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『わたしは、ダニエル・ブレイク』
カンヌ最高賞のケン・ローチ監督作品
労働者階級の境遇伝える

 昨年の「第69回カンヌ国際映画祭」でパルム・ドール(最高賞)を獲得した、英国のケン・ローチ監督作品『わたしは、ダニエル・ブレイク』が公開される。待望の秀作の登場であり、大いに期待される

 パルム・ドール受賞時のローチ監督は、2014年製作の『ジミー、野を駆ける伝説』を引退作と決めていたが、「語るべきストーリー」があると引退発言を翻し、かねてから疑問を抱いていた英国の福祉制度について、メガホンを再び取ることになった。
例により、綿密な事前調査に基づき、物語は展開される。『カルラの歌』(1996年)以来のローチ組トリオ、脚本家ポール・ラヴァティ、製作はローチ監督の全作品のプロデューサーを務めるレベッカ・オブライエンである。
余談だが、昨年5月のカンヌ国際映画祭時、上映後の遅い夕食を友人とともにし、酔いざましに目抜き通りを散歩中、見た顔がこちらへ向かって来た。ローチ監督であり、連れは、彼の信頼する脚本家のラヴァティだった。
カンヌでは、スターは人だかりを恐れ、気軽に街に出ないが、監督を見掛けることは珍しくない。古くは、1970年代のゴダール監督、最近では今年の審査委員長に決まったスペインのペドロ・アルモドバール監督のウィンドーショッピングがある。



ローチ監督の軸足

ダニエル、ケイティと2人の子供
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2016

 既に監督歴50年の彼は、常に労働者階級に軸足を置き、彼らの視点から現実を描いている。全くブレない彼の視点は多くの問題を提起し、人間の真っ当な生き方に寄り添う姿勢は変わらない。本作『わたしは、ダニエル・ブレイク』も彼の堅持する路線の延長線上にある。


主人公たち

福祉事務所でのケイティ
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2016

 舞台は英国・ニューカッスル。主人公の1人である27歳の女性ケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)は、ロンドン住まいで2人の子持ちのシングルマザー。彼女は、アパートの雨漏りの苦情を申し立てるも、逆に大家から退去を求められる。ニューカッスルに公的住宅を斡旋され、不本意な引っ越しをせざるを得ない。
そのニューカッスルに住む、心臓を患い医者から就労禁止を申し渡される大工、ダニエル・ブレイク(デイブ・ジョーンズ)が絡む。仕事ができず、不就労手当ての請求をするが、福祉事務所は、書類の不備を理由に手当の支給を認めず、「就労可能」カテゴリーに彼の名を入れる。




財政緊縮路線

壁に自分の名を書くダニエル
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2016

 困った人を助けるはずの福祉事務所が、逆に出費制限をし、助けるべき人を見殺しにする官僚主義、福祉の本来の意味を取り違えている。
これは、福祉国家を誇った過去の英国で、サッチャー、ブレヤー路線以来の緊縮財政策により、正当な予算配分を否定するものである。情け容赦なく貧乏人を置き去りにするサッチャー路線は、保守党のタカ派路線であり、至極当然だが、労働党のブレヤーまでこの路線の継承者となるに至っては、働く者は救われない。



ローチ監督の一言

ダニエルとケイティ
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2016

 職のない人間、貧困、障害者に対し、政府は煩雑な手続きを用意し、「故意に非能率を作り出し、困窮者をふるいにかけ『働かないとこうなる、仕事を見つけないなら苦しむしかない』と言っているようなもの」と指摘する。
まさに以前、小泉首相が唱える「自己責任」という、困る人の置き去りと酷似する。貧乏は人間により作り出され、貧民は自らの貧しさの攻める図式であり、この考えが引退を思いとどまり、作品『わたしは、ダニエル・ブレイク』製作のモチーフとなっている。



ローチ監督の手法

ケイティの2人の子供
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2016

  英国の福祉の実態が浮き彫りに
ダニエル自身が、国に雇用支援手当てを申請するが、点数が足りず「就労可能」のカテゴリーに入れられる。心臓の悪い59歳の大工は医師から「就労禁止」を申し渡され、福祉事務所は全く反対の見解を示し、途方に暮れる。
その彼は、同じような人を事務所内で目にする。若い2人の子連れのケイティである。ロンドン在であった彼女は、ニューカッスルの土地に不案内で、30分も遅刻する。係員は、手当てを受け取る人間が遅れることなど許されないとばかりに、彼女とのアポを中止し、逆に手当の減額処分までする。
2人の事例から、現在の英国の福祉の実態が浮かび上がる。福祉事務所は存在するが、なるべく申請者を減らす方針が透けて見える。日本でも、北九州で福祉窓口が生活保護申請者に必要な書類を渡さず、申込希望者が自殺を図った事例がある。
福祉政策の運営の在り方を、声を上げて糾弾し、現状の不備に不満を表明し労働者階級の側に立ち、映画という手段を用いて抗議するのが、ローチ監督の姿勢である。


2人の出会い

福祉事務所での2人
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2016

 互いの境遇を知り、ダニエルとケイティは親しく言葉を交わすようになる。行政から世話されたニューカッスルのアパートは、トイレのタンクも壊れているオンボロ家。大工のダニエルは、手馴れた手つきで素早く修理し、家の傷んだ箇所に手を入れ、何とか住めるようにする。
仕事もお金もないケイティは、ひと皿だけの簡単な料理を作り、「私のせめてものお礼」と謝意を現わす。彼女自身は「おなかが空いていない」と、リンゴをかじるだけである。自分の分を人に食べさせるケイティに困惑するダニエル。心痛むシーンだが、ケイティの気持ちはよく分かる。



フードバンク

フードバンクでのケイティ一家
(C)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2016

 現在、世界的にフードバンクが存在し、英国のフードバンクは品ぞろえがよく、福祉の網の目から落ちた人々を救っている。元々スーパーなどで、まだ食べられるのに廃棄処分される食料品を集め、貧困者に無料で配るボランティア組織で、日本にも存在する。
どのフードバンクも寄付が減り、食品の確保に苦労する現状はあるが、思い余ったケイティと子供たちはそこを訪れ、必要な食品給付を受ける。缶詰を渡される彼女は、ほとんど無意識に突然缶詰を開け中身にむしゃぶりつく。
慌てる係員は彼女にいすを勧め、ゆっくり食べさせる。子供たちに食べさせるだけで、我慢に我慢を重ねる彼女の衝動的行為であり、一番恥ずかしい思いをし、傷つくのは彼女である。貧困、空腹が何たるかを一見で表わす、心を揺さぶる場面だ。それを描く監督や脚本家の優しさが心を打つ。


連帯感

 ローチ監督作品には、極めて秀れた現実描写があり、それを見る者にグイッと突き出す、「これだよ、現実は」と問いかける強さと表裏一帯の、弱い者同士の連帯感が必ず用意されている。
何くれと声を掛ける隣人の、中国から来たアフリカ人(珍しい設定)、ケイティの生理用品万引きに目をつぶるスーパーの主任、PCに疎いダニエルを助ける青年、親切なフードバンクに勤める女性たちが登場する。
ハイライトは、福祉から見放されるダニエルが「わたしは、ダニエル・ブレイク」とペンキで壁に大書き、通りがかりの通行人たちが物珍しさも手伝い、誇り高きダニエルにこぞって声援を送る場面だ。連帯とは声を上げ、応援の意思を伝えることと、つくづく思わす一幕だ。
ローチ監督の作品の狙いは、現代の英国の福祉政策の形骸(けいがい)化を突き、セーフティネットからこぼれた人々の存在を知らしめることにある。
彼の作品を眺めれば、一度たりとも労働者階級からの軸足を外さず、彼らの境遇、社会的位置を多くの人々に伝える。時折、窮鼠(きゅうそ)猫をかむ的な、必要でやむを得ない事情であれば、暴力や盗みも致し方ないという大技を見せる。これがまた痛快なのは言うまでもない。

 



(文中敬称略)

《了》

3月18日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか、全国順次公開

映像新聞2017年3月13日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家