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「D−シネマ映画祭2008」

 「Dシネマ映画祭2008」は7月19日から27日まで川口市スキップシティで開催され、最高賞の最優秀作品賞には、「幸せのアレンジ」(米)を選び閉幕した。今年で5回目を迎える同映画祭は、映画ファン、川口市民の間に徐々に浸透し、完全に地元の映画祭として定着した様子がうかがえる。
後発の映画祭だけに、一つ強力なセールスポイントが求められ、それが最高賞賞金1千万円の授与である。昨年の最高賞は「うつろいの季節(とき)」(トルコ、ヌーリ・ビルゲ・ジェイラン監督)に与えられた。ジェイラン監督は今年のカンヌ映画祭に「スリーモンキーズ」を出品し、監督賞を受賞したが、作品製作費の一部はこの賞金であった。これは、Dシネマ映画祭の思わぬ波及効果である。

「エゴイスト」

「エゴイスト」
(c)York Street Productions International Ltd..tif

 スイス人女性、ロティ・ラトルスの名を聞いたことがない人は多いと思う。マザー・テレサやフランスのピエール神父のように貧民救済に一生を捧げる人物である。
「エゴイスト」は彼女の行動と信条に迫る92分のドキュメンタリーで、今映画祭のハイライトである。
主人公ロティは、アフリカ、コートディヴォワールでエイズ患者や貧困に苦しむ人たちの救済施設「センター・オヴ・ホープ」を運営している。作品の中の彼女は施設の運営者、救急車で現場に駆けつける介護士であり、医者ではなさそうだ。一日10件の緊急コールを自分に果し、患者を施設に迎え入れ介護を施す。彼女は必ず患者を名で呼んで励まし、死に行く黒人の赤ん坊を長い時間腕に抱き、ビスケットと水を与える。翌朝、この赤ん坊はまるで予期されたように、眠るごとく旅立つ。恐らく生まれながらのエイズであろう。その棒のような手足から悲惨な状況が察せられる。
今までに千人以上の人を送った彼女には確固たる死生観がある。それは死を恐れないならば、死は身近になり、死があるから生があることの確信である。現実に向き合い、見て見ぬ振りは出来ないから、死しか残されていない人々を抱きしめることが出来るのだ。そこにはロティが自ら言うように、隣人愛、家族愛を突き抜けた人間愛があり、その愛を貫くことが彼女の使命となる。
献身的な彼女、自らをエゴイストと呼ぶ。尽し足りないと常に自分を責め、使命のために夫や3人の子をカイロに置く後ろめたさがある。その家族に対し、感謝の念と言葉を常に忘れない。夫や子供は彼女の理解者であり、支えである。長男は、人の目を見て接し、人を決して見下げてはいけないとの母の教えをトツトツと語る。
「エゴイスト」に出会いうだけでも、今映画祭は見る価値がある。(ステファン・アンスピシュラー監督、ドイツ・スイス作品)


イスラム者の世界

「キャプテン アブ・ラエド」
 偶然であろうが、今回、イスラム関連作品が3本揃った。
1本目はヨルダン作品、アミン・マタルカ監督の「キャプテン アブ・ラエド」である。主人公は妻に先立たれた初老の空港清掃員、舞台はヨルダンアンマン空港。驚くほど、脚本の構成が上手い。物語は、男がキャプテン(機長)の帽子を拾うところから始まる。その帽子を被り家路に着くと、近所のチビッ子たちが「凄い、機長だなんて!!」とばかり、世界を駆け巡った冒険話をせがみ、彼もついついその気になる。これが、メインの芯となり、そこから横に幾つかの技が発生する。空港でたまたま会話を交す美人女性パイロット、虐待に遭う近所の少年、親の命令で学校へ行かず路上で菓子を売る少年などのハナシが絡む。ほのぼのした情に厚い男、侠気ある女性パイロット、貧しい子供たちの家庭、それぞれの個性、環境が交差する。ハナシの面白さで見せる作品。宗教としてのイスラム的要素は薄い。


「幸せのアレンジ」
 2本目はアメリカ作品、ステファン・シャエファー監督、ダイアン・クレスポ監督の「幸せのアレンジ」である。主人公はニューヨーク、ブルックリンの2人の新人教諭。1人はユダヤ教徒、もう1人はイスラム教徒。2人ともそれぞれの出身階層社会の慣習にがんじがらめとなっている。特に、見合いが年頃の彼女たちを悩ます。対立するユダヤ、アラブを政治問題ではなく、宗教性に軸を置くあたり発想のユニークさがある。互いの相違点を認識する、多様性の受入れ姿勢が根底に流れ、そこが見ていて楽しい。

「戦禍の下で」
 3作目はレバノン作品、フィリップ・アークティンギ監督の「戦禍の下で」である。2006年夏、イスラエル軍の空爆で破壊されるレバノンが舞台。その戦禍を避けるために、息子を妹に預けた母親が、タクシーで遠路はるばる息子と妹を探す旅物語。空爆で緊張する街、美しい地方の風景、タクシー運転手との交流と現在のレバノンの様子を伝えている。
イスラエルによる過剰な攻撃と犠牲となる女、子供。見慣れすぎた構図であり、もう一工夫してみせる手立てが欲しい。

イジメ

「ザ・クラス」

 学校におけるイジメは、我が国だけでなく世界共通の問題である。「ザ・クラス」(エストニア作品、イルマー・ラーグ監督)はこの問題を扱っている。
クラスのイジメラレッ子に味方したばかりに、イジメ団の標的になる少年と彼らの究極の復讐が物語の筋である。イジメを受ける側は誰にも相談出来ず、理解されず、自分を追い詰め暴発する。しかし、ラストの銃乱射はガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」と同曲であり安易すぎる。


アジア作品

 日本からは、奈良橋陽子監督の「天気待ち」が出品された。若い青年プロデューサー2人の映画立ち上げバナシで、青春の熱さを狙った意図は理解できるが、それ以上でもそれ以下でもない。
中国からは「囲碁王とその息子」(ジョー・ウェイ監督)が選ばれた。囲碁での成功を目指す親子が主人公であり、一種の芸道ものの趣きがある。離婚、貧困、周囲の無理解の中で頑張る弱き人々の、耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ苦行で、そこには普遍的テーマがきちんと据えられ、新人監督として良くやった作品。


シネマ歌舞伎

「シネマ歌舞伎」

 山田洋次監督の「人情噺文七元結」が、特別招待作品として上映された。昨年は「夕凪の街、桜の国」(佐々部清監督)であり、楽しみな上映である。今作「人情噺…」は歌舞伎世話物の名作で、三遊亭円朝の落語が原作の、笑いと人情がない交ぜにされたノリの良い作品。主演の中村勘三郎の緩急自在の芝居も楽しい。この歌舞伎舞台を高性能HDカメラで撮影し、デジタル上映するもの。高画質の映像、舞台の臨場感にすぐれている。歌舞伎の映像化は小津安二郎監督の六代目尾上菊五郎の舞台を追った「鏡獅子」(35)(一般公開されず)があるが、一般的に言えば、舞台そのものが遠く、もどかしさが常にある、舞台の缶詰であった。技術的には舞台のフレーミングを駆使するだけだが、HDの威力により、映し出される映像が実に生き生きしている。製作会社の松竹は自社の手駒たる歌舞伎を新利用し、新しい興行のネタを作り上げた。一方、古典芸能の保存の趣旨からも貴重な試みである。



おわりに

 Dシネマ映画祭、5回目を迎えた。始まった頃は先行きの不安があったが、いまや確実に定着の兆しが見える。地元、川口市市長のヤル気もプラス材料である。この種のイヴェント、行政の熱意が成功、継続の鍵なのだ。器は良く整備されているが、問題は内容、質である。
選考作品の中で「エゴイスト」は描かれる人間像の強さ、「キャプテン アブ・ラエド」は脚本の上手さで見せる。しかし、他の作品に関しては、どうも、今一つインパクトが弱い。700本の応募があるなら、もっとましな作品がなかったかと思わざるを得ない。一方、選考に関し、応募を待つばかりではなく、事前の情報収集を徹底させ、こちらから獲りに行く体制が望まれる。
もう一つ、作品選考のポリシーを今一度確認する必要がある。D(デジタル)シネマの新人作品の枠だけでは映画祭の個性にならない。ここは良く考えねばいけない。

●入賞作品一覧
最優秀作品 『幸せのアレンジ』(米)(賞金1000万円)
監督賞 ホセ・エンリケ・マルチ(『ガブリエルが聴こえる』スペイン)(賞金200万円)
脚本賞 監督/脚本 イルマー・ラーグ(『ザ・クラス』エストニア)(賞金100万円)
審査員特別賞 『記憶の谺(こだま)』(デンマーク)、『リノ』(仏)(賞金各100万円)

 




《了》
(文中敬称略)
2008年8月4日掲載

中川洋吉・映画評論家