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『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』
専業主婦の初老夫人が自己の確立へ
新しい人生の踏み出しを描く

 北欧スウェーデンから、人生の在り方を考えさせる作品がやってくる。63歳の初老婦人の新しい人生の踏み出しを描く、ヒューマンドラマ『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』(2019年/ツヴァ・ノヴォトニー監督、スウェーデン、1時間37分)である。北欧特有のゆったりした生活のリズム感が心地良く、人生について、いま一度考えさせる、地味ながら人を楽しませる物語である。

 
主人公は、ある地方都市に住む、どこにでもいそうな1人の主婦、ブリット=マリー(ペルニラ・アウグスト)である。夫と2人暮らしの彼女は、結婚して40年、家事を完璧にこなすものの、その顔からは明るい表情が消え、笑顔のない毎日を送る。
夫との間には会話は失せ、彼は夕食もそこそこにTVでサッカー観戦する疎遠ぶりだ。彼女のすることは、亭主の食事、家の中をピカピカに磨き上げ、洗濯前に夫のワイシャツのえり汚れを落とし、洗濯機に入れる。この行為が後の伏線となる。
その後、几帳面(きちょうめん)に買い物リストを書き、日課であるスーパーへ足を運ぶ、面白くもおかしくもない毎日だ。ある日、スーパーへ行く途中、携帯電話が鳴り、出張中の夫が心臓まひで倒れたことを知らされる。

駅に降り立つブリット    
(C) AB Svensk Filmindustri, All rights reserved ※以下同様

懇親会で上機嫌のブリット

さめた夫婦関係 夫(右)

ボリ市での出会い

グランドを眺めるブリット

気まずい男友達(左)と夫(右)の遭遇

列車待ちのブリット

ネズミに怯えるブリット

病室にて

 ブリットは急いで病院へ駆け付ける。既に病室には見舞いの先客がいる。看護師から「ご家族の方ですか」と思ってもみない質問をぶつけられる。はたから見れば、この場面は実に滑稽(こっけい)だ。先客は夫の長年の愛人で、彼は出張と称し、彼女の元に通っていたのだ。まさかの2人の女性の出会いだ。驚く2人、ベッドの上でオロオロする夫、この気まずい出会いは笑える。
この時の夫の取る態度はただ1つ、男子たる者の最終兵器「ダンマリ」である。すべての事情を察したブリットは、仏頂面で帰宅。テーブルに結婚指輪を置き、スーツケース1つで家を出る。彼女の予期せぬ新生活の第一歩である。 
  


職業安定所

 北欧特有のゆったりしたリズム感
63歳になるまで40年間、外で働いた経験のない彼女だが、ほかに術はなく職業安定所の門を叩く。専業主婦一筋のブリット、担当の女性係員は幾分あきれ気味。勤め経験皆無の初老婦人をどこへ押し込むか、頭を悩ませる。スウェーデンや北欧では、専業主婦はまず存在せず、皆、社会の中で男性同様の活躍の場を見出している。
取りあえず、ブリットが今まで耳にしたことのない、ボリと呼ぶ田舎町(架空の町)の働き口を紹介する。担当の係員もいい加減で、自分もボリは知らないと口にする。とにかく、手に職を得たブリットは、初めての場所にバスで行く。
このように、女性2人の出会いと病室での調子の悪さ、全く知らない場所での就職と、深刻なはずの出来事が、いとも簡単に起きるユーモアあふれる描き方、北欧ならではのゆったりしたリズムの珍光景である。脚本の狙いは、極めてシンプルな作りだ。スウェーデンでは珍しい専業主婦が年を重ね、自己の確立を目指す筋立てで、ケレンなくストレートに描いている。



新任地

 
誰も知らない田舎町ボリ。宿舎に入れば散らかし放題で雑然たる有様、気が滅入る。さらに、仕事内容が振るっている。ユースセンター管理人兼子供サッカーチームのコーチ、両方ともブリットにとっては未経験である。
宿舎は持ち前の家事能力で何とか片付ける。しかし、彼女には子供はなく、全くやったことのないサッカーコーチには頭を痛める。



悪ガキへの躾

 地元のサッカーチームの面々は、年端の行かない悪ガキ少年・少女たちで、その大半は非白人の移民の2世や3世である。彼らはサッカーを全く知らないブリットをナメ切っている。
ある時、子供たちが練習中にサッカーボールで宿舎のガラスを破る。彼女は思い余って、村のピザ屋で何でも屋(地元の人々のたまり場)の主人メモにガラス屋を紹介してもらう。初対面のイタリア系メモは調子がいい。「ガラス屋は俺だ」と言い、ピザ屋にたむろする失業黒人少年サミを差し向ける。
サミはガラス戸にテープを張って応急手当、ガラスは1週間後に到着、そのくせ労賃は200スウェーデン・クローナ(邦貨2万円)を請求と、一事が万事いい加減なのだ。
飛び散ったガラス破片の後片付けで、ブリットは妙案をひねり出す。サッカー少年・少女に掃除をさせ、その後にボールを返し、無事ガラスは片付く。
サッカーチームも少しおかしい。7人しかいない。これではゲームもできない。すべてが適当なのだ。しかし、ピザ屋のメモを始め、皆気の良い人たち。連中の中にはバツイチの警官もおり、彼女に好意を持つ。こうして彼女は徐々に人の輪を広げる。




センターの閉鎖

 サッカー少年の1人の父親は公務員で、財政難からユースセンターの閉鎖の意向をブリットに伝える。この悲しい決定、サッカーチームの一員である賢い黒人少女ヴェガが、宿舎の玄関脇でブリットの帰りを待つ。そして、「サッカーチーム解体を何とか止めて」と頼み込む。2人は初めてサッカー以外の話を交わす。
ヴェガは数年前に母を亡くした孤独の身、「今はサッカーこそ命」と話す。それを聞き、ブリットも子供時代の幸せな家庭を思い起こす。裕福な一家で、姉とブリットの夢はパリに住むことであった。しかし、家族は交通事故で亡くなる。2人とも家族を亡くした身で、この悪ガキの少女に親近感を覚え、寂しさが取り持つ縁で、絆(きずな)が生まれ始める。




体育大会

 ボリの町のサッカーチームは弱く、これまでに1点も得点をあげられない不甲斐なさ。少年・少女たちの熱意にほだされたブリットは、専門書をひも解き、にわかサッカー学習。今まで問題ばかりのユースセンターで浮かぬ彼女だが、段々と熱が入り、いつもの仏頂面も影を潜める。試合当日、サッカーグランドにはピザ屋にたむろする一党が応援に駆け付ける。センター閉鎖をにおわす役人も見物にやってくる。
いよいよキックオフ。相手方チームは町自体が裕福で、これまでボリチームを零封。試合が始まり、敵にいいようにかき回され前半は、何と0対9と大敗の気配。応援に熱が入るが、半ばあきらめムードだ。
ここで有名なエピソードがボリチームを励ます。ある時、イングランド・リーグの有力チーム、リヴァプールが0対3の劣勢に立つ。だが後半終了間際に3対3の引き分けに持ち込む。
選手にこの健闘談を吹き込み、後半に挑み、フリーキックで待望の1点をもぎ取る。ベンチや応援団は、まるで優勝したかのような騒ぎ。しかし最終的には1対14で敗戦。それでも待望の1点を獲得した選手たちは喜びにひたる。しかもユースセンターの存続も認められる。何とも情けない結果だが、選手に自信をもたらし、ブリットもコーチとしてにんまり。
平凡なオバさんが、チビッ子サッカーに肩入れする、他愛ない話である。しかし、この体験により、ブリットは新しい人生を踏み出す勇気を得たのだ。彼女の慎ましやかな希望は、夫にもう少しだけ気遣って欲しいだけである。
冒頭の回る洗濯機、他人のために尽くすことであり、いわば、世のため人のための気持ちの表れなのだ。
少しの勇気が大きな自信を呼び込む可能性、誰にでも当てはまるケースだ。1つの勇気の大事さが作品で強調されている。心地良くさせる1作である。






(文中敬称略)

《了》

7月17日より新宿ピカデリー、YEBISU GARDEN CINEMA、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか公開

映像新聞2020年6月29日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家