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『娘よ』

 日本で初公開のパキスタン映画『娘よ』(アフィア・ナサニエル監督/2014年製作)が岩波ホールで3月から公開される。息を飲む程の美しいいカラコルム山脈をバックに、そこで必死に生きる母娘が主人公である。

 ニューヨークを拠点に活躍するパキスタンの女性監督、アフィア・ナサニエル監督が手掛ける『娘よ』は10年の構想を経て製作され、現代のパキスタン・イスラム社会に生きる人々の悲劇を描く、気鋭の新人の力作である。

カラコルム山脈

母と娘
(C)2014-2016 Dukhtar Productions LLC.

 カラコルム山脈は、名前こそ知られているが、場所を正確に言い当てられる人は少ない。
ここは、世界最大の山岳・氷河地帯を抱き、パキスタン・インド・中国との国境付近にそびえ立つ高峰群である。エベレストに次ぐ高さを誇るK2(8611メートル)があり、1954年にイタリアのアルディト・デジオ隊が登頂に成功している。6000メートル級の針のように鋭い峰々が連なり、人を寄せ付けない偉容を誇る。その麓に多くの部族が暮し、彼らは絶え間ない紛争と融和を繰り返す。人々はイスラム教徒で、昔ながらの部族長を頂点とする独特の生活様式と、慣習を守り続けている。
物語の核は、その昔ながらの掟に縛られる女性たちである。


人物設定

娘ザイナブ
(C)2014-2016 Dukhtar Productions LLC.

 複数の部族が群雄割拠する周辺は、それぞれが一個の国家のようであり、民兵組織を擁し、彼らはトラックやジープで領内を駆け巡る。例えるなら、現在紛争中のアフガンと同様で、幾つかの部族の上に国家が成立しているのと似ている。
物語の主人公は、部族長の妻アッララキ(サミア・ムムターズ)と娘のザイナブ(サーレハ・アーレフ)である。
この2人は部族社会の掟の、永遠の犠牲者ともいえる存在だ。彼らの社会では女性の発言権がなく、その伝統はイスラムの長い歴史の基幹を成している。



男性中心社会

ソハイル
(C)2014-2016 Dukhtar Productions LLC.

 総てを男性が仕切るこのイスラムの部族社会では、女性は完全に男性の所有物と見なされ、子供でも、15歳に達すると結婚の対象となる。プレスブックの専門家の解説によれば、この社会で抗争が起きた時、その代償として大事なものは、Zで始まる3語が重要視される。1、「ZAN」(ザン/女性)、2、「ZAR」(ザル/金銭)、3、「ZAMEEN」(ザミーン/土地)の順となる。この様に、女性の商品価値が一番となっている。イスラム教徒は、有史以来、砂漠の民族とし、部族間、国家間の争いが絶えず、戦場での男性の死の多さが一夫多妻制の元と言われる。パキスタン部族社会もこの伝統を引継いでいるのであろう。これは、女性にとりたまったものでなく、女性監督ナサニエルの狙いも、この伝統に対する女性側からの反問である。



事の発端

アッララキ
(C)2014-2016 Dukhtar Productions LLC.

 アッララキの夫である部族長のドーラット・ハーン(アーシフ・カーン)は、他の部族との紛争を抱えている。それぞれの身内が10人近く殺され、彼はその和解のために、敵の族長を訪ねる。殺された身内の数の多い老族長は、和解の条件として、ドーラットの10歳の娘ザイナブの差し出しを要求し、彼はその条件を呑み和解が成立する。ザイナブの夫は当の老族長で、彼の何番目かの妻となることが決まり、両部族はめでたしめでたしと親戚となり、両家の家族の名誉が守られ紛争の手打ちとなる。



脱走劇の決断

逃避中の母と娘
(C)2014-2016 Dukhtar Productions LLC.

 この婚姻の話を聞き、年端も行かぬ10歳の少女を老人に差し出す族長ドーラットの妻アッララキが、ザイナブを伴う脱走劇が物語の中心となる。15歳で年の離れるドーラットの妻にさせられたアッララキは、娘には自分と同じ思いをさせたくない、親心からの決断である。もし、この脱走が失敗すれば死の掟が待っている。


追走される2人

砂漠を行く3人
(C)2014-2016 Dukhtar Productions LLC.

 取るものも取りあえず、2人は秘かに家を抜け出す。この社会での若い女性は常に監視の対象となり、2人は部屋にあるテープレコーダーを利用し、あたかも勉強しているように装い、何とか脱出を敢行。
アッララキには義弟がおり、彼は彼女への恋心を隠さず彼女に迫るが、彼女ははねつける。家族内の不倫は血で血を洗う紛争が目に見え、野心家の義弟の狙いを受けるわけにはいかない。



作品の弱さ

 本作、脚本的に見ると、部族の掟に逆らう母娘の逃避行となるが、物語自体の起伏が少なく、演出(監督)にはかなりの工夫が必要であったと推測できる。一つの疑問として、部族の掟というものは悪いことばかりなのだろうか。これにより、部族自体が成り立っている現実があり、その存在には何らかの必然性があると考えられる。しかし、女性の地位や教育はどうなのか、との問いかけはせねばならぬ。この辺りの説明を省いたところに作品の弱さがある。更に言うならば、一例として、イスラム教徒は豚を口にしない。それは、彼らは暑い砂漠の民であり、腐り易い食材を避ける必然性がある。


救いの主

カラコルム山脈とトラック
(C)2014-2016 Dukhtar Productions LLC.

 山岳地帯、遥か彼方にはカラコルム山脈がそびえ立つ絶景、その麓の山間の道にはパキスタン名物のギンギラギンに飾り立てるトラックが物資を輸送する。満艦飾とはこのことといえるド派手な飾り立てで、日本のトラック野郎など目ではない。そのトラックの運転手に母娘は懇願し乗せてもらい、両部族の追手から身をかわす。鋭くそびえ立つ山々、ド派手なトラック、そして、石だらけの平原の風景をインサート的に挿入し、作品にバラエティをもたせている。演出の苦心のしどころだ。
トラック運転手の青年ソハイルにはモヒブ・ミルザー(パキスタンNo1男優)が扮する。アッララキとソハイルは好一対である。最初、彼は2人を載せることを嫌がるが、義侠心も手伝い、しぶしぶ3人の逃避行となる。打ち解けぬ道行であるが、ある夜、たき火を囲んでの野営で、2人が物語を語り合う頃からは恋愛的気分に陥る。このたき火のシーン、アップの切り返しで、それぞれの顔が闇の中で明るく浮き上がる。映像的に美しい場面である。


最後のヤマ場

高原で
(C)2014-2016 Dukhtar Productions LLC.

 追手から逃れ、ソハイルの友人宅でくつろぐ3人、ようやく平和な時間が訪れる。幼くして結婚したアッララキにとり、たまたま友人宅の近くに住む実母とは少女以来会っておらず、またとない再会の機会に恵まれる。
追手の追及を逃れ、喧騒の街中で再会を果たすが、刺客の手は既に身辺にまで及び、彼女の警護に当たるソハイルと刺客がもつれ合いとなり、誤って彼女に刃先が当たり死亡する。しかし、娘を無事にソハイルに託す彼女は満足気であった。
母親の死という悲劇で幕を閉じるが、作品としては言いたいことは伝えている。故郷、パキスタンにおけるイスラム支配の中で、男性の所有物として生きねばならぬ現状を、女性自身が身をもって穴を開ける物語である。
ナサニエル監督は、母国のイスラム教の慣習、特に女性に重くのしかかる縛りについて述べている。本作はヤマ場が少なく、脚本をよくここまで映像化し、作品に作り上げる勇気(勿論、経済的側面も含めて)の賜物と言える。

 



(文中敬称略)

《了》

3月25日から4月28日まで神田・神保町の岩波ホールでロードショー、
その後順次全国公開予定

 

中川洋吉・映画評論家