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「フィルメックス2007 その(2)− 山本薩夫特集」

 フィルメックスの目玉には、コンペ、特別招待以外に、フィルムセンターとの共催の日本映画特集がある。
日本映画の巨匠、異才が採り上げられる部門で、中々見られない監督たちの過去の名作特集が組まれる。清水宏、内田吐夢、中川信夫、岡本喜八に続き、本年は山本薩夫〜ザッツ〈社会派〉エンターテインメント〜として、採り上げられた。
今井正と並ぶ、左翼作家という位置づけで、あまり語られる機会が少ない巨匠、山本薩夫の登場は驚きであった。このあたり、フィルメックスの懐の深さであろう。
上映12作品は、初期の独立プロ作品ではなく、メジャー製作会社作品に絞っている。この商業路線の中でも、彼の社会派としての信念はいささかのゆるぎも見せない。

山本薩夫について

 1910年、鹿児島生れ。早大独文科に入るが、学生集会を開いて退学処分となる。戦前の日本では、共産党は非合法、左翼思想を持つ者は国賊であった。山本薩夫は、若くして、いわゆる「アカ」で、彼の立つ位置は生涯、ヒダリであった。
 退学後、32年に松竹助監督試験を通り、撮影所では成瀬巳喜男監督に師事。師の東宝(当時のPCL)への移籍に従う。成瀬巳喜男門下として、メロドラマなどの作り方を学ぶ。37年に監督昇進。第一作が「お嬢さん」で、この成瀬組の経験、戦後、メジャーでの仕事に大いに役立つ。戦中派、戦意高揚作品を手懸ける。これは、今井正監督も同様。助監督時代、吉村公三郎らの同僚たちは映画論を戦わせるが、彼は、さっぱりわからなかったそうだ。映画論よりも酒へ大きく傾斜し、亡くなるまで酒は良き友であった。
 43年に応召、報道班として中国戦線に赴き、記録映画を製作する。しかし、敗戦で、作品は焼却処分。復員後、東宝撮影所に戻る。時は戦後民主化時代、早速組合運動に参加。
 GHQ(進駐軍司令部、実質はアメリカ)の占領政策で民主化が進められたが、米ソ冷戦により、政策は右旋回。民主化の追風を受けた労働活動は、占領軍の後押しを受けた会社の反撃により、組合の敗北。組合の委員長、伊藤武郎、幹部の山本薩夫、宮島義勇(撮影監督)は退職となる。49年8月19日、東宝争議終結の日。

「戦争と平和」

「戦争と平和」(c) 1947 TOHO CO., LTD.
 東宝に復社した山本薩夫は、記録映画作家、亀井文夫と共同監督で「戦争と平和」(47)を製作。同じ左翼でも畑の違う、この2人の組合わせは珍しい。
 主人公は親友の男2人、そして、1人の女。1人は女と結婚し、妻子を残し戦争へ、もう1人の男も応召。
 南方戦線へ向う戦中の冒頭シーンが印象的だ。狭い船倉の兵士と馬。突然のアメリカ軍の砲弾と船の浸水。大日本帝国一瞬の崩壊を思わす一コマだ。 物語の舞台は戦後の焼跡。世帯持ちの男の留守宅に戦死公報が届く。遅れて、もう1人の男が復員し、彼女と結婚する。この男、戦争の後遺症で突発性発狂を繰返す。それに耐える女。そこに、死んだ筈の夫が復員。
 終戦直後、よくあった話であり、今でも、イラク、アフガンに起きている。60年前の作品だが、現在でも通じる問題で、テーマ自体、古くない。典型的な戦争の悲劇を扱っているが、普遍的問題が提示されている。この素朴な訴えに力があり、そこが「戦争と平和」の見ドコロだ。宮島義勇のカメラが凄い。モノクロで陰影の際立つ、かっちりした映像だ。宮島天皇と呼ばれた名人の面目躍如たるものがある。

「荷車の歌」

「荷車の歌」(c) 全国農村映画協会

 今回の山本薩夫特集では、主に、60年以降の商業作品が採り上げられた。
 東宝退職(実質は解雇)後、独立プロで製作を続け、55年には東宝時代の盟友で、プロデューサー、伊藤武郎とのコンビで山本プロを設立、その後、この山本、伊藤コンビは続く。
 貧乏、独立プロ時代には旧陸軍兵営内の非人間性を痛烈に批判した「真空地帯」(52)、民衆が幕府の反対を押し切って完成した箱根用水の建設物語「箱根風雲録」(51)などの傑作があった。
 今回上映された作品の中に、これらの作品の延長線上の「荷車の歌」(59)がある。
 この作品は、メジャーの興行システムに頼らない、全国農村映画協会自主配給作品で、当時、ヒットした。貧農の家に生れた女の苦闘の一代記である。
 「荷車の歌」は悲惨なだけの女の一生ではなく、1人の女の人間性が描き込まれているところに、作品としての魅力がある。
 山本作品には、左翼的イデオロギー以外に人間描写に秀れ、その人間が屈折していないところに特徴がある。これを増村保造監督は「山本作品には直球の魅力がある」と評した。

「忍びの者」

「忍びの者」(c) 1962 Kadokawa Pictures Inc.

山本薩夫が堂々とメジャー復帰を果した作品は、大映の「忍びの者」(62)だ。新聞「赤旗」に連載された村山知義の原作であり、忍者たちが陰謀をめぐらせ乱世を生き残る物語である。この企画、伊藤武郎プロデューサーが永田雅一社長に持ち込んだもので、ハナシの面白さと、左翼観客の取り込みを狙って受入れられた。敏腕プロデューサーと興行師の思惑が一致した企画で、東宝では絶対に通らない企画であった。
 忍者という反体制集団の裏切りと謀略と、共産党の神経を逆撫でする内容だが、そこが逆に面白く、大ヒットし、大映のドル箱となった。忍者には市川雷蔵が扮し、策士に伊藤雄之助、その手下に西村晃と、胸躍る配役である。
 山本薩夫は戦前から演劇人と親しく、大物新劇俳優が彼の作品の脇を固めている。
 宇野重吉、小沢栄太郎、東野栄治郎、滝沢修、映画俳優では三国連太郎、伊藤雄之助など、上手い役者をしばしば起用している。彼らの芝居で山本作品の人間描写の厚みが増し、締まっている。
 この役者揃えにより、山本作品には、単なる左翼イデオロギー作品を越え、作品としての面白さが加わっている。
 貧乏プロで苦労した山本組は、メジャー大映で「忍びの者」を撮った。その時、「ギャラが出る」と驚き、喜んだという嘘みたいなエピソードがある。

「座頭市牢破り」

「座頭市牢破り」(c) 1967 TOHO CO., LTD.

 映画会社、永田大映は、儲かるなら何でも手を出す体質があり、ドル箱の「座頭市」シリーズの1本を山本薩夫に託した。それが「座頭市牢破り」(67)である。
 彼と座頭市の組合わせ、普通なら考えられないが、結果的には悪くなかった。内容は、座頭市が農民運動を支援するもので、おカミ上嫌いな座頭市シリーズの中でも、反体制臭が強いものであった。
 彼が座頭市を手懸ければ、こんな描き方になるというような作品で、それなりに楽しめた。しかし、商業作品に復帰した彼は、成功を収めるが、段々と機嫌が悪くなっていった。作品を如何に自分の色で染め上げても、何か違うと感じる違和感のせいであろう。
 しかし、彼の作品は面白く、当たるので、映画会社は彼を離さなかった。


傑作喜劇

「にっぽん泥棒物語」(c) 1965 TOEI COMPANY, LTD.

 日本映画史上、5指に入る喜劇の1本が「にっぽん泥棒物語」(65)ではなかろうか。笑いの乏しい喜劇の中で、ここまで笑える作品は少ない。この作品、列車転覆事件で、共産党員が大量に逮捕され、後に裁判で無罪となり、アメリカ諜報機関の関与が濃厚な松川事件の裏面史である。
 舞台は福島、主人公は周辺農村で土蔵破りを繰返す泥棒(三国連太郎)、彼を追いかけるベテラン刑事が伊藤雄之助。
 戦利品を満載したトラックが検問(当時はヤミ米摘発のため各地で検問が行われた)をぬらりくらりとくぐり抜ける、冒頭からしておかしい。
 主人公が、ベテラン刑事に捕まり、刑務所送りとなる。そこでの入浴シーン、1人の受刑囚(西村晃)の石鹸がなくなり「泥棒は誰だ」と大声を上げる。憤然とした三国連太郎が「あんた、何を言ってんの、ここは皆ドロボーと違うの」と切り返すシーンは爆笑もの。法廷では、検事からの尋問でドロボーが何故、必要なロープを用意しなかったかと問い詰められる。
 被告の三国は、大真面目に「我々の稼業では、お縄を頂戴するのは縁起が悪いから、ロープは持ち歩かない」と答えるシーンも笑える、歯車の会わない、巧まざるユーモアが大笑いを呼び、古さを感じさせない。この泥棒、犯行当夜に、松川事件の犯人と思われる外人を含む集団と出くわし、彼らの事件関与を匂わせている。しかし、松川事件の社会風刺喜劇と銘打たずとも、喜劇として充分楽しめる。



大作
「白い巨塔」(c) 1966 Kadokawa Pictures Inc.

 山本薩夫は、商業作品以外に、大作、「傷だらけの山河」(64)、「白い巨塔」(66)にも腕の冴えを見せた。スケールの大きい作品もこなす演出力があった。そのためには手だれの脚本家を起用し、がっちりと構成された脚本が、山本演出を支えたし、又、自ら脚本を書かない彼は、脚本を精査していた。その上、新劇出身の俳優を重用し、骨太な作風を築き上げる手腕は、彼のもって生れた才能であろう。



おわりに

 持ち前の正義感で、社会の悪と対決する山本作品は、パワー溢れ、その上、リズムが良い。そのため、単なる左翼作家の枠を越え、商業作品でもその才能は開花した。更に、人間を描くにも、暖かい視点があり、人物像に膨らみがある。
 彼は、忘れられかけた作家であるが、筋金入りの左翼作家というベクトルだけでなく、見て面白い映画作家として、今後、評価すべきであり、この再評価は日本映画をより豊かにするであろう。




(文中敬称略)
映像新聞2007年12月24日掲載
《了》

中川洋吉・映画評論家