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『君の誕生日』
韓国の旅客船沈没事故を題材に描く
意図的に説明を省く構成が絶妙

 韓国を揺るがした旅客船セウォル号沈没事件は、2014年4月16日に起き、今年で6年を迎えた。この海難事故により300人以上が犠牲になり、そのほとんどが修学旅行中の高校生で、現在も5人が行方不明である。当時は日本でも連日大きく報道され、記憶している人も多いだろう。この事故をめぐり、遺族に焦点を合わせたのが『君の誕生日』(2019年/イ・ジョンオン監督・脚本、韓国作品、120分)である。

 
タイトルの『君の誕生日』は少女マンガと見まがうネーミングだが、本作の狙いはもっと深い。作中で、セウォル号沈没事故の映像はなく、乗客を残して逃げた船長らが逮捕された事件についても触れず、黙っていれば、この大事故に気付かないことも有り得るだろう。
本作は、社会派作品の作りを避け、一見、事件と関係なく構成され、ここに作り手(演出、脚本)の視点の良さがうかがわれる。見えないものを想像させるツカミ(全体を暗示し、見る者にインパクトを与え、興味をそそらせること)がある。

家族写真    
(C)2019 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & NOWFILM & REDPETER FILM & PINEHOUSEFILM. All Rights Reserved. ※以下同様

機内の夫ジョンイル

妻スンナム(左)と娘イェソル(右)

誕生会のジョンイル

娘イェソル

父、娘

物語の展開

 息子を失った夫婦の心情
タイトルバックは飛行機内。1人の男性、ジョンイル(ソル・ギョング=韓国の国宝的名優アン・ソンギを彷彿(ほうふつ)させる。憂愁に閉だされ、知的なたたずまいは見もの)は、家路へと急ぐ。マンションの玄関のインターホンを押しても応答がない。
カメラはドンデン返しで室内の様子を写し取る。玄関の扉の前では妻のスンナム(チョン・ドヨン)が、身動きもせずじっとインターホンの画面に見入っている。脇には幼い娘イェソルが並ぶ。異様な光景だ。
外地から5年ぶりに戻った夫を迎え入れようとしない、妻の冷淡な態度。明らかに2人の間には大きな溝が横たわる。やむなく、ジョンイルは市内の妹宅へ投宿する。尋常ならざる出だしだ。脚本のアイデアの良さは並みではない。
物語は、1組の夫と妻の関係を軸に展開される。何か負い目がありそうな悲しげなジョンイル、彼を突き放す、終始一貫したスンナムの冷淡さ。このこじれをいかにして解きほぐすかが、物語展開の焦点となる。 
  


翌日

 何としてもスンナムと話す必要性を感じるジョンイルは、妹のお供で、娘イェソルを学校へ迎えに出向く。長い間留守をした父親に娘はなつかない。父娘の関係もギクシャクしている。その日は、取りあえずイェソルを家に送り届けるだけとする。
翌日、繁華街のスーパーのレジ係として働くスンナムに会いに行くが、相変わらずの冷たい態度。その足でイェソルを学校に迎えに行く。昨日とは違い、彼女は幾分父親に馴れ、2人で昼食。子供はプレートの半分を持ち帰りたいと意外なことを言う。亡くなった夫妻の1人息子でイェソルの兄、スホのためだ。妹にとって、スホは永遠に生きていることを示す場面だ。
意外な頼みに虚を突かれた父親は、1皿追加注文すると、イェソルはニコニコ顔で食べ始める。彼女は夫妻をつなぐ役割の設定だが、両親をつなぐことはしない。ここが発想の秀(すぐ)れているところで、両親の間を取り持てば、世話ものになり、そこを避ける意図と推測できる。
スンナムの仕事が終えるのを待ち、2人はマンションに戻るが、そこで妻は離婚届けを突き付ける。まさかの離婚と驚くジョンイルだが、妻への負い目もあり、反論をこらえ、改めての話し合いを提案する。



食事会の計画

 
ここまで、内容的に1人息子のスホの海難事故について意図的に触れない展開で、詳細は全く語られない。説明を省く手法だが、妻の悲しみ、夫の困惑、今も心の中で生きる兄を慕う妹の行動は三者三様である。しかし、悲劇の状況は想像できる仕掛けとなっている。
ある日、妻と一緒にマンションに戻ると、同じ棟に住む妻の姉妹が世話役の男性を連れてくる。彼らの説明によれば、亡き息子をはじめとする事故の犠牲になった高校生のための会を開くが、ほかの生徒たちは既に済ませ、父親不在のスホだけが残っており、彼1人のためだけにみんなで集まる計画とのことであった。
ジョンイルは突然の申し入れに驚き、スンナムは「自分ら家族のことは放っておいて」と全く取り付く島もない。



他の家族との出会い

 内にこもり、夫に悲しみをぶつけ、次第に袋小路へと入り込む妻にも、開けた世界はある。それが遺族の有志の会で、多分、同クラスの生徒単位であろう。
彼らとのコンタクトが幾度かあるが、妻のかたくなな態度は変わらない。さらに、遺族会の母親たちから「自分だけが悲しいのではない」と言葉を浴びせられる。




面接

 帰国してから無職状態のジョンイルは、職探しのため、久しぶりに背広・ネクタイ姿で面接に臨む。この部分の話の展開が、彼の過去も含め、全体の疑問を明らかにする。うまい工夫だ。
彼はベトナムで5年間会社の事務管理部門で働いていた。試験官は、履歴の3年の空白に目を付け尋ねる。そこで、彼は刑務所にいたことを隠さず話す。驚く試験官、面接はこれで打ち切られる。
彼は、職場の人身事故の責任を取らされ刑務所入り。しかし、裁判で無罪が決定し、韓国に帰国。セウォル号沈没事件の時は収監され、息子の死に立ち会えなかったのであろう。
この段階で、一気に背景が明らかになる。しかし、作品としてのセウォル号の登場は皆無であり、むしろ、被害者の心情に重きを置くドラマ作りとなっている。言い換えるなら、見えぬ船影の前で人間を動かしている。




空白のパスポート

 ジョンイルは所用で、スンナムが留守のマンションを訪れ、亡くなった当時のまま残されたスホの部屋に足を踏み入れ、思い出にふける。彼の机の引き出しから、出国のスタンプが押されていない、彼名義のパスポートを目にする。息子は、母を父のいるベトナムへ連れて行くつもりだったのだ。
ジョンイルは、そのパスポートを役所へ持って行き、何とか出国のスタンプを押して欲しいと係員に懇願する。無理難題だが、泣きながらの頼みに負けた係員は特例としてスタンプを押す。この役所で懇願するソル・ギョングの芝居は見ものだ。悲しみをこらえる彼の中に息子は生きているのだ。




賠償金

 沈没事故で、遺族には賠償金が支給される。満額、あるいは受け取りの拒否、手続き上対象外の遺族が出る。
補償金受け取りに関し、それを狙う他人、ねたむ者が必ず出る。日本でいえば、熊本県水俣湾周辺における水俣病で、被害者が周囲からねたみの的にされたことはよく知られている。韓国も同様で、スホの家庭でも補償金を不動産投資に振り向けることを身内が強く勧め、ジョンイルが激怒する一場面がある。





息子の誕生日

 亡き息子の誕生会を遺族グループが催し、ジョンイル、スンナムも気が進まないまま出席する。100人近くの所縁(ゆかり)の人々が集い、故人のスライド映写、思い出話で会は進行する。同級生の中には、スホが支えてくれたので助かったこと、救命胴衣を譲ってもらい一命を取りとめたなどの証言が出るにおよび、かたくななスンナムの心が溶け、ジョンイルは号泣し、「なぜ、早く、遺族の方々と交流しなかったのか」と悔やむ。
遺族はそれぞれ自分の殻に閉じこもり、交流を妨げていたことを思い知る。家族、友人たちとの絆(きずな)が人間を再生させるために大切と、作品は述べている。




(文中敬称略)

《了》

シネマート新宿ほかで近日公開

映像新聞2020年6月1日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家