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『ビリーブ 未来への大逆転』
50年前の米国で起きた実話
分かりやすく男女平等を訴える秀作

 米国から女権(女性の権利)ものの秀作が届いた。『ビリーブ 未来への大逆転』(2018年/ミミ・レイダー監督、120分/原題「ON THE BASIS OF SEX」)である。作り手が何を言いたいかが明りょうであり、主演女優フェリシティ・ジョーンズの理知的で真っ当ぶりが、うまく役柄にはまり、物語全体を膨らませている。

 『ビリーブ』は実在の人物を取り上げ、そこから着想を得た実話だ。その人物は、米最高裁判事の現役女性判事であるルース・ベイダー・ギンスバーグ(85歳)。本作では、彼女の半生が筋の骨子となっている。
1950年代、当時の米国では女性が仕事を選べず、自分名義のクレジットカードさえ作れなかった。要するに、女性は専業主婦として家庭にとどまり、子育てをすることが当然視された時代であった。一方、男性は外で働き、家族を養う義務を負わされた。そして、親の介護は女性の仕事と法的に定められていた。
70年代前後は、世界中で若者の反乱やスチューデントをパワーが吹き荒れる。フランスの5月革命、日本の全共闘運動がよく知られている。米国ではフェミニズムが盛り上がる。これらの運動の評価はいろいろあるが、社会全体の縦の人間関係が横へと軸を変える特性が顕著に現れた。
その代表例として、フランスでは女子の大学進学率の大幅な増加がある。米国では一女性弁護士が、男性優位社会に風穴を開けた。それが若き日のルースである。

ルース(右)、マーティン(左)夫妻  (C)2018 STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ※以下同様

法廷のルース

ギンズバーグ一家

ルース

マーティン

裁判前のルース(中)

ケニオン弁護士、娘のジェーン(中)

授業中のルース

同僚弁護士とルース

ハーバート大学の入学式

 冒頭、背広・ネクタイのエスタブリッシュメント(既得権階層)の若者たちが、まるで軍隊の行進のように一点を目指し、力強く歩く姿の足元が写る。だんだんとカメラはアップし、大勢の男性を写し出す。その中に1人の小柄な女性が見える。
彼らはハーバート大学法科大学院の学生であり、その日は入学式であった。500人の学生の中で女子はたったの9人。基本的に、女子の入学は想定されていなかった。
入学式の後、学部長による女子学生歓迎会があり、「女子学生は、男子の席を奪ってまで入学した理由を話してくれ」と嫌みな発言で催促をする。それに応えて、ルースは「夫が同じ大学の1年上におり、彼の言うことを理解するため」と切り返し、彼女の頭の回転の良さが見てとれた。
女子はお客さん、あるいは付録と思われた時代であり、それが50年前の米国社会であった。  
  


現役最高裁判事

 実物のルース・ギンズバーグは、85歳の現役最高裁判事であり、1993年、クリントン大統領により任命され今日に至る。
彼女はニューヨーク・ブルックリンの貧しいユダヤ人家庭に生まれ、勉強することもままならなかった。大学はコーネル大学で(おそらく何らかの奨学金を受けたのであろう)、そこで生涯の伴侶マーティン・ギンズバーグ(アーミー・ハマー)と知り合い、卒業後に彼と結婚。翌65年、1人娘ジェーンを出産する。
ここまでは、ただの頑張り屋の若い女性だが、ここからがすごい。マーティンとともにハーバード大学法科大学院に入学したのだ。しかし、彼は治癒率5%の精巣癌に侵され、ルースが彼の代わりに授業に出席し、ノートを取る。彼女の献身的な看護で無事に回復、卒業する。
マーティンはニューヨークでの就職が決まり、2人はコロンビア大学法科大学院に移籍する。有名大学間の移籍は考えられない時代だったようで、なかなかハーバード大学法科大学院の学部長の許可が下りず、しかも女子学生ときて難航。ようやくコロンビア大学に入学、そして首席で卒業する。
とにかく、彼女の秀才ぶりは際立っていたと思われる。弁護士志望の彼女は、弁護士事務所への就職を試みるが、ユダヤ人、母親、女性のハンデで、13の事務所すべてで不合格となる。
仕方なく、ラトガース大学にポストを見付け、性差別と法について教える。弁護士の夢破れ、弁護士を育成する側に回ることとなる。
ある時、夫と議論の末、「私は弁護士になりたい」と思わず叫んでしまう。この場面こそ、ルースのさらなる決意表明であり、非常に印象深い。ここからが彼女の弁護士活動の始まりだ。



1通の訴訟記録

 
女性弁護士が男性優位社会に風穴
ある1通の訴訟記録を夫から見せられ、彼女はこれを使い、性差別解消の突破口になると踏み、自ら弁護活動に乗り出す。普通は依頼人がおり、弁護士がサポートするが、彼女のケースは逆である。ここが、彼女のユニークなところだ。
マーティンの示した事例は、介護費用控除は女性専用で、男性には認められないという訴訟の記録である。彼女はここに着目し、性差別で憲法違反と認めさせれば、「男女平等」への第一歩となることに気付き、無償で弁護を買って出る。ルースは地頭が良く、その上、本気度とひたむきさがずぬけている。
そのルースを、小柄で理知的な容貌のフェリシティ・ジョーンズが演じるが、彼女にとり一生に一度はやりたかった役と想像できる。名作とは、脚本と役者次第と言われるが、まさにハマリである。



他の弁護士の応援

 ここでルースに難題が持ち上がる。応援を当てにしていた弁護士たちから、「とても勝ち目がない」と辞退される。人権問題に精通した男性、長年女性の人権について闘ってきた大物の女性弁護士。皆、考えもしなかった、そして触れなかった問題に女性1人が立ち向かうことなど論外であった。それでも幸いに、依頼人を見つけることはできた。
四面楚歌の彼女の援軍は、弁護士の夫、そして反抗期の娘ジェーンであった。自我が芽生え始めた娘の姿を見て、「時代が変わった」と感じるルースは、今こそ性差別に風穴を開ける時期と、どんな困難を排しても闘い続けることを、改めて決意する。娘も母親の姿勢を見て「私のために闘って」と母親の背中を押す。
この辺りに米国人の持つ真っ当さが感じられる。多少クサイ義侠(ぎきょう)ものめいた筋であるが、この愚直さこそ強さなのだ。その上、一度は辞退した大物女性弁護士ドロシー・ケニオン(キャッシー・ベイツ)は、ルースの熱意に打たれ、訴訟への参加を承諾する。頼もしい援軍だ。大物の彼女も勝ち目の薄い訴訟に賭けたのだ。



法廷

 ルースの訴訟を考えもしなかった政府側は、若い彼女に嫌みな質問を浴びせたハーバード大学法科大学院の学部長を交え、被告団を結成し、法律の根幹を覆しかねない訴訟の防戦にあたる。
弁護士として指揮を執るルースは、介護における男性の介護控除がないことは、男女平等の憲法の主旨に矛盾すると衝(つ)く。そして、女性は家庭にいることを前提とし、介護は女性だけのものとする現状は自然の法であると、原告団は応戦する。
ここで、ルースは5分間にわたる大論陣を張る。178の法律が性差別に触れ、100年前と変わらぬことを挙げる。そして、最後に国が時代に合わせ変わることを主張する。結果は、裁判官全員一致でルースに軍配を上げ、大勝利で終結する。
現在、当然と受け取られている男女平等は、たった1人の先人の女性が努力と闘いにより切り開いたのだ。本作はそのことを見る者に語りかけている。
「女性は家庭にいる」ことを否定したルースの闘いの根底には、「絶対に諦めない」信念と、家庭の重要性が述べられている。啓蒙的作品だが、分かりやすく、男女平等を訴える秀作である。






(文中敬称略)

《了》

3月22日からTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

映像新聞2019年2月25日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家