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『息子のままで、女子になる』
トランスジェンダー「女性」の実情
追い求める自分らしい生き方
一流建築家めざす傍ら多様な活動

 「LGBT」(性的マイノリティーの総称=レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字による単語)を人間の生き方の一形態としてとらえる『息子のままで、女子になる』(2021年/杉岡太樹製作・監督・撮影・編集、日本語、106分、英題「You decide」)は、興味を引くタイトルであり、作品を見たくなるインパクトの強さがある。拙稿では、主人公については分かりやすく「トランスジェンダー」と記述する。
 
主人公は27歳の女性、サリー楓〈かえで〉(本名=畑島楓/以下、楓)。慶応大学建築学科出身で、尊敬する建築家は隈研吾である。建築学科卒業後、国内外の建築事務所を経験。そして、進学した慶大大学院(政策・メディア研究科)在学中の2017年、男性だった"彼女"はカミングアウトし、女性として生きる決心をする。現在は、一級建築士資格の受験待機中だ。
本業は設計大手「日建設計」勤務の会社員で、建築デザインを手掛ける傍ら、積極的に「LGBT」関係の啓蒙活動をする。彼女は、容姿を生かして"サリー楓"の芸名でファッションモデル、そしてトランスジェンダーに関する講演、テレビでの対談と、多岐にわたり活躍している。

サリー楓  (C)2021「息子のままで、女子になる」  ※以下同様

ファッションショーでのサリー楓

仕事中のサリー楓

打ち合わせ中のサリー楓

プロデューサーのスティーブン・ヘインズ

電話をするサリー楓

講演中のサリー楓

談笑するサリー楓

西原さつき

はるな愛

メイキャップ師で僧侶の西村宏堂

トランスジェンダーに対する考え

 楓の性転換は、転換手術によるものではなく、男性として生きることに違和感を持ってのことだが、詳しい動機は作中では省いている。むしろ、女性としての意識を持つ人間の今後の生き方を追う形となり、性転換の葛藤は既に通過し、現在の在り方に重点が置かれている。ここが監督・杉岡太樹の狙いとみられる。
楓は京都生まれ、その後、18歳まで父親の仕事の都合だろうか、福岡育ちの男の子であった。
脱線だが、彼女はトランスジェンダーの告白はしている。しかし、性転換手術には300−500万円かかり、現在のところ経済的に無理とのこと。手術をすれば戸籍とパスポートの取得も可能となり、晴れて書類上、女性に生まれ変わる。
現在は、女性ホルモンを使い、その効果で色白になり、ガツガツした表情が消えたと友人に言われる。男性の競争社会からの解放であろう。 
  


冒頭

 髪をなびかせる1人の美女が、福岡の両親に電話をする。今は東京の大学を終え就職している彼女、まず、仲の良い姉と話し、次に父親が受話器を取る。用件は、本作(ドキュメンタリー)への出演依頼である。
事情を全く知らない父親は、彼女がトランスジェンダーであることを聞かされ当惑する。彼は「お前を息子として育ててきた。今更、女性として生きることを認めるのは無理」と良い返事をしない。



コンテストのリハーサル

 
あでやかなステージ衣装を身にまとい、メイキャップも美しく施され、これ以上ない女性に仕上げられた楓は、トランスジェンダーの国際コンクールに出場し、今はそのリハーサル。
女性的所作と歩き方を、黒人のトレーナーで、本作のエクゼクティブプロデューサー、スティーブン・へインズの指導での特訓、激しいダメ出しが続く。ヘインズは国際的に知られる、トランスジェンダーや美人コンテストのカリスマ的プロデューサーだ。
多岐にわたり活動している彼女は、その一環として、自身の女性としての存在を確認するためのコンテスト参加である。有名モデルとなって、この道のプロになる気持ちはない。



カミングアウト

 楓自身、福岡時代に、既に男性社会に生きることに違和感があったことを、本作のインタビューで述べている。18歳までの男性としての生活、その後、トランスジェンダーという言葉を知り、性別を変えて生活するようになる。
親元を離れ東京の大学に進学、8歳の時からの「建築家になる」との夢の第一歩を踏み出す。そして大学院1年生の時に、ここが最後のチャンスとばかりにカミングアウトをする。福岡時代は、トランスジェンダーについて口にする雰囲気は、全くなかったこともあっての行動だ。
彼女は女性の服を着てメイクをし、会社や学校へ通い、気持ちは完全に女性になっていた。大変なのは、カミングアウトの実行だ。トランスジェンダーに理解はあっても、多くの人の反応には戸惑いがあり、彼女にとり、目に見えない第三者の目が心配の種である。
男性として大学に入学し、女性として就職する特異なケースの彼女は、日建設計に就職、男性と同様の実務をこなす。女子社員だから、コピー取りやお茶くみをしているわけではない。
映像で見た範囲では、彼女は自分の能力に絶対の自信を持っているようだ。そのことは、インタビューにおける受け答えにはっきり表れている。話の構成が事前にきちんと頭の中でまとめられ、論理的である。地頭の良さが分かる。



夢は一流の建築家

 楓の見据える先は、8歳からの夢である一流の建築家であり、女性になることではない。大事なのは、女性として、また一個の人間として、何ができるかであり、志が一段と高い。女性になるのはその一過程に過ぎない。
本作では一切、性的場面は出てこない。作り手は意図的に外したと考えられる。
彼女の揺るぎない考えの一端が、本作冒頭場面で見られる。インタビューの初めに、トランスジェンダーとセックスの違いを問われるところである。彼女は「トランスジェンダーとは、人間が持って生まれた男と女の性であり、セックスは誰かを好きになること」と明快に定義する。
楓自身、恋愛について語らず、作中、全く性に関する場面は出てこず、この意図は作品自体を、トランスジェンダーの枠の中に閉じ込めるためと考えられ、方法論として成功している。



父親との関係

 楓は、本質的に父親が好きなのであろう。父親は生まれてこのかた男尊主義にどっぷりつかって生きてきた男性である。2人は仙台で会い、食事を共にする。彼はゴリゴリの女権否定論者ではなく、世間一般の娘を愛する普通の父親と見受けられる。
この仙台での会食の前に楓は、強引に頼み込み、父親を映画に出演させたが、仙台では以前の対応とはかなり異なり、ソフトになっている。美女に変身した娘との久しぶりの会食、おだやかに運ぶ。父親は一言「迷うのだったら、そのまま進んだらいい」と口にする。
ここからは見る者の1人としての推測だが、父親は楓を認める現実的判断を下すであろう。しかし、息子として育てたわが子が女性になることに釈然としない思いも持つというところだ。



新しい女性の誕生

 自分らしい人生の在り方を追い求める女性の、新しい誕生物語である。しかし、この女性になることの方向性が最終目的ではなく、その結果、作り手、そして彼女の主張がより強くなる。この生き方の決意は見事であり、彼女が言いたいことは、人としての生き方の多様性の尊重である。
そして、彼女は、自分がすべての人たちのカテゴリーに入らないと思っている人に『息子のままで、女子になる』を見てもらいたいと願っている。なぜなら、自分に対する社会の理解は、ステレオタイプの段階にとどまっているという認識が、彼女の行動の底流となっていることが理解できる。
異色作であり、一段と高い人間像と、多様性を求める生き方に納得できる。





(文中敬称略)

《了》

6月19日よりユーロスペースほか全国順次公開

映像新聞2021年6月7日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家