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『ずぶぬれて犬ころ』
夭逝の俳人、住宅顕信の生き様を描く
波乱万丈に富んだ短い一生

 地方に埋もれた、才能あふれる文人を発掘した作品として、例えば、函館在住の作家、佐藤泰志(1949−90年)の原作を映画化した『海炭市叙景』(熊切和嘉監督、2010年公開)がある。これと似たシチュエーションの映画作品が、岡山在住の夭逝(ようせい)の俳人、住宅顕信(すみたく けんしん/以下、顕信)を扱った『ずぶぬれて犬ころ』(本田孝義監督・プロデューサー、2018年製作、100分)だ。主人公の顕信(法名)は、1961年に岡山市に生まれ、87年に急性骨髄性白血病により25歳で死去した。

 俳人、顕信の名を知る人は、非常に少ないはずだ。夭逝の上、活躍の場を出生地、岡山市に限り、中央文壇とのつながりが皆無に近かった。ましてや、苗字の「住宅」からしてほとんど耳にしない名である。
この彼の短い一生で残した俳句は281句。俳人としては決して多くない。それらの句は、ほとんどが病院(岡山市民病院)のベッドの上で作られている。生前の彼自身は当世風青年で、最初はマンガ家志望であったが、徐々に詩、宗教、哲学へと興味の対象が移る。
中学(岡山市立石井中学校)卒業後、高校には進学せず、下田学園調理師専門学校へ入学するものの、調理師を目指してはいなかったようだ。当時の顕信は、ごく普通だが、ちょっと才気走った青年であったという。
彼はナンパ大好き人間で、「女なんか引っ掛けることは至極簡単」と豪語し、後の詩人の面影はまるで見られなかった。これは、彼の友人の証言によるものである。
そして、19歳の時、岡山市役所環境事業部に採用される。多分、ゴミ集めの清掃員の仕事と思われる。全く俳句とは関係がない職業である。
調理師専門学校時代には、5歳年上の女性と同居する。しかし、彼女は住宅家とは折り合いが悪く、2人は別れる。このころから宗教や哲学に一層身を入れ始める。

顕信 
(C)戸山創作所 ※以下同様

僧籍の顕信

子供を抱く顕信

父親

小堀少年の母親

顕信の一句

顕信の文机 

小堀少年 

自由律俳句

 俳句から湧き上がる生への執着
顕信自身は、ブランド好きの一面はあるが、その生き方は生真面目そのものである。調理師専門学校を卒業後、レストランで働き、19歳の時に岡山市の清掃員となり、若い人があこがれる格好の良い仕事に就いていない。
多分、彼の職業の選択は、生きるための最低限の糧を得ることであり、あとは自身の好きな句作や宗教へと没頭したと考えられる。当時の彼は、自由律俳句に多大な興味を示し、自身も句作を始める。
自由律俳句とは、五七五の韻(いん)を踏む従来の俳句の定型を無視し、より文学的で、より生の感情が人々に伝わるスタイルを特徴としている。
映画タイトルの『ずぶぬれて犬ころ』は、おそらく、顕信が自身の境遇を詠ったものであろう。四季、山河の美しさを詠う俳句とは味わいが全く違い、人間の生き様が強く滲み出る強さがある。  
  


仏教徒となる

 型にとらわれない俳句を目指す彼は、同時に仏教に帰依し、1983年に京都西本願寺で得度(=出家の儀式)、浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を「顕信」とする。
この年に、自宅に無量寿庵という立派な仏間を作り、そこで法要を執り行うようになる。仏教は自宅で、句作は入院先の岡山市民病院と、2つの活動の場を、25歳で没するまで持ち続ける。
話は逆になるが、仏門入りした22歳の時に、1歳年下の女性と結婚、23歳の時に急性骨髄性白血病を発症し、入院生活に入る。この入院中に長男春樹をもうける。(春樹の名は顕信が傾倒する角川春樹にちなむ。彼も出版人以外に俳人としての顔を持つ)。
顕信の短い一生だが、その生き方は波乱万丈に富んでいる。春樹を生んだ後、住宅家を出た妻の消息は全く分からない。多分、家族に非常に大事にされた顕信であり、妻としての居場所がなかったものと推測されるが、理由は不明のままだ。残された赤子の春樹は、病院の中で育てられた。当時は、このようなことが許されていたのであろう。
彼の家族は、とにかく顕信第一で、父、母、そして入院している病院に看護師として勤務する妹の恵子と3人で、顕信の要望はすべて受け入れた。自宅の仏間の建築、病室は景色の良い特別室で、その費用も馬鹿にならなかったはずだが、両親は彼のためと、散財を惜しまなかった。



2重構造の物語

 
物語の作りに工夫が凝らされている。実にうまい手法である。主人公は顕信には違いないが、もう1人、いじめられっ子の中学生、小堀明彦を登場させている。
放課後、小堀はロッカーに閉じ込められ、大きな金属扉の音声が響く。それに気づいた校内見回りの教頭、師岡敬(もろおか たかし)が助け出すところから物語の展開となる。その場には、なぜか床に散らかった紙切れの中に「予定は決定ではなく未定である」としたためられた1枚があった。これこそ、顕信の1作である。
この小堀少年は師岡を通して顕信とつながる。その時は2017年、小堀少年は、師岡から顕信の句集『未完成』を借りる。この時点で、いじめられっ子の小堀は開眼し、顕信の世界へと没頭する。
時代は違うが、この少年を通し、後の俳人顕信の一生が語られ、物語の語り部の役を果たす。作り手(監督:本田孝義、脚本:山口文子)の知恵である。



住宅顕信が世に出るきっかけ

 顕信が世に出るきっかけは、調べた限り、どうもはっきりしない。筆者の分かる範囲で述べるなら、2003年、岡山新聞に連載された『生きいそぎの記−夭逝の俳人、住宅顕信』が初めで、07年に『生きいそぎの俳人−住宅顕信−25歳の終止符』(横田賢一著)が7つ森書館から出版された。死後20年後である。なお、死後の翌1988年に弥生書房から『未完成』が出版されている。


病床での句作

 1984年に入院した顕信は、体力的にも衰弱し、なかなか家に戻れず、ほとんどを病室で過ごした。彼は句会を催して俳句誌に参加し、句作を続ける。そして、句友からの反応、特に当然ながら称賛の声を喜び、句作のバネとした。毎日の郵便が彼の大きな楽しみであった。


残された句

 彼の句には、命の灯の消えんとする輝き、そして無念さが溢れている。
「若さとはこんな淋しい春なのか」
「洗面器の中のゆがんだ顔をすくいあげる」
「抱きあげてやれない子の高さに座る」
「地をはっても生きていたいみのむし」
「ずぶぬれて犬ころ」
これらすべての句に、彼の必死な生への執着と諦観が吐露されている。この必死さに、顕信の多くの読者は胸を打たれたのであろう。
死期が迫る彼の生きる意欲の強さ、逆説的に彼の句からわき上がる。見落とせない俳人であり、本作『ずぶぬれて犬ころ』の持つ強じんさが、生への執着を際立たせる。
映画化により函館の夭逝の作家、佐藤泰志を知り、今回は岡山の住宅顕信の自由律俳句に触れることができた。これも映画の効用であるとともに、映像の大きな文化性を感ぜざるを得ない。





(文中敬称略)

《了》

2019年6月1日から渋谷・ユーロスペースにてロードショー、全国順次公開

映像新聞2019年6月3日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家