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『うさぎ追いし 山極勝三郎物語』
世界的なガン研究の成果残した偉人
病理学者の一途の信念を描く

 どれだけの人が、病理学者・山極勝三郎(やまぎわ・かつさぶろう)の名をご存知だろうか。逆にタイトルの『うさぎ追いし』は小学唱歌で、こちらはよく知られている。タイトルから本作を地味な文化映画、あるいはドキュメンタリーと勘違いされるかもしれない。しかし、作品自体は一病理学者の一途の信念を描く、骨太な1作だ。世界的にガンの死亡者は全死亡者の約13%を占め、わが国では1981年から死因のトップであり、近年は2人に1人がガンにかかると言われ、患者は90万人を超える。もちろん、ガン治療は以前と比べ、山極勝三郎をはじめとする病理学者の努力により、大きな進歩を遂げているが、まだまだ研究の余地があるとされる分野である。


山極勝三郎とは

実験中の山極
(C)2016「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」
製作委員会

 山極勝三郎(遠藤憲一)は信州・上田に明治維新(1868年)以前の1863年、下級武士の三男として誕生する。この彼が世界的なガン研究の成果を残す。しかし、野口英世のように有名になることなく、1937年、67歳で逝去する。


人間ドラマ交え物語に膨らみ

山極と市川助手、
ウサギの耳にコールタールを塗る
(C)2016「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」
製作委員会

 この彼について語るのが本作『うさぎ追いし』であり、当然、彼の一生を追うものである。だが、単なる偉人の再現ドラマで終らず、彼の周辺、家族、師弟などへと筆をのばし、物語に膨らみをもたらせている。後述するが、一般的には、幻のノーベル賞(1926年)で彼は知られている。
明治維新により徳川幕府が崩壊し、全国の藩も廃藩置県によって武士階級は消滅。そして武士たちは職を失う。上田藩の下級武士である勝三郎の父も同様で、三男の勝三郎は16歳の時、医家の跡取りとして乞われ、江戸の医者山極家へ婿に迎えられ、同家の姓を名乗る。
この養子縁組、勝三郎は非常に勉強ができ、それを見込まれてのことである。上京に際しては、親友の小河滋次郎(豊原功補)と2人で柳行李(やなぎごうり)を背負い、上田から江戸まで歩く旅だ。この幼友達、小河が山極にお菓子のコンペイトーをやる。これでコンペイトーは彼の終生の好物となり、物語の伏線となる。
山極医院の当主は昔の御殿医で、往時の栄光が忘れられず、昼間から酒をあおり泥酔する毎日で、患者たちの足も遠のく。



彼の人となり

山極夫妻
(C)2016「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」
製作委員会

 結婚初夜のエピソードが抜群に面白い。妻かね子(水野真紀)は、父の酔っての醜態を深々と詫びる。そして、家中の酒を床の上に集め、これが「諸悪の原因」とばかりに飲み尽くし、新婦は酔いつぶれ、翌日はひどい二日酔い。
山極は医者を継ぐための婿入りであったが、東大医学部入学後、次第に病理学にのめり込む。山極家との跡取りの約束があり、悶々と悩む彼だが、好きな病理学へと進む。妻かね子は「山極家の医者は父の代でおしまいです。好きな道を歩んでください」と彼の望みを叶えさせる。
大学では首席で医学部を卒業した彼は、病理学教室に助手として残る。その後4年間、ドイツへ留学、絵に描いたようなエリート街道を驀進(ばくしん)をする。帰国後、彼は32歳で医学部教授となる。
当時、手の打ちようのないこの病に対し、ガンの性質を知ることの必要性を痛感し、「ガン発生」を終生の課題とする。この案に対し、医学部長の三浦守治(北小路欣也)は大乗り気で、彼を励ます。ガンを作ることは、誰も手を付けない分野だけに、まさに手探りの状態からの出発である。



山極の持論

2人の親友(左)遠藤、(右)豊原
(C)2016「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」
製作委員会

 未知のガンに対し、どのように対処すべきかが研究を進める上で最大の眼目となる。彼は、それには人工的にガンを作ることが最良と考えつく。「ガンを作れれば、ガンは治せる」の説である。
医学用語で言えば、反復性慢性刺激説であり、「刺激」が重要である。ガンは正常な細胞が長い間外から刺激を受け発生することは分っているが、その発症に至るには実際に作らねばならない。
彼のガン発生の実験は極めてシンプルだ。つまり、普通の動物実験であり、一般的にラットを使うが、耳が小さく、すばしこい。そこで考え付いたのが耳の大きいうさぎの採用だ。
その耳のアイデアは、自ら志願して札幌の農学校畜産科から山極の病理教室へ助手として加わる市川厚一(岡部尚)のものだ。さすがに畜産科出身だけあり、動物の生態に詳しい。彼は1人で動物の世話、そのほか諸々の仕事をこなす無骨で有能な若者である。
この山極・市川コンビはラットを使っての動物実験に没頭するが、結果は得られず、実験対象をラットから耳の大きい白うさぎに切り換え、2年間、毎日毎日うさぎの耳にコールタールを塗る。コールタールのアイデアは、英国で煙突掃除人の間に発生するガンが多いことに注目してのことだ。



黒ウサギの登場

市川とハツ
(C)2016「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」
製作委員会

 上田での少年時代、親友の小河(山極とともに上田から上京し東大法学部で学び、後に民生委員制度を創設した人物、山極と同じく弱い人の味方になることを信条とし、この信条が作品の底流)からもらい、終生の好物となったコンペイトーに、ある時、手を伸ばし口に入れると辛くてまずい。よく見ると袋の中に下痢止めの正露丸が交っている。
そこで、彼は黒うさぎを交ぜるアイデアがひらめき、早速、実行に移す。つまり、別の刺激を与えることである。結果は大成功。111日後にうさぎの耳にガンが発生する。


 家族愛、師弟愛

雨中のうさぎの埋葬
(C)2016「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」
製作委員会

 彼は結核を病み、年中苦しげに咳き込む。文京区西方町の自宅の離れを病室とし、夫人以外の入室は感染を警戒し禁止する。
山極家は3男2女の大所帯、妻の家計のやりくりは一帝大教授の俸給では足りず、質屋通いまでして、一家を支える賢夫人。家族仲は良く、病身の父を励ますため、一家で小学唱歌『うさぎ追いし』をオルガン伴奏で合唱。感動的シーンだ(この唱歌と動物実験用のうさぎとは特段の関係はない)。
朴訥(ぼくとつ)な田舎青年である弟子市川は、小使いさんの娘ハツ(森日菜美)と親しくなる。最初の出会いは、逃げるうさぎを追う市川に、突然天から布が舞い降り、うさぎの足がピタっと止まる。ハツが風呂敷をかぶせたのである。農家では、よく行うやり方とのこと。
ある時、2人は初詣でに出かけ、お守りを求める。しかし、ハツは持病のため急死。手にお守りを握ったまま。まるで、木下恵介の名作『野菊の如き君なりき』(1955年)のようだ。
木下版では政夫の想いの人お民さんが、彼の手紙を握りしめて亡くなるシーンを彷彿させる。
本作では、このようなプリミティヴな感動が随所に挟み込まれている。再現ドラマに終わらせない演出の工夫だ。



正統的演出

晩年の山極夫妻
(C)2016「うさぎ追いし-山極勝三郎物語-」
製作委員会

 『うさぎ追いし』は、オーソドックスな手法で撮られている。ナレーションの多用と時系列の使用で、ケレンを排し、正攻法でぐいぐい押す演出は近藤監督の持ち味だ。
主演の遠藤憲一の学者振りも様になり、特に彼の台詞の間合いが良い。
最近の日本映画、特に若手世代の監督たちが陥りがちな観念の袋小路に迷い込まない、愚直な感動が『うさぎ追いし』にはある。
「幻のノーベル賞」は1926年、生理学・医学賞で彼の研究が認められるが、賞はデンマークのフィビゲルに決まり、次点となる一件である。後にフィビゲルの実験に間違いがあることが指摘されたが、時既に遅しであった。

 



(文中敬称略)

《了》

12月17日(土)より有楽町スバル座ほか全国で順次絶賛公開中

映像新聞2016年12月26日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家