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『弁護人』
韓国民主派大統領の弁護士時代がモデル
スリリングな法廷シーンが展開

 戦後の韓国では長い間、軍事独裁政権が続き、第15代大統領キム・デジュン(1998−2003年)の登場を待たねばならなかった。以来民主化が進み、第16代大統領には民主派のノ・ムヒョン(03−08年)が就いた。彼は、待望久しい民間の一介の弁護士で、人権擁護で知られる。その彼の実話をベースにしたヤン・ウソク監督の『弁護人』(13年製作)が、11月12日から公開されている。

 
現在の韓国は民主国家であるが、パク、チョン両軍事独裁政権が1970年代から80年代末にかけて国民を苦しめ、多くの人々が反共論理を楯(たて)に辛酸をなめた。この間の民主化への努力と情熱、そして民主化獲得について触れねば、『弁護人』は単なるスリル満点の裁判劇としか見られない可能性がある。そこで本稿では、まずその周辺を描くことから始める。 『弁護人』は、このノ・ムヒョン大統領の駆け出し弁護士時代から、政治家へ転身するまでの一時期をベースとしている。ノ・ムヒョン大統領を思わす弁護士には、韓国を代表する男優ソン・ガンホが扮(ふん)している。


高卒判事

被告の青年とソン弁護士
(C)2014 Next Entertainment World & Withus Film Co.

 作中、主人公のソンは家が貧しく高校進学をあきらめていたが、成績優秀なため、父親や周囲の勧めで何とか進学する。卒業後は、司法試験に合格。高卒が判事になること自体異例であるが、優秀なソンはこの難問を突破し、社会人として出発する。
ソウル大学を頂点とする学歴社会が根を下ろす韓国では、高卒の判事などまるで相手にされない。思い余った彼は、釜山に本拠を移し、不動産専門弁護士へと転身する。しかし、ここでも学歴社会の壁は厚く、弁護士社会でも馬鹿にされ通しである。
そこで思いついたのが、チョン・ドゥファン軍事独裁下の80年代の不動産ブームであり、ほかの司法仲間から軽く見られながらも、司法書士の仕事と思われる不動産に目を付ける。


商売大繁盛

法廷、被告の母親(中央)
(C)2014 Next Entertainment World & Withus Film Co.

 無名だが行動力抜群の彼は、大量の名刺を夜の繁華街でばらまく。その効果は抜群で、問題を抱える人々の関心を引く。翌朝、真先に事務所に現れたのが繁華街の美人ホステスで、その後、順風満帆で荒稼ぎをする。
売れない弁護士の起死回生の一発として繰り出す奇手で大もうけ、そして、趣味のヨットを購入、弁護士仲間をあっと言わせる。実際、ノ・ムヒョン大統領は琵琶湖でヨットの講習に参加したことがある。
このように、精力的に庶民の不動産のゴタゴタを片付けるソンは、お金をもうけて好きなヨットに興じ、家族を大事にするごく普通の人間だ。



人生の転機

ソン弁護士(左)
(C)2014 Next Entertainment World & Withus Film Co.

 ソンが売れない時代、行きつけの安食堂のエピソードがインサートされる、親切なオバさんは、彼の貧乏ぶりを見てツケで長い間食べさせる。韓国人お得意の義侠(ぎきょう)心である。この彼女には大学生の息子がいる。この息子が、反共法といわれる「国家保安法」の容疑でチョン軍事独裁政権に逮捕される。
今や売れっ子弁護士となったソンには、大企業から顧問弁護士の依頼が舞い込む。その彼の元に食堂のオバさんが「息子がこの2カ月行方不明で、何とかしてくれ」と頼み込みに来る。多忙を極める彼は、最初は渋るが、昔の恩のあるオバさんの頼みを断れない。
この一件で、今まで能天気に政治と無縁に過ごしてきたソンは、人生の岐路に立つが、この行方不明事件を契機に、人権派弁護士として、将来の大統領への道を歩み始める。しかし本作では、大統領への道については触れず、チョン軍事独裁政権との対決が法廷シーンでみっちりと描かれる。



韓国民主化の第一歩

拷問犯の治安担当者
(C)2014 Next Entertainment World & Withus Film Co.

  軍事独裁政権との対決を描く
釜林(ぷりむ)事件が人権派弁護士の第一歩となる。この事件は、反共法「国家保安法」違反で読書会を催す学生たちが不法逮捕される。拷問を受ける者の中に食堂のオバさんの息子が含まれ、恩のある彼女のために弁護士のソンは人肌脱がざるを得なくなる。
1979年に現大統領パク・クネの父親、パク・チョンヒ大統領が側近に射殺される。民主化時代の到来を思わせ、労働運動、学生運動が盛んになる兆しを見せる。それを根底からひっくり返したのが軍人チョン・ドゥファンの軍をバックとするクーデターで、韓国は再び軍事独裁政権へと舞い戻る。
80年5月17日に彼は全国に戒厳令を敷き、政敵を逮捕。その際、民主化の象徴的存在である、後の大統領キム・デジュンも捕われ、死刑判決を受ける。彼の逮捕がきっかけとなり、地元光州では大規模な抗議運動が起こる。
そして、軍隊と市民との間で市街戦が繰り広げられる。軍隊側の報道では死者170人、大半は光州市民である。この光州事件の映画化が『光州5・18−華麗なる休暇』(2007年/キム・ジフン監督、主演アン・ソンギ)だ。筆者はソウル市の映画館でこの作品を見たが、軍による市民の虐殺の描写の残酷さは今でも記憶に残る。
この事件、政府は徹底したかん口令を敷き、国民は虐殺事件の真相を知らず仕舞いと言われる。この後、韓国は「国家保安法」を楯とする徹底した反共政治へと邁進(まいしん)する。



法廷での弁護士

彼に協力する新聞記者
(C)2014 Next Entertainment World & Withus Film Co.

 ソンは、食堂のオバさんに懇願され、ほかの用件を抱えながらも引き受ける。最初の仕事は、息子との面会。刑務所側はヌラリクラリと面会の要求を拒む。業を煮やしたソンは弁護士の身分を明かし、やっとの思いで面会に漕ぎつける。息子は全身に打撲の跡。ここに来てソンの怒りがこみ上げ、最後まで戦う決心をする。
第1回公判からスリリングである。
公判の冒頭、慣例の手錠に腰ひもの被告たちの待遇を法令違反として、手錠などを解かすという、前代未聞の要求を裁判長に認めさせる。被告にも人権が保証されるべきとする、彼の信条からの行動である。


拷問犯との対決

面会所の母親と息子
(C)2014 Next Entertainment World & Withus Film Co.

 被告たちの陳述書と証人たる拷問犯の証人喚問が、ラストの裁判シーンのハイライトとなる。拷問の事実を確認し、公安関係の拷問実行犯の長を追い詰める。
しかし、なかなかシッポを出さず、逆に「もっと法律を勉強しては」と挑発するふてぶてしさ。演じるクァク・ドウォンの冷酷非道ぶり、少しのことでは動じない確信犯的な悪党であるが、彼の演技を見ていると、韓国の脇役には実にうまい役者がいるものと感嘆する。



最後の逆転

ソン弁護士(中央)
(C)2014 Next Entertainment World & Withus Film Co.

 ほぼ勝利を手中に収めるソン弁護士は、最後のダメ押しとばかりに、拷問に立ち会った軍医を召喚し、その事実を認めさせる。ここで検察はあきらめかけるが、先に証人召喚された拷問犯が、軍医の無断欠勤を調べ上げ、軍律違反で軍医を逮捕。さらに、抗議集会の先頭に立つソン弁護士まで逮捕され、裁判に掛けられる。
彼の初公判では、釜山142人の弁護士のうち99人が彼の弁護に名乗りを挙げる。傍聴席に、弁護側席に座れない残りの弁護士がそろい、1人ひとりの名前が読み上げられる。このような経緯(いきさつ)の後に、モデルであるノ・ムヒョンは人権派弁護士へ転身し、そして大統領まで登りつめる。


1人の人間の生き様

法廷のソン弁護士
(C)2014 Next Entertainment World & Withus Film Co.

 釜山の弁護士の7割がソンの弁護人となるくだりは、体が震えるくらいの感動を呼び起こす。また、民主化運動の活動家たちの身を張り、命を賭ける熱さに頭が下がる。
そして、彼に食事を提供する食堂のオバさんが見せる義侠心、韓国の人々の良き一面を映している。
最後に、ソン・ガンホ演じる弁護士役の存在が圧倒的であり、この作品の芯(しん)となっている。
2013年の製作だが、韓国とその国の人々の熱い思いを知る上でも重要な1本である。

 



(文中敬称略)

《了》

11月12日(土)より新宿シネマカリテ他にて全国ロードショー

映像新聞2016年11月21日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家