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国際テレビ映像祭「FIPA」報告(1)
日本作品唯一のコンペ選出
NHK「貧者の兵とロボット兵器」


ミル・プレジデントとカビナ総代表

 今年で24回目を迎えた国際テレビ映像フェスティバル「FIPA2011」は、1月24日−30日にフランス南西部ビアリッツ市で開催された。今年は開催日が一日延び、日曜日までの日程となった。一般論として、フェスティバル運営上日程を増やすことは、その分出費がかさみ経済上の問題が発生する。しかし今回の会期延長は、新体制陣の意気込みとも言える。FIPAの創設者ピエール=アンリ・ドゥロが2年前に引退し、新しい選考担当のイタリア人女性、テレサ・カビナが総代表に就いてから2年目を迎えた。彼女は中東、ドバイ映画祭のディレクターを兼任していて多忙のため、今年度の選考に大きな遅れが生じ、事務方をやきもきさせた。

日本作品

 今年の日本からのエントリーは16本。そのうちコンペに残ったのはNHKスペシャルの『貧者の兵器とロボット兵器〜自爆将軍ハッカーニの戦争〜』(新延明ディレクター/以下『貧者の兵器』)。そして選抜制見本市であるFIPATEL(フィパテル)には、同じNHKの『ETV特集「死刑囚〜永山則夫〜獄中28年間の対話〜』」(堀川恵子ディレクター)と、選考は2本のみで、例年以上の厳しさであった。民放からは北朝鮮帰還事業を追った『悲劇の楽園〜北朝鮮帰国事業、50年目の真実』(朝日放送、東野裕ディレクター)やフジ系列『ザ・ノンフィクション 父は、何故海を渡ったのか』(森憲一ディレクター)などの秀作がエントリーされたが、選外となった。毎年、民放各局から意欲作が応募されるが、なかなか好結果とは結び付かない。もし、このような選考状況が続くようであれば、民放の意欲がそがれ、今後の出品が先細りとなることが心配だ。

  時間と予算をかけたNHK作品はこの10年間毎年出品しており、既にNHKブランドとして通用している感がある。民放に関しては、FIPAの選び手の目が未だ届いてない印象がある。客観的に見て、日本作品は他の国と比べも、決して劣っていない。問題点は作り方の違いにあるようだ。しかし、それぞれお国柄があり、こちらの手法を相手に慣れてもらうしかない。


審査員と有名女優


アレキサンドラ・スチュアート
マルシュカ・デットマルス
エリザベット・ヴィタリ
アリアンヌ・アスカリッド
 女性のカビナ総代表就任に合わせ、5部門(フィクション、シリーズ、紀行ドキュメンタリー、社会ルポルタージュ、音楽・スペクタクル)の審査委員長には女性二人が就いた。  シリーズ部門はカナダの女優アレキサンドラ・スチュアート(『アメリカの夜』〔73年〕フランソワ・トリュフォー監督)、音楽・スペクタクル部門はオランダの作曲家セルマ・ミュタル、そして、作品の横断的賞「ミッシェル・ミトラニ賞」には、フランス新メディア協会会長アン・アンドリューが務めた。

  他部門の審査員にもマルュシュカ・デットマルス(『カルメンという名の女』〔83年〕ジャン=リュック・ゴダール)、そしてもう一人、社会ルポルタージュ部門の審査員にエリザベット・ヴィタリ〔『ゴダールのソーシャリズム』〔10年〕)と顔をそろえ、フランスのアリアンヌ・アスカリッドがフィクション部門の『運の悪い日々』の主演女優としてビアリッツ入りした。このように女性を正面に押し出す方向が見られた。 今年は久々に二人の日本人が審査員に加わった。一人はパリ在住のドキュメンタリー作家、渡辺謙一で、社会ルポルタージュ部門。もう1人はパリ在住の映画プロデューサー、澤田正道で、担当はフィクション部門。彼の最新作は、イポリット・ジラルド、諏訪敦彦共同監督の『ユキとニナ』(09年)である。

  渡辺謙一は社会的ドキュメンタリー作家で、97年からフランスに定住し、フランス・テレビジョン、アルテ局で作品制作を行っている。アルテ局では09年9月に『日本、天皇と軍隊』を放送。従来の視点とは違う天皇、戦争観を描き、10年のフィパテルに選出された。今作は日本でもTBS系列で放映されている。現在は米国公文書館の膨大な資料と格闘しながら、彼独特のビジョンで『広島』を制作中である。日本人が思い描く広島とは異なる視点が作品の狙いという。現在の予定では5月完成で、NHKの出資の可能性が取りざたされている。彼はオリエンタル趣味を押し出すことなく、新しい視点で日本の近現代史を追う硬派の作家と位置づけられる。


アフガニスタンが舞台


大量殺人の残酷さを伝える
  日本からの唯一の作品『貧者の兵器』は、放映時から注目され、入賞の期待があった。ディレクターの新延(にいのべ)明は、現在、宇宙飛行に関する作品を制作中で、取材先のアメリカから直接パリ経由、ビアリッツ入りした。上映会場は満員で、作品に対する関心の高さがうかがわれた。選考担当のカビナ総代表も上映に立ち会った。これは非常に珍しいことであり、FIPA側の並々ならぬ力コブの入れ方を感じさせた。上映に先立ち、新延ディレクターは作品の意図について英語で短いスピーチを行い、観客に制作者側の意図を伝えた。言語、習慣が違う外国での上映で、ディレクターのスピーチの有無は受取る側のインパクトが違う。

  作品の舞台はアフガニスタン。タリバン掃討を図る米国は数百機の無人機を投入し、自軍の損害をより少なくする軍事作戦を展開している。旧ソ連製武器の貧弱なタリバンのローテクと、近代兵器の粋を集めた米軍のハイテクとの争いの構造が、この作品の焦点だ。人的犠牲を最小限に抑えるために考えられた無人機の存在、今後の戦争の在り方を大きく変えるものである。

  しかし、無人機は、米国の損害を少なくするには有効だが、敵たるタリバン以外に一般人までも殺りくする事実を明らかにしている。米国の正義と人道主義は自国のためであり、決してアフガン国民と共有出来るものでないことをこの作品は喝破する。 この事実、ベトナム戦争、イラク戦争、フランスによるアルジェリア戦争と全く同様な構図である。イラクでは米軍兵士は何千人も死んでいるが、一般市民の死は全くカウントされていない。これは大国のエゴであり、ハイテクは果して人類に幸せをもたらすかが、大いなる疑問である。『貧者の兵器』はこの点を衝(つ)く。ただし、米国の空爆による大量殺人と併せ、タリバンの非道さも描いている。一方に偏ることなく、公平に描くことがディレクター新延明の狙いであろう。
  しかし、米国にだけハイテク兵器による大量殺人の権利が許されている現実は、見る者を驚かせ、上映後は観客から作品に対する好意的な感想がもたらされた。まずは、このような現実への驚きと怒り、そして、戦争の残酷さは確実に伝わっている。

 

NHKスタイル


貧者の兵器(c)NHK 

受賞期待も外国との「作り方」に違い
 『貧者の兵器』は、非常に良く出来た作品でありながら、社会ドキュメント部門で金賞はおろか銀賞も逸した。その理由をクロージング・パーティの席上で、審査員の渡辺謙一に直接聞いた。グラス片手のパーティでは、審査員相手に色々質(ただ)せるのがFIPAの良い点である。この場で、審査員は選考過程や理由について気軽に語ってくれる。渡辺謙一は『貧者の兵器』についての説明に応じ、次のように述べた。

  「素材は抜群に良く、英訳されたナレーションも的確で、作り手の意図は良く伝わっていたと思う。各国のテレビは自らのスタイルを持っており、当然NHKも同様である。そのスタイルでどのように闘うかにより、独自性が一層深まると考えられる。しかし、矛盾するようだが、NHKスタイルの独自色が勝り、作り手の新延氏のモチベーションが薄まっていた点が問題だと思う。観客はディレクター自身の作家性をもっと見たいのだ。もちろんNHK作品として、極端な方向へ向って行って良いとは考えないが、あえて中立性の逸脱して、もう少し踏み込んでほしかった」
 渡辺発言は正論であり、この辺りにドキュメンタリーの作り方における日本と外国との違いの鍵がありそうだ。ディレクター新延明としても、一つの方向性は感じ取れたと思う。彼にとり、刺激的な出会いではなかったろうか。 しかし、筆者の私見を述べるなら、渡辺発言はNHK作品に対して、無い物ねだりのように思えた。

●受賞一覧
フィクション部門 FIPA 「マザー・オヴ・アスファルト」(クロアチア)
FIPA

「潜入」(フランス)

シリーズ部門 FIPA 「ボルゲン」(政府)(デンマーク)
FIPA 「昔、昔 馬鹿の都市」(イタリア)
紀行ドキュメンタリー部門 FIPA 「ドリーミング・ニカラグア」(米国)
FIPA 「一人の男の肖像」(フィンランド)
社会ドキュメント部門 FIPA

「忘れられない島々」(仏・豪)

FIPA 「無知の日々」(オーストリア)
音楽・スペクタクル部門 FIPA

「ドラマーズ・ドリーム」

FIPA 「コレジアム・ヴォーカル・ジェント」(ベルギー)
(注 バッハを得意とする合唱団)



(文中敬称略)
《続く》
映像新聞 2011年2月28日号掲載

中川洋吉・映画評論家