このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



このサイトからダウンロードできる
PDFデータの閲覧のために必用なAcrobatReaderは以下のリンクより
無償でダウンロードできます。



『影踏み』
横山秀夫原作のアイデアが光る推理もの
迫ってくる裏社会の不気味さ
犯罪者が謎を解き明かす手法

 絶対に面白いと定評のある、警察小説の第1人者、横山秀夫原作の『影踏み』(2019年/篠原哲雄監督、112分)が映画化され、新作として登場する。従来の横山作品は警察小説の枠に入るが、今回は犯罪者が謎を解き明かす手法を用いている。単なる推理ものを越え、1人の男を中心に、警察、裏社会の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する不気味さがヒタヒタと迫り、小説でいうなら、一気に読み切ってしまう面白さがある。アイデアが詰まった原作の面白さと娯楽性がうまく噛み合い、楽しませてくれる。

 
冒頭、野良猫に餌をやる孤独な中年男、真壁修一に、シンガーソングライターの山崎まさよしが扮(ふん)する。孤独な猫を相手にする、その普通の男が立ち向かうのが、表と裏の顔を持つ裏社会の人間たちである。
本作は、これまでの警察ものとは異なり、痛快な犯罪作品ではなく、裏に何かが潜むような暗い陰湿さがある。人間の持つ悪意と体内に巣食うトラウマの凄さでぐいぐい引っ張る。

修一(右)と啓二(左)     (C)2019「影踏み」製作委員会 ※以下同様

久子



修一と啓二

街中で調べを進める修一

修一の追う犯人の1人

音楽人の起用

 山崎まさよしは、1995年にシングル『月明かりに照らされて』でメジャーデビュー。本来は歌手であり、成功を収めているが、今回は長年の友人、篠原哲雄監督の要請で、主役のノビ師を務める。
本作でも劇中音楽を担当。ラストのクラシック調で、ストリングス主体のアンサンブルの流れるような音色が心地良い。作品の暗い犯罪性と正反対の音の流れが、本作を盛り上げている。
11月13日には、本作の主題歌も収めた、山崎まさよしの最新アルバム『QuarterNote』が発売される。  
  


主人公の設定

 多くの人が小説やテレビで警察ものを見て、サツ、デカ、ヤク、ガイシャなど、かなりの警察用語はご存知のことだろう。本作の主人公の職業は、「ノビ師」と設定され、最初、一体何を指すのか皆目見当がつかなかった。実態は、夜間に住居侵入するプロの窃盗犯のことである。
その彼らの中でも、現場に一片の証拠を残さず、取り調べに口を割らないのが主人公の真壁修一だ。そのしたたかさからノビカベの異名で呼ばれている。真夜中、家人たちの就寝中に懐中電灯一本で、人に害を加えない、主として現金だけを奪う職人的な窃盗犯であり、捕まえても刑期は2年と、ほかに比べかなり短い。



物語の発端

 
舞台は群馬県内の諸都市で、このような都会と離れたところにも、大都会並みの窃盗犯が暗躍する。このノビ師の設定が作品にインパクトを与えていることは間違いない。通称ノビカベを主人公に持ってくるあたり、横山作品のアイデアが光る。
ノビカベの修一は、いつものように、金持ちの家に忍び込み金品を物色する。奥には県会議員の稲村道夫と若妻、葉子(中村ゆり)が就寝中で、ベッドから抜け出した葉子が、ガソリンを撒き、夫を殺そうとする現場に遭遇する。慌てた修一が葉子を取り押え、火事を免れる。ここで済めば単なる放火事件だが、物語は事件の深層に迫る。
まず不思議なのは、修一の幼友達である刑事の吉川が、なぜか先回りして修一を逮捕、彼は2年の実刑を食らう。何とも出来過ぎた話で、吉川がなぜ先回りしたのか疑問を抱いていた修一は、出所後に調べを開始する。
すると葉子の周辺には、土地の金融業者、裁判所の執行官、そして判事が絡み、関西のヤクザまで控えている。修一は奥深い事件の構造を嗅ぎ取る。さらに別の事件が起き、修一の疑問は増すばかり。この辺りの畳み掛けるうまさは、なかなかのものである。
修一が捕まった翌朝、彼を逮捕した吉川の溺死体が発見される。泥酔して川に落ちたのか、何らかの事件に巻き込まれたのか。修一は、これは絶対に犯罪と踏み、犯罪集団の関与を直感的に感じとる。
まずは、町の闇金融業者とその手下に探りを入れるが、口の堅いヤクザ者は核心を語らない。彼らは吉川の死を事前に知っていたようだ。
さらに関西ヤクザが絡み、県会議員を狙ったフシが見え隠れする。関西ヤクザが絵を画き、愛人とおぼしき葉子を使い県会議員を殺し、その財産を競売で格安に落とす。
一方、関東勢では、地元の裁判所の執行官と判事がからんでいることが透けて見える。そして、関西系ヤクザか吉川が、葉子に放火をさせた図式が浮びあがる。ここまでは、修一の足による調べで概要がうっすらと見え始める。



トラウマ

 修一は、葉子が放火する時、なぜ現場に顔見知りの刑事が居たのかの疑問を足掛かりに、突破口を開かんと、犯人探しをする。そこで弟の啓二が巻き添えになった、20年前のある放火事件の記憶がよみがえる。いつも修一の体内でブスブスと燃え続ける火種であり、トラウマである。この火種を体内に秘めながら、修一は犯罪者として、警察に代り犯人を追う。
この設定が、従来の横山秀夫の警察ものとの大きな違いである。警察対犯罪者の構図を打ち壊し、犯罪者同士の闘いへと矛先を変える。このあたり、『影踏み』の独自の着想である。



20年前の放火

 修一の弟、啓二のたびたびの空き巣癖で教職を追われた兄弟の母(大竹しのぶ)は、心身ともに弱り、突然、家に火をつける。一度は逃げた啓二だが、母親を助けるため火の中に飛び込み、2人とも焼け死ぬ。
ちょうど友人と旅行中で難を逃れた国立大出の秀才修一は、この事件を境に性格が変わり、ノビ師として犯罪に手を染め始める。この無理心中は、修一の中にトラウマとして宿り、葉子の放火の際、彼は昔を思い出したのだ。葉子の放火の動機は、はっきり説明されていない。
修一の中では、仲が良かった啓二は今でも影のように生きている。このことは、フラッシュバックの形で自転車の後ろに乗ったり、ブランコで遊んだりする場面で現われる。年齢が離れ過ぎ、到底双子とは見えない2人だが、徐々に違和感が拭えてくる。



一服の清涼剤

 暗い話続きであるが、修一の恋人、久子(尾野真千子)の存在が一服の清涼剤となる。修一、啓二、そして久子は、高校時代の同級生である。実は、修一と啓二は双子であることが、偶然発見された高校時代の写真から明らかになる。久子は修一を愛するが、啓二も彼女が好きで、3人ともにもう一歩、恋愛関係には踏み込めない。
しかし、20年後、ノビ師修一が逮捕され、久子は狭い町で中傷され、勤務先の保育園を辞職する。彼女は「自分は犯罪者である修一が好きで、これ以上、世間の中傷に耐えられない」と潔く身を引き、修一への風当たりを少しでも和らげようとする。この修一と久子の関係が、本作唯一の救いとなる。




生き抜くこと

 20年前の1つのねじれが、その後も拡大し、現代まで炎の元となる大筋である。悪い星の下に生まれた人の不運が語られる。そして、人間の結び付きは非常に脆(もろ)いことを、本作は語っている。
しかし、そこで潰れず、生き抜くことが重要と、犯罪小説の形を借り、訴えているところが横山文学の伝えたいところであろう。




撮影地

 群馬県中之条町には、小学校廃校後に跡地利用で作られた伊参(いさま)スタジオがあり、1995年に群馬県出身の小栗康平監督が『眠る男』を撮影した場所である。その後、このスタジオで毎年、伊勢映画祭(わずか2日間)が開催され、現在に至る。
この地で96年に篠原哲雄監督が、長編デビューで代表作の『月とキャベツ』を撮影した。その縁で、主演の山崎まさよしと知り合い、今回の起用となった。主演、山崎の笑わないニヒルな役作りが、ノビ師を演じる上でよくはまっており、犯罪ものの雰囲気を醸し出している。
概して、推理ものの人気は文学、映画でも根強く、人気作家横山秀夫の原作と相まって、本作は犯罪映画として楽しめる1作となった。犯罪もの(ミステリー)は原作、脚本の良さで決まると、つくづく感じさせる。
久子と葉子が食事をする場面、久子の料理は「味が薄い」と文句をつける葉子、久子は「薄味はシワが増えない」と切り返すが、本当であろうか。これは脱線だが―。






(文中敬称略)

《了》

11月15日から全国公開、11月8日に群馬県先行公開

映像新聞2019年11月11日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家