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『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』
フランス人気監督が挑む社会派作品
神父による小児性犯罪を追及
被害者らの教会権力に対する闘い

 現在、フランス映画界で一番人気のある監督は、フランソワ・オゾンではないだろうか。彼は俳優ばりの美男子であるが、本人はゲイを公言している。「FEMIS」(フランス国立映画学校)出身の彼、今年53歳と中堅の域を越える存在である。作風は、ちょっと捻(ひね)りの効いたラブ・ストーリー、恋愛心理の襞に踏み込む作品、商業的娯楽作品など、現在までに18本作品を製作している。しかし、今回登場する『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』(2019年、フランス、2時間17分)は、彼が初めて手掛ける社会派作品であり、フランス映画の期待の星の新作は、観客にとり楽しみだ。

 
本作のタイトルは、宗教用語で「神の恩寵(おんちょう)により」の意である。タイトルどおり、宗教、特に巨大組織キリスト教会に立ち向かい、その犯罪を追及する社会的告発を目的としている。教皇は世界的な影響力を持ち、彼の外国でのミサでは数十万人のカトリック信者が集う、ロックスターをしのぐ動員力を持つ教団の顔でもある。
作品自体、フランスでの神父による小児性愛事件(事件は分かっているだけでも1971−91年に起きている)の実話に基づいている。事件の裁判は現在も係争中であり、解決に至っていない。

アレキサンドル    
(C)2018-MANDARIN PRODUCTION-FOZ-MARS FILMS-France 2 CINEMA-PLAYTIMEPRODUCTION-SCOPE ※以下同様

堅信式のバルバラン枢機卿(右)とアレキサンドルの子供

「沈黙を破る会」の会合

告発記者会見 フランソワ(右から2番目)

ミサに出席のアレキサンドル(右)

アレキサンドル夫妻

バルバラン枢機卿の釈明会見

アレキサンドル宅に招かれるスワン

スワン(左)とパートナー

プレナ神父の小児性愛事件

 物語の舞台は、フランス第2の大都市リヨンで、ローヌ川、ソーヌ川に挟まれ、整然とした街並みは美しく、グルメでも聞こえている。
冒頭場面、丘の上のフルヴィエール大聖堂の屋上に1人の正装した枢機卿(すうききょう)の姿が現われる。古く保守的なリヨンは、キリスト教信者が多く、大聖堂はキリスト教の権威のメタファーともいえる。
このリヨンで、神父ベルナール・プレナ(ヴェルナール・ヴェルレー)による80人余りに及ぶ小児性愛事件が起る。神父による性犯罪は、この事件前にも何度かマスコミに取り上げられたが、ほとんどがうやむやの結果に終わり、被告とされた教会側の僅差による辛勝の様相を呈していた。
聖職者の性犯罪は以前から問題視されてはきたが、プレナ神父事件は、当事者や保護者による教会権力に対する闘いでもあった。 
  


アレキサンドル一家

 冒頭の、キリスト教の権威を象徴するかのような大聖堂の枢機卿の後ろ姿をバックに、美しいリヨンの街並みが写し出される。そこには、プレナ事件の最初の訴追者である、アレキサンドル(メルヴィル・プポー)一家が生活している。
父親のアレキサンドルは40過ぎの端正で整った容姿の持ち主。仕事は銀行員でパリのテレビ局の顧問でもあり、人生の成功者と覚しき人物だ。
事の始めは2014年、アレキサンドルが、少年時代のボーイスカウトの友人と偶然街で会う。雑談の中で友人が「君もプレナ神父に触られたか」と問う。予期せぬ質問だが、この時点で今まで封印してきた忌まわしい少年時代を思い出さざるを得なかった。
アレキサンドルは幼い5人の子持ちで、妻は教会系の教員である。妻に性的虐待について、教会側の担当者と話した事実を率直に話して聞かせる。妻は「息子たちに是非話すべき」と夫を説得する。
彼の被害は一個人のものではなく、家族全員で事実をきちんと把握し、各人が自覚をもって真実に向き合うものとの認識である。中学生と覚しき上の2人の息子は、驚きながらも父親の闘いの援軍となる意識が芽生え始める。



父親の直訴

 
今でもプレナ神父が教区内で働いていることを知ったアレキサンドルは、彼の上司で、事件の全容を知るバルバラン枢機卿(フランソワ・マルトゥレ)に彼の処分を求めるレターを認(したた)める。事件を薄々知る立場にいる枢機卿は一応理解のある態度を見せながらも、プレナ神父への処分を下さない。
業を煮やした彼は、2年後告訴状を警察に提出し、司法が介入することとなる。最初の訴えの効果は、性的虐待の時効が成人に達してから20年だったものが30年と、10年延長されたことである。



男性と女性の違い

 性的犯罪に対し、最近は「Me too」の女権運動が注目を浴びており、女性の率直さや勇気が知れ渡り始めている。これに反し、男性の場合、幼少期の性的虐待を内に抱え込む傾向があり、「大昔のこと」と隠すケースが多い。差しさわりを覚悟で言えば、男性の方が臆病で、社会的体面へのこだわりが強いのではなかろうか。
プレナ神父事件も、アレキサンドルの2016年の告訴状を皮切りに、警察が介入し、80人が名乗りを上げ、被害者の「沈黙を破る会」が結成される。そして、2019年にはバルバラン枢機卿を告発する裁判が開始される。
本作でオゾン監督は、被害者の証言と裁判書類を基に脚本化し、告訴までの導入部とした。事実関係を明快に、分かりやすく見せる工夫が行き届き、後半へと物語を進展させる。




会の結成と宣伝活動

 アレキサンドルの告発を受けた警察は被害者探しをし、数多くの証言を集める。まず当時の被害者であるフランソワ(ドゥニ・メノーシェ)からコンタクトを開始し、彼の積極的な協力で多くの被害者の証言が得られ始める。会というものは幹事次第で、労を惜しまないタイプに恵まれれば、長く持続することは可能である。
「沈黙を破る会」は、フランソワのような適任者を得て、会員を増やし、強力な宣伝活動も打てるようになる。多くのラジオ、テレビ、新聞などのメディアの注目するところとなり、その内の記事の1つを読んだ元被害者の中年男エマニュエル(スワン・アルロー)も仲間に加わり、後半部のけんいん車的存在となる。
導入部はフランソワ、そして後半はエマニュエルの登場、語り口のうまさが冴(さ)える。1つ1つのエピソードが、簡潔で具体性を持ち、見る側を十分に納得させる演出手法は、オゾン監督の力(りき)だ。




おのおのの事情

 火付け人となったアレキサンドルは、社会的立場もあり、会から下りることを希望する。ましてや、教員で教会系の学校で働く妻の立場も考慮の上である。作劇的に、エピソードの扱いにキレがある。
今は同志たるエマニュエルは、アレキサンドル家に夕食に招かれる。アレキサンドル夫人と2人で話す折に、彼女も若いころ、性被害にあった事実を涙ながらに漏らす。
これ以上の被害の拡大を食い止めたい一心で、今まで口を閉ざしてきた過去がある。ここに問題意識を共有しようと試みる彼女の意図が読み取れる。




スワンの負け犬ぶり

 裕福な家庭を築くアレキサンドルに対し、後から加わったスワンは、事件当時、父親に話すが無視され、それがトラウマとなり職業が安定せず、負け犬人生を送らざるを得なくなる。
両親は離婚し、彼は、母親イレーヌ(著名な喜劇女優で、圧倒的な観客動員力を誇るジョジアーヌ・バラスコ、とにかく笑わせる。彼女の芝居、わが国の女優に例えるなら、渡辺えりであろう)宅に同居する。
その母親は、息子のスワンのために会の電話係を買って出る。彼女は24時間体制で、昔の被害者の相談係となる。心の折れそうな息子に寄り添うイレーヌの存在感は重い。




裁判の行方

 プレナ神父は還俗(げんぞく=俗人に戻ること)し、2020年に禁固5年の有罪判決が下されるものの、現在上告中。彼の監督者たるバルバラン枢機卿は、適切な措置を取らなかったことの理由で告発され、19年に執行猶予付き禁錮6カ月の有罪判決が求刑されるが、20年の控訴審で無罪判決が出る。
このように、直接手を下した神父は有罪、見て見ぬふりをした枢機卿は無罪と、カトリック教会の鉄壁振りを知らしめる格好となる。この判決に対し、アレキサンドルは息子に心境を問われるが、信仰の継続については無言。リーダー格となったフランソワは洗礼を取り消し、信仰を撤回、闘いを続ける。会の人々にとって、小さな苦い勝利を噛みしめざるを得ない残念な結果で終わる。
巨大権力に対する普通の人々の闘いは、世界中のあらゆる分野で起き、わが国も例外ではないとの思いを強くする。






(文中敬称略)

《了》

7月17日より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開

映像新聞2020年7月20日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家