を奪われ、自前で彼女を買うことになる。この2人の落差が面白い。リンは平凡なタイプ、一方、SM嬢は同性でも惚れ惚れする長身、金髪でボーイッシュな女性である。
最初、SM嬢はリンを馬鹿にするが、段々と同性愛的関係に発展する。この発想が面白い。



よみがえるファスビンダー

「ファスビンダー」

 1970‐80年代の欧州で強いインパクトを与えたのがニュージャーマン・シネマだ。その中にあり、ヴェルナー・ライナー・ファスビンダーは特異な存在として知られている。反体制的でアナーキー、しかもゲイである彼は、演劇から出発し、その後映画へ進出し、『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』(72年)、『マリア・ブラウンの結婚』(78年)などを製作し、37歳の若さで他界した。
この彼についての関係者の証言で構成されたのが『ファスビンダー』(2015年/アンネカトリン・ヘンデル監督)であり、彼の作家としての資質と社会性が良く出ている。特に、彼の作品のミューズのハンナ・シグラの「言うべきことは言っておいた方が良い」との語り、親密とされた2人の別の一面が垣間見え興味深い。映画史的にも、ニュージャーマン・シネマ研究にも貴重な証言集である。
最新のドイツ映画4本から、若手・中堅監督の力(りき)が感じられ、ドイツ映画の現在を知る上で貴重な機会である。





(文中敬称略)

《了》
映像新聞2015年12月28月掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家