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『もみの家』
富山の田舎にある自立支援施設での生活
心を閉ざした少女の成長描く
農作業と人々の善意で意識に変化

 1人の少女の成長と周囲の善意を描く『もみの家』(2020年/坂本欣弘〔さかもと よしひろ〕監督、105分)が、富山での先行上映を皮切りに、全国公開される。心に不安を抱えた16歳の少女、彩花(南沙良)が親に連れられて来る、一面緑に囲まれる農業地帯の富山県・西部の砺波(となみ)平野にある散居村が舞台となっている。坂本監督の生まれ故郷、富山で1年にわたり撮影された。

 
冒頭場面、主人公の彩花宅では、父親(二階堂智)と母親(渡辺真知子)が、彩花の今後について話し合い中である。不登校の娘を心配して、母親は「何とか手を打たねば 」と声を荒らげ、父親は「もうしばらく様子を見よう」と受け止める。
最終的に両親は、娘を東京から富山県の「もみの家」へ連れて行く。そこは、心に不安のある若者を受け入れる、宿泊型、自立支援施設である。主宰者は泰利(緒形直人)と恵(田中美里)の夫婦であり、2人は6人(男女各3人)の若い寮生を預かる。全員、同じ時間に起床、みんなで食卓を囲み農作業に励む。

彩花(左)と泰利(右)    (C)「もみの家」製作委員会 ※以下同様

食卓

ハナエ(左)と彩花(右)

彩花

淳平

泰利



彩花の母朋美

ハナエ

農作業

田植え

泰利と彩花

恵(左)と寮生たち

仏頂面の彩花

 不登校少女、彩花は両親に連れられ、富山の田舎に来る。コンビニもカラオケもない場所に突然放り込まれ、都会育ちの彼女は戸惑い気味。不安と不満の仏頂面で押し黙ったままである。
その彼女を迎えるのが「もみの家」の泰利夫妻で、人生の壁にぶつかり、世の中すべてが不平の種である少女を2人は優しく包み込む。以前、縦関係のスパルタ教育で世間をにぎわせ、死亡事故まで起こした「戸塚ヨットクラブ」とは比較にならない。 
  


施設名の由来

 「もみの家」の「もみ」とは、脱穀前の稲の実で、まだ固い殻を被うコメのこと。農作業は、稲作を中心に野菜栽培をし、食卓には、自分たちで作った新鮮な野菜が並ぶ。5月の田植えといえば、日本映画大学の前身、日本映画学校の創設者であり、初代校長の映画監督、今村昌平が、授業の一環として、毎年学生と一緒に田植えをしたことは知られている。    



心を開かない彩花

 何から何まで未知の世界に放り込まれた彩花は、ほかの寮生たちと交わることが全くできず、1人浮いた存在である。
ある日、田んぼでの作業中に、寮生の少年1人がふざけて彩花を田んぼに突き落とす。泣き崩れる彼女をほったらかし、ほかの寮生たちは泥んこゲームを楽しむ。このいたずらをきっかけに、寮生の中に彼女が入り込む雰囲気がにじみ出る。
その後、彩花がいかに脱皮し、変化を遂げるかの扉となる場面である。泥んこの彼女を慰める、村の老婆ハナエ(佐々木すみ江/劇団民芸出身でテレビ・映画で活躍する彼女が、温かく慈悲にあふれる役柄をさらりとこなし、ベテランの味を出す。撮影終了間際に90歳で他界した)の優しさに触れ、自分の居場所をうっすらと感知する彩花。脚本の運びがこなれている。



濃いトマト

 
浮いた彩花を主宰者夫妻、寮生たちは皆になじめるようにと、何かと気を遣う。農作業で何をしていいか分からない彼女に、トマトを摘み取らせ、台所で試食させる。野菜嫌いの都会の少女は、試しにひと切れつまんでみる。そして「何か、味が濃い」とひと言。本物の野菜に出会った瞬間だ。その後、農作業に少しずつ興味を持ち始める。
何かに興味を持たせ、じっくりと感性を高めるのが寮のやり方で、決して強制はしない。また、寮生同士の交流も打ち解ける良い機会だ。ある晩、女性の部屋を若い寮生が「マニキュアをしてあげる」と提案。仏頂面の彩花も、そこは女の子、お化粧となれば話は変わる。喜んで足の爪にマニキュアをしてもらう。これ以降、彩花は初めて仲間を得る。徐々に寮生活に慣れてきたのだ。



夕陽の丘

 OB格の少年、淳平(中村蒼)に、「いい所へ行かないか」と突然誘われ、彼の作業車で出かける。彼は「東京にはない、すげーもんがこの近くにあるんだ」とのひと言に乗った彩花である。
行き着いた先は、丘の頂上から砺波平野が一望できる、この地の絶景スポットだ。そこには沈み行く太陽が輝き、彩花はその美しさに見とれる。その夕陽を見ながら、淳平は寮生について話す。彼らは心に不安を抱えた若者で、淳平自身はヘビーないじめられっ子、ほかの少年1人は、両親が亡くなり、親類間をたらい回しされた揚げ句、「もみの家」に落ち着く。皆、それぞれの悩みがあることを淳平から教えられる。



淳平の旅立ち

 マニキュアをしてくれた少女は、自分の進むべき方向を見付け、寮を出る。新しいステップへの挑戦だ。
ちょうど同じころ、いつもより若干豪華な夕食の場で、主宰者の泰利は、淳平の卒園を発表する。彼の地元、埼玉で中学教師のポストを見つけたのだ。いじめられっ子だった彼は、「もみの家」で農作業の傍ら、大学を卒業したのであろう。大変な努力である。
親しい仲間の旅立ちの後、寂しく物思いにふけっていた彩花に、「自分がなりたい自分になればいいんだよ」と、泰利が優しく声を掛ける。思いやりのある言葉だが、「自分を作ることは、自分でせねばならぬことである」という裏の意味があり、これが真の教育であろう。



恵の出産

 妊娠していた泰利の妻、恵の陣痛が始まり、泰利はあわてて彼女を病院へ運び込む。いつも彩花に気遣いを忘れない恵の出産ということで、彩花は生まれて初めて出産に立ち会い、命の存在を実感する。
同じ時期に米の収穫作業も始まり、彩花は新米を東京の両親に送り、喜ばれる。収穫の時期に秋祭りがあり、彼女は泰利から獅子舞の演者の役をふられる。これも生まれて初めてだ。





ハナエとの別れ

 秋祭りには、「もみの家」からも獅子舞の演者を出す申し合わせどおり、彩花が参加する。未経験の彼女は、練習を重ね本番に臨む。獅子舞の場面は本作のフィナーレであり、ハイライトでもある。
この舞いでは、健康を祈るために体の一部を獅子が「噛む」という所作がある。彩花は、大好きなハナエの顔を噛み、彼女を狂喜させる。
このころになると、彩花もすっかり「もみの家」、そして村の一員となり、明るい16歳の少女の姿がよみがえる。彩花の「噛み」を冥土の土産とし、ハナエは祭りの後に死去。彩花を悲しませる。
豊かな自然の中で、農作業による意識の改革、寮生同士の友情、赤ん坊の誕生とハナエの死が描かれる。青春の1コマ1コマを通し、1つの人生が羽ばたく。彩花は、仏頂面を振り払い、再生の時を得て、地元の高校への進学を決意する。
人間の成長と変化を描く、心に染み入る作品である。縦型でない教育方針、徹底した横のつながりの強調、そして、人は1人では生きられないことを教えてくれる。地味な作品だが、語るべきことはきちんと語られている。






(文中敬称略)

《了》

2月28から富山県で先行ロードショー、3月20日より新宿武蔵野館ほか、全国順次ロードショー

映像新聞2020年3月2日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家