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『この世界に残されて』
ハンガリーにおけるホロコーストの傷跡
困難な状況下での人生の再生
孤独な男女の年齢差を超えた愛

 ナチスによるホロコーストを背景とし、時代に翻弄される弱いながらも真っ当に生きる人々を描くハンガリー作品『この世界に残されて』(2019年/バルナバーシュ・トート監督、共同脚本、ハンガリー、88分/英題「Those Who Remained」)は、時代と人々にスポットを当てる作品だ。日本では公開が少ないハンガリー映画であり、しかも、日本人にはあまり知られていない、同国のホロコーストの傷を扱っている。

アルド(左)とクララ(右)  (C)Inforg-M&M Film 2019  ※以下同様

クララ

街を行く2人

アルド(右)とクララ

アルド

アルド(中央)、伯母ボルド(右)、クララ(左)

演出中のバルナバーシュ・トート監督

公園での2人と学校の先生(右)

第二次世界大戦

 本作の舞台、ハンガリーにおけるナチスによる蹂躙(じゅうりん)は、1939年にポーランドへ侵攻したことから始まる。これが第二次世界大戦の始まりだ。その後、1941年にナチスは対ソ連攻撃を開始した。
1930年代から40年にかけて、ユダヤ人は全ヨーロッパに900万人いたとされる。一番多いのがポーランドで、ハンガリーもユダヤ人は多く、政府や国民にも反ユダヤ的風潮が強かった。
第二次世界大戦で、1943年にナチスはソ連のスターリングラードに侵入するが、ソ連軍は同市を死守する。この時期を境にナチスの敗色が濃厚となり、45年5月に降伏。この対戦は終わりを告げる。
敗色濃いナチスは44年にハンガリーを占領するものの、翌45年に敗北となった。その後、ハンガリーはソ連軍の管理下に入り、ソ連が統合する東欧圏の一員となる。待望の終戦の後にソ連軍が侵入し、社会主義国家へと半ば自動的に移行した。 
  


家族を失った少女

 主人公クララは16歳のハンガリー人少女で、今は叔母オルギと一緒に住む。彼女の家族はナチスのホロコースト犠牲者で、両親と妹を失った身である。
初潮が来ない彼女は、オルギに伴われ病院へやってくる。その時の担当医師がアルドで、これがクララとアルドの最初の出会いである。彼は痩身の覇気に乏しい中年医師である。「お母さんも不順だったのか」との問いに、「まだ生きています」とケンカ腰で応答する。両親の死去を認めたくない彼女の精一杯の反抗であり、物事すべてにつっかかるような態度を示す。



当時のハンガリーのユダヤ人

 
医師アルドは病院と自宅、そしてユダヤ人孤児院を行き来する、味気ない毎日を送る独身者である。クララもアルドもナチスのホロコーストを逃れたユダヤ人である。
当時のハンガリーのユダヤ人は、主として首都ブタペストに住み、20万人といわれた人口は12万人に減少していた。ホロコーストによるアウシュヴィッツの絶滅収容所送りのためだった。



再度アルドを訪れるクララ

 ある日、アルドの病院へクララが1人で訪ねてくる。初潮があったとの報告だ。そして、仕事も終わり、2人一緒に病院を出るが、クララがアルドを自宅まで送ると言い出す。彼らの物語で大事な一瞬だ。
一般的には、若い女性が中年男を自宅へ送ることなどあり得ない。クララはソリの合わない叔母との2人暮らし、反抗的な態度での学校生活。孤立無援状態であり、物静かなアルドに心のよりどころを求めたフシがある。16歳の少女と43歳の中年男は、さらなる一歩を踏み出す。
若く生意気ではあるが自分を頼ってきた少女を、アルドは自宅へ招き入れる。2人でお茶を飲みながらの会話は全く色気がない。
叔母のオルドはまともな本も読まず、会話は食べ物への不満ばかり。食べ物の会話が全編に出てくるが、大戦中のハンガリーの劣悪な食糧事情の反映である。
クララの叔母への不満に同情したアルドは、彼女の肩に手を回し慰めると、クララは彼の腰にしがみつく。積年の愛情不足からであろう。




雨の日の訪問

 1人、自室で過ごすアルドの元に、雨でずぶ濡れのクララが現われ、一夜の宿を頼み込む。叔母から、男に抱きつくとはふしだらだと非難されてのこと。渋々クララに寝場所を提供し、自らはソファで眠る。
そこへクララが入りこむが、彼は抑制の姿勢を保つ。男女関係がない方が、修羅場もなく、平穏に事が運ぶことを中年男は知っているのであろう。




アルドの過去

 アルドもまた、ホロコーストの犠牲者で、妻子を失い、腕には数字が刻み込まれている。クララは、アルドのことが大好きという風情だが、彼は今でも過去に苦しんでいる。
ある時、クララは学校での化学の話をする。「水素と塩素の4人家族、そこに酸素が登場し水素を連れ出す。残るのは塩素2つだけ」ここに、ホロコーストを体験したアルドとクララの、残された人間の気持ちが込められている。回りくどくクララは2人の仲を説明すると、彼はしばらく浴室に閉じこもる。
家族を失った2人とも「残された者」という絆(きずな)で結びつき、一層、互いの気持ちの交流を深める。




アルドの友人の訪問と秘密警察

 本作は、ハンガリーの置かれている地政学的立場に触れている。戦前は、隣国ドイツの侵入を受けホロコーストの被害を受けている。終戦後は、銃後の守りのはずのソ連が実効支配後侵入し、ソ連傘下の社会主義国家となり、国民の自由が奪われる。
ちょうど、東西に分割された東ドイツが、ベルリンの壁崩壊(1989年)まで、シュタージ(秘密警察)の密告社会の管理下に置かれたように、ハンガリーも例外ではなかった。
戦後、友人の1人がアルドを訪れ、共産党員になったことを告げた。身の安全のため入党したのだ。すなわち、密告される立場から密告の受け手になったのだ。
ハンガリーは、社会主義下の独裁国家の様相を帯び始める。そして、住民は絶えず秘密警察の影におびえる毎日を過ごすことになる。




2人の別れ

 そんな政情不安の中、アルドは患者の中年女性と出会い、彼女と交際を始める。彼は、クララの気持ちが痛いほど分かっていながらの決断である。そして彼の再婚により、若いクララが新たな可能性を見つけることを願っての心配りである。
同じ、ホロコーストの痛みを分かち合う2人は、同じ場所にとどまってはいけないのである。今までは、不安な毎日であったが、2人で寄り添う心地良さもあった。しかし、一度は踏み越えねばならぬ行動と、決断が促される。
ラストで、バスに乗るクララが毅然(きぜん)とした態度で前を見つめる様(さま)は、1人の少女が、女性へと変化した証と受け取れる。
本作はホロコーストと、その後のソ連支配の困難な状況下の、2人の男女の愛の物語である。一方、底流として、人間は困難さを克服し、生きねばならぬとするメッセージが流れている。この点に留意すべきである。高い入場料を払ってでも映画館に足を運ぶ価値ある作品だ。そして、1人の少女が大人へと成長を遂げるまぶしさがある。





(文中敬称略)

《了》

12月18日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開

映像新聞2020年12月21日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家