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『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』
1941年ナチス統治下のチェコが舞台
歴史の教訓の一端を示唆

 第2次世界大戦後、70余年を経る現在、次々とナチスものが映画の世界に登場する。戦争犯罪の告発に、これほど長い年月がかかるのには、幾つかの理由がある。その1つに戦争を直接体験した世代が、その子供たちの世代に代わり、発言し始める事実がある。そして映画の世界では、この世代の大半は新進から中堅に達する。ここで紹介する『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(ショーン・エリス監督/2016年、チェコ・フランス・イギリス製作/以下『ハイドリヒ』)は、一連の遅れて来た世代の撮影スタッフによるナチスものである。

チェコの場合

ヨゼフ(左)とヤン(右)
(C)2016 Project Anth LLC All Rights Reserved.

 物語の舞台は1941年、ナチス統治下のチェコのプラハ。これまでのナチスものと舞台を異にし、プラハにおける反ナチス・レジスタンスを扱っている。
当時のチェコを巡る国際情勢だが、チェコスロヴァキアには多くのドイツ系住民が居住することを理由とし、ヒトラーは武力を背景に、この地域のチェコ部分の領土割譲を要求する。これに対し、1938年のミュンヘン会議で、チェコの頭越しに、英国とフランスは自国の安全と利益のためにナチスへのチェコ割譲を認める。その結果、チェコは保護領の名目でドイツ領となる。これはまさに大国のエゴであり、小国の悲哀でもある。


ハイドリヒとは

車内のヨゼフの恋人レンカ(左)
(C)2016 Project Anth LLC All Rights Reserved.


 第2次世界大戦の開始は1939年9月。ナチスのチェコ占領の狙いは、チェコのシュコダ社をはじめとする重要な軍需産業を抑えることである。シュコダ社は広大な工業コングロマット(複合企業)であり、自動車部門では乗用車シュコダを擁し、この部門は大戦終了後、フォルクスワーゲン社傘下となる。
この軍需産業の維持と、チェコ内のレジスタンス抹殺のために任命されたのが、2代目総督代理である、30代後半の金髪碧眼(へきがん)で知られるラインハルト・ハイドリヒだ。彼はナチス親衛隊(SS)大将と秘密警察の両方の長となる。
その彼は、ホロコースト推進の先頭に立つ人物で、ナチスのナンバー3の地位にあった。その彼がユダヤ人大量虐殺の「ユダヤ人問題の最終解決」の立案者である。



レジスタンス

ヤンと恋人のマリー
(C)2016 Project Anth LLC All Rights Reserved.

 チェコを解体された旧政府は、ロンドンに仮政府を樹立し、レジスタンス組織を立ち上げチェコ国内のナチス駆逐を狙う。
冒頭シーン、2人のレジスタンス青年ヨゼフ(キリアン・マーフィ)とヤン(ジェイミー・ドーナン)は、パラシュートでチェコ内に潜入するが、落下地点を誤り、プラハから遠い森の中に着陸する。ここから彼ら2人の苦難が始まる。彼らにはプラハのレジスタンス本部の場所を知らされておらず、レジスタンスのプラハ組の幹部とやっとの思いで初対面を果す。
ここで何とも解せないのは、レジスタンスが連絡場所を知らずに行動するかである。本当に知らなければ、全くレジスタンスの体をなしていない。本来、もっと綿密なプランを持つのが普通だと考えられるが―。



激論

市内のヤン(左)とヨゼフ
(C)2016 Project Anth LLC All Rights Reserved.

 ヨゼフとヤンがシンパのアジトにやっと辿り着く。そこは、夫妻と10代の息子からなる普通の家庭。気難しい夫、気さくな妻と1日中バイオリンを弾く1人息子である。ほかに若い女性のお手伝いさん、マリー(シャルロット・ルボン)が加わる。
レジスタンスにかかわるのは、夫を除く3人。しばらくすると、幹部一同が集まり、初の顔合わせと打ち合わせ。パラシュート組のヨゼフとヤンは使命に燃え、やる気満々。片やプラハ組は慎重論。どうも、ロンドンのチェコ仮政府の意図がはっきりしない。
明日にでもハイドリヒを暗殺したいヨゼフとヤンは、強硬に実行を主張するも、慎重派はしかめ面で賛同しない。むしろ、プラハ組の行動のためらいが大きい。



ナチス支配状況

ヨゼフ
(C)2016 Project Anth LLC All Rights Reserved.

 大軍を駐留させるナチス軍、街頭ごとに兵員を大量に動入し住民を威圧する。そして裏では、報奨金を餌に密告制度を実施。後のソ連時代の東独における密告制度シュタージと同類であり、東独時代、仲間や親友を密告する事例は数知れない。
住民同士、友人同士が金目当てに仲間を売ることが日常茶飯事。レジスタンス組はナチスと国内の敵、両面から挟み撃ち状態に陥る。そして、尾行と監視も加わる。その中にあり、ロンドン仮政府は事態をきちんと把握せず、筋の立つ戦略やポリシーの統一性を欠く。
カミカゼ的に1人、2人の命を奪っても、それで勝利ではないことをプラハ在のレジスタンスは熟知し、多大な一般人の犠牲をより減らす意図で、主戦論と対峙する。


暗殺

教会で水攻めに会うヨゼフ
(C)2016 Project Anth LLC All Rights Reserved.

 1942年5月7日、ハイドリヒ暗殺が実行される。彼の通勤経路の街角で、自動車が速度を落として角を曲がる瞬間、狙撃手たるヨゼフが車に駆け寄り自動小銃を構える。しかし故障で不発。狙撃者の銃の故障で肝心なところで失敗するとは、基本的な銃の整備を怠ったためか、アマチュア以下である。
そこでハイドリヒが銃でヨゼフを撃とうとするが、間一髪、後方のヤンが手榴弾を投げ、その場から命からがら逃げる。手榴弾を受けた、標的のハイドリヒは重傷を負い、9日後に死亡。若き野心家の殺人鬼は38歳でこの世を去った。
レジスタンスの目標である、ハイドリヒ暗殺の目的を果たしたことで、一応成功を収める。しかし、それ故に大きな問題が生じる。



レジスタンスのその後

  目的を果たすものの過剰な報復
暗殺直後、プラハ市内は銃撃戦となる。ナチスは一大事とばかり、武装していない一般市民に銃を向ける。そして多くの人質、教会、協力した村を壊滅させ、その死者の数は5000人に上るとされている。
ナチスの得意とする過剰報復であり、それを実行した下部組織の残党の多くは、戦後ドイツ社会に潜伏し、指導部だけが執拗な追及を受け逮捕されている。その好例がアイヒマン裁判である。


悲劇の背景

 チェコの悲劇の遠因の1つが、1938年のミュンヘン会議で、何とか欧州でのナチスの浸透を食い止めたい英国とフランスが、ナチスとの話し合いでチェコスロヴァキアのチェコ部分の割譲に応じたことにある。
その後、チェコは既述のように亡命政府をロンドンに樹立し、反攻の機会をうかがう。これには、英国、フランスと組み、故国に侵攻し、プラハのレジスタンスの蜂起の形を取るプランが考えられる。
しかし、英国およびフランスは積極的に動かず、プラハ市民も、ナチスの恐怖支配の前に沈黙を守り、実質的戦力とはならなかった。そこへ、ロンドンから落下傘の2人がレジスタンとして送り込まれ、ハイドリヒの暗殺を果たすが、その代償として5000人もの命の犠牲を伴う。
本来『ハイドリヒ』では、戦い勇ましく散る、日本流に言うならば「玉砕」が、さらに多くの犠牲を呼ぶ悲劇を写し取っている。時には、遁走(とんそう)、沈黙、そして非戦に徹してもよいのではないかとする、歴史の教訓の一端を示唆している。
後味の悪い作品だが、歴史の一端を見直す意味はある。




(文中敬称略)

《了》

8月12日(土)より新宿武蔵野館他全国順次公開

映像新聞2017年8月14日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家