このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『火の山のマリア』
中南米映画の勢い感じる新人作品
格差・貧困と闘う女性の強さ

 中南米のグアテマラから、今年39歳の新人監督ハイロ・ブスタマンテによる長編第1作、『火の山のマリア』が公開される。現在、好調の中南米からの1本で、「2015年ベルリン国際映画祭」で銀熊賞を得、グアテマラ史上初の米アカデミー賞エントリー作品でもある。彼の1作は現在の中南米映画の勢いを感じさせる。

火の山とマヤ族

マリア
(C)LA CASA DE PRODUCCIONy TU VAS VOIR-2015

  グアテマラは、地理的にはメキシコの南に位置する。中南米に住んだ日本人によれば、穏やかな気候に恵まれ大変住みやすい所だという。面積は、北海道と四国を合わせたよりは広い。日本と同様の火山国で、地震が多く温泉もある。人口は約1500万人と、小さな国であり、国民の約半分がマヤ系先住民である。
彼らの祖先は古代マヤ文明の繁栄をもたらせ、現在も独自の文化・言語を有している。しかし、スペイン人ペドロ・アルバラードによって1524年に征服され、支配層はスペイン人とインディヘナの混血であるメスティソであり、今日に至る。
マヤ族はスペイン征服後、二等国民扱いとなる。スペイン語が話せず、主要産業は混血たるメスティソに支配され、高地の僻地へと追いやられる。彼らは火山付近の肥沃な土壌で農業を営み、マヤ独特の習慣や伝統を守り、貧しくも慎み深い。作中、彼らの信仰心のあつさが随所に見られる。
高地へき地に追いやられた彼らは、教育や保健医療の利用も、スペイン語を話さぬため制限され、貧困率は8割にも上る。彼らは貧困から抜け出す手立てとして外国移住の強い願望がある。


マリア一家

マリア
(C)LA CASA DE PRODUCCIONy TU VAS VOIR-2015

 マヤ族の17歳のマリアは、両親と山の中の粗末な家に住んでいる。父は近くの農園に雇われ、家には殆んど居ない。家事は母親1人で何でも切り盛りし、若いマリアはもっぱら母親の手伝い役である。生活は、電気、ガス、水道もない原始的暮らしである。
冒頭、母娘2人して豚を豚舎から引きずり出す。すべての力仕事は、2人の女性の双肩にかかる。そこには父親の姿はない。この豚を絞めるが、どうやらマリアの婚礼宴用である。
一家は小作人で、収穫が上がらねば土地から追い出され、別の農園を探さねばならず、経済的にはひっ迫している。マリアは、コーヒー園でコーヒー豆を摘み取る作業をし、家計を助ける。
彼女は、米国への移住を夢見る青年ペペに思いを寄せる。現状から抜け出すために一緒に連れて行って欲しいと頼むと、ペペは条件として性交渉を要求する。迷うマリアだが、米国行きの夢を叶えるために渋々承諾したものの、ペペは彼女置いて1人で旅発つ。
そのころ、マリアの周辺の住民たちは蛇の害に悩まされ、オチオチ農作業が出来ない。そんなときに、マリアの妊娠が発覚。母親は祈祷(きとう)やおまじないで堕胎を試みるが、うまくいかない。途方に暮れる母娘。そして堕胎も不可能な状態になる時期、母親は「天からの授かりもの」を受け入れる決心をし、娘を説得する。
この妊娠によって、決まりかけた婚礼も破棄される。一家は、翌年の命綱である農作物の収穫のため蛇退治をし、種まきを始める。そこでマリアが農作業中に蛇に咬まれ、緊急入院する。病院で一命を取りとめたマリアだが、腹の子は死産と伝えられる。
そして、原住民の言語しか理解しない彼らにとりスペイン語はわからず、マリアは言われるままに福祉用の書類にサインをする。このことがラストの大ドンデンにつながる。




終盤の盛り上がり

母と娘
(C)LA CASA DE PRODUCCIONy TU VAS VOIR-2015

 苦しいマヤ族一家の生活、蛇に悩まされる農作業と、物語は淡々と進む。しかし、事態が大きく動き始める。ここからが壮絶なドラマだ。
自分の意志を持たず、母親に黙って付いて生きてきたマリアに変化が現われる。子供を失う彼女は、今までは「生」への執着に乏しかったが、死んだはずのお腹の子を急に探し始める。そこから新たなドラマが発生する。



「生」を体現する2人の女性

マリア
(C)LA CASA DE PRODUCCIONy TU VAS VOIR-2015

 マリアと母親を軸とし物語は進む。女性により世界が動いている実感がある。男性にもてあそばれるマリアは、普通の描き方をすれば、自暴自棄となり、昔流に言えば苦界に身を沈める事態に至ってもおかしくない。
女性の不幸をこれでもかと見せる戦前の日本映画や、韓国の最近までの1つの映画ジャンルである「カワイソウイズム」を乗り越える強じんさが『火の山のマリア』にはある。
何が来ても驚かず娘を大事に育てる、大地をしっかりと踏みしめ生きる母親こそ、「生」の源であり、その精神は娘マリアにも確実に伝わる、爽快(そうかい)さ、強さこそ、ブスタマンテ監督が描きたかったところである。



貧困を描くリアリズム

ペペ
(C)LA CASA DE PRODUCCIONy TU VAS VOIR-2015

 社会的事象を表現
昨年の「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2015」で、似たテーマのメキシコ作品が上映された。『絶え間ない悲しみ』である。メキシコの塩田で働く一家の物語で、人間関係が複雑だ。
貧しい一家の主人には、愛人がおり、しかも、自分の年頃の娘にも手を出し妊娠させる話であり、『火の山のマリア』と酷似し、どうしようもない貧困と社会を描いている。両作品に共通するのは、農民の貧困であり、彼らの多くが原住民で、貧困から這い上がれない人々である点だ。
この格差社会と貧困は中南米共通の社会問題で、今日も続いているこの現実に、若手監督たちが目を向け始めたといえる。この社会的事象を表現する手法としてリアリズムが採られている。ラテン諸国の伝統ともいえるリアリズムは、社会的事象のひずみに向き合う時に力を発揮する。『火の山のマリア』はその好例である。


製作の原点

マリアの母
(C)LA CASA DE PRODUCCIONy TU VAS VOIR-2015

 ブスタマンテ監督は本作を作るべくして製作したと考えられる。シングルマザーである彼の母は一種の社会活動家で、高地へき地での小児まひの予防接種を薦める仕事に就いた。子供時代の彼を伴い山奥に入ることが多く、彼自身、幼い頃からマヤ族の生活の実態を目にする機会が多かった。そこが、彼の製作の原点となる。
やがて学業のため、高所を離れ進学する。そして、パリのコンセルヴァトワールやローマで映画を専攻。その後、短編を製作し、それらが認められ、本作を長編第1作として世に送り出した。
映画インフラのない祖国グアテマラでは、製作が難しく、欧州での映画修行で得た人脈の助けを借り、本作の製作に漕ぎつけた。


生きるということ

マリア
(C)LA CASA DE PRODUCCIONy TU VAS VOIR-2015

 『火の山のマリア』は、地に足がつき、どっしりした女性の生き方を描くことが主眼であり、女性中心の作品の印象が強い。彼女たちの生き方の裏にある、多くの先住民たちの貧困にも目が注がれている。
導入部から後半のドラマまでの展開が少し弱いのが気になった。

 



(文中敬称略)

《了》

『火の山のマリア』は2月13日から岩波ホールほか全国順次公開

映像新聞2016年2月8日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家