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『野球少女』
プロ選手を目指す女子高校生の奮闘
韓国映画特有の人を動かす熱量
台詞を最小限に絞り作品にリズム

 日本で一番人気のあるスポーツは野球であり、お隣の韓国でも大変盛んである。従来、男性のスポーツとされた野球に、1人の女子高校生を主人公としてはめ込む試みが『野球少女』(2019年/チェ・ユンテ監督・脚本、韓国、105分)だ。少女の自立、周囲の反発と反抗心、そして韓国社会の中に根強く残る、男女を問わない、人を助ける義侠(ぎきょう)心の風潮について触れている。

 
冒頭、廊下に並んだユニホーム姿の野球部員たち、少し離れて、やはりユニホーム姿の女子高生、野球部の中での彼女の立場が歴然と分かる構図である。彼女の凛々(りり)しさが目にまぶしい、主人公のピッチャー、スイン(イ・ジュヨン)である。
周囲の男子部員からは孤立して見える彼女は、韓国で20年ぶりの女子の高校野球選手で、天才野球少女と騒がれている。彼女は球速130Kmの速球派で、プロ野球への道を目指している。
130Km以上の球速を誇るスインは、女子野球では大変に珍しい存在だ。しかし、今や高校生でも160Kmを出す時代であり、男女の力の差は歴然としている。周囲は剛腕を誇るスインに対し、女性ではプロとして通じさせるのは無理との見方が多い。この力の差をいかに克服するかが『野球少女』の見ドコロの1つである。
勉強をしないせいもあり、試験は白紙で出す彼女は、教師にからかわれても恥ずかしさをみじんも見せず、机にうつ伏せになり、居眠りを決め込む。生まれながらの野球向きの少女だ。

スイン  (C)2019 KOREAN FILM COUNCIL.ALL RIGHTS RESERVED  ※以下同様

ジンテ・コーチ

母親

校内野球部の整列

父親

マウンドのスイン

リトルリーグ以来の友達ジョンホ

試験を投げたスンイ

ベンチで考え込むスイン

ベンチのスイン

物語の作り

 1人の孤立した野球少女を見る周囲の目は冷たく、気の強いスインは、口には出さぬが「今に見ていろ」と言わんばかりの仏頂面の仮面を被り、対抗する。
彼女が口を利く相手は、新任のコーチ、ジンテ(イ・ジュニョク)と、リトルリーグ時代からの同窓ジョンホ(クァク・ドンヨン)、そして、タレント志望でオーディションに落ちてばかりの親友バングル(チェ・ヘイン)と、まさに多勢に無勢のありさまだ。少女スイン1人に何人かが取り巻く作りにしている。 
  


家庭環境

 母親は学校の用務員、父親は宅地建物取引士の資格を取るための受験生で、もちろん無収入である。家計は母親が1人で引き受けている。日本も以前の制度では、例えば司法試験の受験回数制限はなく、生活のため都庁で働く受験生の話は有名である。多分、韓国では受験回数の制限がないのであろう。
家庭内では、当然ながら母親は家計を一手に背負わされ、ヒステリー気味で、夫やスインに当たり散らしている。毎年、野球部は合宿をするが、女性のスインは1人部屋となるため、部屋代は割高になる。彼女は母親のことを思い、合宿には参加しない。
ギリギリのやり繰りの一家であるが、ほかの韓国映画を見ても、ほとんどが自室を持つマンション住まいで、日本より住宅環境の良さを感じる。これは余談。



トライアウト

 
自分の野球人生の狙いをしっかり定めているスインは、取りあえずプロチームのトライアウト(プロテスト)を狙うが、周囲は全く相手にしない。「女の体力では無理」、「130Kmの速球では通用しない」と否定的評価ばかりだ。
監督のパクも、次善の策として韓国女子野球連盟に入り、趣味として野球を続けることを提案するが、プロ狙いのスインは頑として首を縦に振らない。全編仏頂面を通すことは演出の狙いであり、それは彼女の突っ張りや意志の強さを表し、スインがその柄に応えている。



新コーチ、ジンテ

 パク監督の引きで、新コーチ、ジンテが野球部に来る。彼は独立リーグでプロを目指すが夢叶わず、酒に溺れ、妻子にも見放される。その彼をパク監督が拾った訳あり人物だ。彼は相当な美男子で、野球コーチには見えないが、その後、物語はスインとジンテを中心に展開される。
最初は彼女の速球の遅さでは、プロでは使えないと踏む。しかし、球速150Kmを目指し1人で練習に励むスインに次第に考えを変え始める。ここで、美男、美女の恋愛ものとなれば、ストイックなスポーツの世界と離れ、チェ・ユンテ監督の創作意図とは異なる。結果として、硬派路線が効いている。
映像も、スインの単独シーンが多い。マウンド上の彼女、1人練習に没頭する様子などだ。映像は良く考えている。俯瞰(ふかん)気味の彼女のアップ、1人で歯を食いしばり耐えるところだ。
130Kmの球速ではプロは難しいとみたジンテは、彼女のボールの回転数の少なさに目を付け、ナックルボールを試みる。ナックルボールとは、ほぼ無回転で放たれたボールが、左右へ揺れるように不規則に変化し落下する球種。捕手や投手本人にすら球筋が読めない。もちろん打者にとり難物だ。
練習試合で、マウンドに立つことを命じられたスインだが、彼女の力を試したい監督は、突然、チーム内の強打者を指名。これに驚くジンテは「冗談がきつすぎる。彼女には無理」と監督に駆け寄る。
しかし、2人の対決は予定どおり。スインは伝家の宝刀たるナックルボールで2ストライクまで取り、最後の1球にベンチは注目する。ここでスインは度胸良く、得意のナックルを投げ込むと、この球種を読んでいた打者は、しっかりバットを振り、ナックルを打ち返すのだ。
次のシーンが、実に映画的に処理されている。打球はぐんぐん伸び、あわやスタンド入りと思うところが、次の場面では高く上がった球はスインのグローブに落ち込む。3球で強打者を打ち取った彼女は大喜び。ここで、ナックルを投げるスインの存在が首脳部に認められる。


球団代表との面談

 ある時、突然校長から呼び出される。プロ球団代表が同席。一体、何が起こるのかと、戸惑う彼女。彼は、用意した契約書を彼女に見せると、「フロントの女子部門事業担当」の文言。彼女はフロントではなくプレーを望み、即座に席を立つ。慌てる校長やジンテ。ここでも突っ張りを効かす。まるで、男社会で生きるなら、一方的に席を立つくらいは必要と思わす態度だ。
席を立つ前、彼女は代表に「野球では球の速い、遅いは問題ではない。要は、打たせないこと」と持論を述べる。正論だ。160Kmの剛速球でも打たれたら何の役にも立たない、との意である。彼女は、打たせないためのナックルという武器を自分は持っていると、宣言しているようだ。
翌日、スインのビデオを見直した代表から連絡が入る。球団は彼女を採用、契約金も出る。同席した母親は何を勘違いしたのか、とても払える余裕はないと難色を示す。自分の方が払う費用と取り違えたらしい。



作品の熱さ

 全編、幾度か涙を流しそうになる場面がある。プロへ行けなかったジンテの代りに「自分がプロに行ってみせる」と、泣かせる一言。職員室の日本語女性教師が小さなポーズで「ファイト」とスインを控え目に励ます。同期生の男子、ジョンホからのナックル用のマニキュアのプレゼントなど、韓国には日常的な義侠心があり、見る者をホロリとさせる。
スインの頑なな突っ張り、母親の娘を思う気持ち、グサリと胸を突く。すべてが熱いのだ。この熱量は本当に韓国映画らしい。
シナリオも、台詞(せりふ)を最小限に絞ることにより、作品にリズムをもたらせている。技術的にはシンプルだが、そこに作り手の強い思惑が潜んでいる。アクションものではないが、痛快な一作だ。




(文中敬称略)

《了》

3月5日からTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

映像新聞2021年3月1日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家