このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『母よ、』
イタリア映画界代表する監督の新作
優れた脚本、緩急自在の演出

 昨年のカンヌ国際映画祭コンペ部門で上映された、イタリアのナンニ・モレッティ監督作品『母よ、』が、3月12日から日本で公開の運びとなった。既にカンヌでは、最高賞であるパルム・ドールを得ている同監督は、いわば卒業生である。しかし、枯れるには程遠く、現役バリバリの力を見せつけた。

賞とは審査員の好み

記者会見のモレッティ監督
(C))八玉企画

  『母よ、』は、コンペ部門で選外に終わったが、決して評価の低い作品ではない。審査員の好みに合わないだけだ。昨年は、ジャック・オディアール監督の『ディーパンの闘い』(フランス)がパルム・ドールに輝いた。内容的には、2009年の同監督作品『預言者』の方がより密度が濃く、筆者は当時「彼が最高賞」と個人的な感想を抱いた。
本紙2月22日号でも少し触れたが、昨年からカンヌ国際映画祭の会長は85歳のジル・ジャコブに代わり、フランス有料テレビの最大手「カナル・プリュス」のトップであったピエール・レスキューが就任した。作品選定の代表であるチエリー・フレモー総代表(ナンバー2)をはじめとする映画祭事務局は、何とか新会長の顔を立てる意味で、自国の意欲作を並べたと思われる。
フランスの映画祭が、フランス映画を盛り立てるのは当然である。しかし、審査員たちが事務局の意向を忖度(そんたく)し、おもねるフシも感じられる(審査委員長は米国のコーエン兄弟)。
同様な事例として、昨秋のフィルメックスでも見られた。アジアの若い才能の発掘を主眼とする同映画祭、かなり難解な作品をそろえ、審査員はそれに乗り、観客を置き去りにする感があった。


内容の重さ

ナンニ・モレッティ(左)、マルゲリータ・ブイ
(C)Sacher Film . Fandango . Le Pacte . ARTE France Cinema 2015

 重いテーマをユーモアで包む
モレッティ監督は前作『ローマ法王の休日』(11年)の編集中に母を失くし、この実体験から本作製作の想を得た。しかし、主人公は、監督本人ではなく、女性に置き換え、ベテランのマルゲリータ・ブイ(『はじまりは5つ星ホテルから』[13年])を起用、彼女から狙い以上の成果を引き出した。自作主演が多いモレッティ監督は、今回は女性からの視点に重きを置き、自らは意図的に脇に廻り、控え目に振舞っている。
主人公のマルゲリータは女性映画監督で、新作を撮影する現役だ。彼女は、離婚し、元夫との間には中学生の娘1人がいる。その彼女の元ラテン語教師の母は入院中で、モレッティ監督扮(ふん)する兄と共に母を介護している。母は末期がんであり、仕事、介護と家庭の中でマルゲリータは独りキリモミ状態に陥る。
クリエイティブな仕事に就き、多くの問題を抱え込む悩み多き女性のテンションの高さと、その後の落ち込みの両極端を行きつ戻りつの人生に対処する姿が、ブイ演じる主人公により人間味溢れるタッチで描かれている。




撮影現場

病床の母と娘(マルゲリータ)
(C)Sacher Film . Fandango . Le Pacte . ARTE France Cinema 2015

 主人公マルゲリータは、撮影現場にどっぷりつかり、スタッフを叱咤(しった)激励しながら、現場を仕切る。時に金切り声を上げ、時に長い間沈黙と、周囲のスタッフをハラハラさせ通しだ。監督の無理難題にただただ黙り込む、スタッフの困惑ぶりは、現場の雰囲気が直に伝わる。
この激しさと、現場の困惑ぶりは、撮影現場の生(なま)の再現とも思え、斜陽を云々される、映画産業自体の健在さを見る者へ訴える、監督の狙いかも知れぬ。



苦境に現われる男性たち

運転シーン
(C)Sacher Film . Fandango . Le Pacte . ARTE France Cinema 2015

 八方ふさがりの彼女に、性格が両極端である2人の男性が支える。1人は彼女の兄役のナンニ・モレッティ、彼自身、役者としても優れ、冗舌で場をさらう芝居を得意とするが、今回は意図的に脇に徹している。忙しい映画監督の妹に代わり、手造り弁当を母に差し入れする優しい人柄で、介護のため仕事を辞め、付きりの毎日。
もう1人はマルゲリータの映画に主演するイタリア系米国人ジョン・タトゥーロだ。既にカンヌ国際映画祭で『バートン・フィンク』(91年)の演技で主演男優賞を獲得し、黒人監督スパイク・リー組の常連で、一癖も二癖もある役柄を得意とする性格俳優である。この静と動の組み合わせが光彩を放っている。



現場での壮絶な口論

祖母と孫
(C)Sacher Film . Fandango . Le Pacte . ARTE France Cinema 2015

 イタリア映画の面白さは、うまい役者によるむき出しの人間像のぶつかり合いにある。
作中、虚言癖のあるタトゥーロ扮するハリウッドスターの存在が実におかしい。大スター気取りの彼はスタンリー・キューブリック作品の常連のようなことを口にし、得意然としている。監督のマルガリータは、それがウソと分かっているものの、彼の機嫌を損なわないように黙って聞く。しかし、現場でリテイクを要求する彼に対し、時間の余裕もなく、彼女が拒否するシーンがある。
母の介護、勝手に振舞う娘と、内心イライラをためた彼女は堪忍袋の緒を切らし、2人で大口論を始める。「あんたなんて、キューブリック作品に出演なんてしてないじゃない。このウソつき」と口火を切り、口から生まれてきたようなタトゥーロが大反撃する。西欧流の激論を戦わせての自己主張である。議論を重ねて、自己主張する文化のない日本では考えられぬ激烈さだ。
わが国では、仕事上の意見の違いを口に出さない習慣がある。このイタリア式の議論の激しさは、見る者をぼうぜんとさせる。それにマルゲリータが敢然と挑むすごさ、モレッティ監督は、よくもこれだけの女優を起用したものと、うならざるを得ない。


労資協調のダンスシーン

娘たちと
(C)Sacher Film . Fandango . Le Pacte . ARTE France Cinema 2015

 タトゥーロの役柄は社長で、会社不況のためリストラを行おうとし、組合と対立する。たまたま社員食堂へ姿を現わす彼に対し、労組対立の中である組合員たちは白い視線を向ける。
これに対し社長は、照れ隠しもあり、自ら踊りのステップを踏み出す。しばらくして、労組の小太りの中年女性がステップに合わせ踊り始める。モレッティ作品ではブルジョアとプロレタリアートの階級の対立が常に底流にあり、この踊りのシーンもその階級を現わしている。
しかし、本作は労使のにらみ合いではなく、一時休戦の形を取る。さわやかで、ホッと和む粋なシーンであり、冷血なリストラ執行人の社長(タトゥーロ)の人間的一面を写し出し、モレッティ監督の緩急自在の演出振りが冴える。


普遍的なテーマ

 仕事、家族関係、そして介護、母の死と重いテーマを提示するが、重苦しさよりは、むしろ人間の一生の一コマをすくい上げ、それらの要素をユーモアで柔らかく包み込む作りであり、見た後、それぞれの人生を考えさせる。
昨年のカンヌ国際映画祭では無冠に終わったが、審査員の構成次第では最高賞も考えられた。賞の有無を別にすれば、モレッティ監督自身、確実に映画史に残る巨匠の第一歩を踏み出している。
脚本の良さ、モレッティ監督の才気、そしてイタリアの俳優のうまさ、非の打ちどころがない。

 



(文中敬称略)

《了》

3月12日(土)、渋谷Bunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテほかにて公開

映像新聞2016年3月7日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家