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『眠る村』
冤罪の可能性強い死刑事件を追う
腑に落ちない村民たちの言動
東海テレビが40年にわたり記録

 映画『眠る村』(2018年、齋藤潤一・鎌田麗香共同監督、ドキュメンタリー、東海テレビ放送製作、96分)のタイトルからは、何ら具体的イメージがわいてこない。しかし、司法と政治権力による冤罪(えんざい)の可能性が強い、死刑事件を扱っている。本作は、昭和のミステリーとも言える裁判の記録である。

 
昭和のミステリーは、1961年に起きた名張毒ぶどう酒事件である。舞台は、三重と奈良にまたがる葛尾(くずお)。事件は三重県名張市側の名を取り、「名張事件」と呼ばれている。 葛尾は山間の集落であり、住民は現在20世帯、大部分が老齢者で、57年前の事件を知る人々である。

山間の葛尾村落   (C)東海テレビ放送 ※以下同様

法廷の奥西勝

上告審請求の妹、岡美代子

奥西勝宅

奥西勝を支える妹、岡美代子

村人へのインタヴュー中の鎌田麗香監督

事件後に建てられた観音像

証拠とされた「ニッカリンT」

無罪判決を受けた奥西勝被告

40年間の長期取材

 この事件を追うのは、フジテレビ系列の東海テレビ放送(THK/名古屋市東区)で、1978年からドキュメンタリー番組として7作放映し、2018年の本作放映まで、実に40年間にわたる長期取材を続行した。しかも、テレビ版のみならず、劇場版を3作制作している。
東海テレビ放送ドキュメンタリー部門のプロデューサーに阿武野勝彦がいる。この彼が「名張事件もの」のほぼ全作を手懸けている。ドキュメンタリーの強いテレビ局には、必ず彼のようなけん引車的プロデューサーが存在する。  
  


事件とは

 葛尾は南北に伸びている村落であり、公民館における南北住民同士の懇談会が恒例の慣わしであった。ここで事件が起きた。女性用として振る舞われた、ぶどう酒(男性には日本酒)に何者かが混入した農薬「ニッカリンT」によって、5人の女性が死亡した。その6日後、会に出席していた奥西勝(当時35歳)が犯人として逮捕された。
一審では物証がなく無罪となるが、5年後の控訴審で一転死刑判決を受ける。その後、刑務所から9度の再審請求を出すが、ことごとく裁判所に棄却される。そして2015年、奥西勝は八王子医療刑務所において肺炎により89歳で死亡する。
物証のないこの裁判、司法は容疑者の死亡を待っていたフシがある。これは、帝銀事件における平沢死刑囚の場合と似ている。再審を拒否し、死ぬまで刑務所にとどめておく手法である。



筆者の疑問

 筆者は、一連のドキュメンタリーをテレビ放映で数本見ているが、最後まで腑に落ちなかった記憶がある。
それは村民たちの反応である。村人たちは、奥西勝が三角関係の清算するための犯行と自供(「させられた」と一審ははっきり認めている)後、彼らはそれまでの証言を一変させ、奥西勝真犯人説を唱えるようになった。
取材に対し彼らは寡黙で、できたらこの事件にかかわりたくない様子がはっきりと見てとれる。そして皆、奥西勝1人が泣いてくれればと思っている様子なのだ。
司法の解決手段として、たとえ無実でも犯人を挙げれば一件落着なのだ。老齢の村民たちは、絶対に何かを隠し、この村を平安な地にせねばならぬ意志が感じられた。小さな集落で真相を皆が知っているはずなのに、この沈黙。ムラの掟(おきて)であろうか。



警察の追求の矛先

 犯人とされた奥西勝は、最初は参宮急行電鉄(現在の近畿日本鉄道)に就職するが、21歳の時に葛尾に戻り農業に従事し、村の奥西家の分家を継いだ。作中、はっきり触れていないが、本家の主は、懇親会会長の奥西楢雄と思われる。
会長の奥西楢雄も警察の厳しい取り調べを受け、自白させられそうになったと語っている。なぜ、警察の追求の矛先が奥西勝だけに向いたのか、これは司法の沈黙の壁で明らかになっていない。



奥西勝の弱み

 人は、おのおの弱味を持つものだ。個人的経験だが、大学の法学の授業で「人は叩けばほこりが出る」(言外に、警察や公安は常に何らかの理由を付けて君らを引っぱれるの意)を聞いた時、ひどく驚いたことがある。
奥西勝のケースも同様だ。彼は妻以外に、村の未亡人と懇(ねんご)ろとなり、いわゆる三角関係を結んでいた。村社会では有力者が女性を囲い、女性も打算が加わり擁護を求め、男性のお世話になる話は珍しくない。
しかし、奥西勝にはさして財産といわれるものはなく、彼に未亡人を取られた有力者の存在を感じさせる。村人たちも、その間の事情は熟知しているはずだ。
さらにもう1点、茶の栽培をしている農家として、彼は「ニッカリンT」を持っており、それを理由に、彼が犯人に違いないと主張する懇親会出席者の証言もある。農家には農薬は必需品であり、彼1人だけが農薬を持っていたとは言い難い。



現場主義

 この事件の40年にわたる取材でディレクターは3人代わったものの、変わらないのは現場主義である。本作では、3代目の女性ディレクター鎌田麗香がせっせと現場に足を運び、当時を知る村人たちにいろいろと話を聞いて歩いた。
村人たちは、気さくで純粋で勤勉であり、善人ばかりなのだ。そこで鎌田ディレクターは、矛盾する事実を感じ取る。善い人でも、率先して善いことをするとは限らない。そして、「真面目な人柄こそが冤罪を生む要因ではないか」と考え始める。
最終的に人々は「村」という組織の一員たる選択をする。そのため奥西勝には泣いてもらい、証言も一変させる。また、村人たちを見てすごいと思わせるのは、「実は」と真相を語る人間が出現しないことである。
過去に触れまいと、公民館を解体したり、奥西勝の墓を畑に捨てたりと、思い出すことを拒否する。鎌田ディレクターの分析は正鵠(せいこく)を射ているのではなかろうか。



疑問点

 解明できない謎。弁護団は判決を覆すために、状況証拠を科学的な再検証で切り崩しにかかった。まず、ぶどう酒に混入されたとされたのは「ニッカリンT」ではなく、ほかの農薬であることを突き止め、第7次再審請求でこれを指摘し、再審開始の決め手となった。
しかし、7回目の請求は同じ名古屋高裁で、翌年取り消される。時代が違えば、再審決定で保釈された袴田事件の例がある。この一例からしても当時の司法の硬直ぶりが分かる。司法が自白を優先した結果で、この時、奥西勝は79歳。この再審決定で、予想された彼の保釈は期待外れに終わった。
農薬混入に関しても、奥西勝が持ち込み、1人になった10分間に実行したとされていた。だが村人の証言では、3時間前にぶどう酒は会長宅へ届けられ、その後公民館に搬入されたことが分かっている。
3時間あれば、ほかの村人の関与の可能性が疑われる。その後、村人たちの証言は一斉に変わった。一審判決では、この証言の変わり方を「検察の並々ならぬ努力」によるものとしている。
また、ぶどう酒のビンだが、弁護団の科学的鑑定により、王冠に巻かれた「封緘紙(ふうかんし)」が事前に開けられ、毒を入れた可能性が指摘された。奥西勝以外の人間による毒の混入の疑いが発生した。
これらすべての疑問点を無視し、名古屋高裁は弁護団の新証拠を取り上げることなく、自白の信用性を優先させ再審請求を棄却し、奥西勝の死刑は確定する。
そして、第9次再審請求中に奥西勝は獄死。しかし、再審請求、棄却の繰り返しで彼の死後も審理は続いている。
本作を見終わり、司法という「村」が新証拠にきちんと向き合えば、裁判の結果も変わってきた可能性があることを痛感する。
もし冤罪であれば、国家への対し方も変えねばならない。人間の一生を弄(もてあそ)んだ責任は、被疑者に対する賠償だけでは不十分である。例えば、裁判長や検察責任者への損害賠償請求、あるいは高額な罰金と退職金の返納、そして刑事罰が課せられておかしくない。
東海テレビ放送の40年にわたる映像による追及、世の中の公平さを維持するために大いに貢献している。これはメディアの本分である。





(文中敬称略)

《了》

2月2日から東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開

映像新聞2019年1月28日掲載号より転載

 

 

 

中川洋吉・映画評論家