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「東京国際映画祭2007−その(2)その他の部門」

 コンペ以外の部門で特筆される作品があった。
コンペ部門の評価が低い時代が続いた東京国際映画祭(以下TIFF)でも、アジア部門「アジアの風」と日本映画部門「日本映画・ある視点」は人気があり、その勢いは止まらない。
「アジアの風」は等身大のアジア人の生活と暮らし振りが伝わり、多くの観客に共感をもって迎えられて来た。
「日本映画・ある視点」(以下日本映画)は、その年の若手、中堅監督作品が揃い、「日本映画の現在の姿を知ることが出来る。
他に、世界の映画祭受賞作品を集めた「ワールド・シネマ」や日本映画のクラシックを揃える「ニッポン・シネマ・クラシック」は、内容が充実し、映画ファンや研究者を喜ばせた。

「実録・連合赤軍−あさま山荘への道程」

「実録・連合赤軍−あさま山荘への道程」

 「日本映画」で上映された若松孝二監督の同作は、第20回のTIFF白眉の作品である。
 72年の連合赤軍事件、あさま山荘での銃撃戦の主役の赤軍派学生たちのすべてをかけた革命とその失速を描くもの。従来の赤軍モノ、あさま山荘銃撃戦を扱った作品は、外側から、言い換えるならば、おカミ上の視点から描かれて来た。銃撃戦で警官を殺し、同志を総括の名のもと粛清した若者たちを、世論は極悪非道な殺人鬼とし、迎え撃つお上は、世の中の安寧秩序の維持のために止む無く権利を行使したという図式が一般的であった。その認識を、内側からの視点によりトラ捉え返す試みを若松監督は、革命戦士たちの声としてすくい上げ、事件後、35年を経た現在、やっと内側からの検証が成された。
 何故、若き革命戦士たちは仲間を粛清したのか、何故、目に見える敗北を前に銃撃戦に打って出たか、彼らの行動が詳しく写し出される。彼らの行動を裏付ける論理は承服し難いが、しかし、彼らの革命に対する熱に浮かされたような皮膚感覚は確実に伝わる。
 現代史の負の部分を振り返る意味で重要な作品。同作2008年のベルリン映画祭へ出品予定。

「愛の予感」

「愛の予感」
 同じく「日本映画」で非常にユニークな作品が、小林政広監督の「愛の予感」である。彼は、カンヌ映画祭に既に4回出品している異色の作家。
 小林作品は社会性の枠を意図的に抜け出し、人間の些細な気持ち、心の痛みに迫り、それが「愛の予感」へと結実している。
 冒頭、2人の男女がリポーターの質問に答えている。女は、自分の子が殺人を犯したことが理解出来ない、そして、故郷の北海道へ戻りたいと盛んに訴える。男は、殺された少年の父親で、何で同級生の少女に殺されたのかわからない。総てが空虚となり、謝罪など到底受け入れられないと淡々と語る。
 シーンが北海道のさびれた町へと変わり、ある一軒の宿に投宿している父親の姿が見られる。鉄工場で働く彼は、仕事が終り、食堂で夕飯を摂り、部屋に戻り読書をし、寝る。判で押したような生活の繰返し。その食堂のマカナイ賄婦が加害者少女の母親という設定。
 男は小林監督自身が、女には渡辺真起子が扮し、2人は互いの存在を知ってか、知らずか、無言の行。日常生活の描写が延々と続く。しかし、作品にダレがない。次に何が来るか、その期待から、緊張が続く。そして、無言の2人の間に「愛の予感」が生れる。台詞は冒頭とラストに数行と、意図的にコミュニケーションを省略するところは、小林監督の狙いであろう。
実験的な作品で、極限のシンプルな構成であり、小林監督は自己のスタイルを一段と純化させている。本年度、ロカルノ映画祭金豹賞受賞作品。

「マイ・ブラザー」

「マイ・ブラザー」

 「ワールド・シネマ」の「マイ・ブラザー」は、イタリアの中堅監督ダニエレ・ルケッティ監督による、骨格のしっかりした、見せる作品だ。
 60年代のイタリア地方都市に住む2人兄弟の物語。2人は、それぞれ右翼と左翼のグループに属し、自己の政治信条に生きようとする。68年の世界的な学生運動の盛り上がりは、イタリアでも例外でなく、社会的環境の変化が2人の運命を分ける。家族の在り方、社会の変化のテーマがきっちり押えられている。自ら、現代イタリアを描く作家を自認するルケッティ監督の世界は、他人事と思え切実感がある。イタリアでは多くの賞を得た作品。社会の枠と個人、人間としての生き方を追求し、作品に力がある。

「忠次旅日記」(「ニッポン・シネマ・クラシック」)

 幻の名作と言われる、27年製作の伊藤大輔監督作品。国定忠次扮するは、ご存知、大河内傳次郎。モノクロ、サイレント作品。既に失われた名作で、誰もが本物を見られるとは思っていなかった。ところが、91年に広島の旧家で発見され、当時、大きな話題を呼んだ。「忠次旅日記」は甲州殺陣篇、信州血笑篇、御用篇と3部からなる。上映作品の大部分は御用篇で、若干の血笑篇も加わる。侠客忠次の子分に裏切られ、ラクハク落魄の最後が中心で、人間の描き方には現代でも通用する新しさがある。
 映画祭でなければ見られぬ好企画。改めて、フィルム保存の重要性を感じさせる。

「高麗葬」

「高麗葬」

 「アジアの風」では、幻のアジア映画の発掘上映と銘打ち「高麗葬」(63)が特別上映された。韓国映画振興委員会(KOFIC)の協力による復元上映で、現在、過去の名作の復元、保存に力を入れる韓国映像資料院の活動の成果である。
 韓国のブニュエルと言われるキム・ギヨン監督(19〜98)の傑作で、異能監督として現在、韓国で若いファンが急増中とのこと。極めて鮮明な映像を復元していることもさることながら、ストーリーの内容が実に面白い。姨捨て伝説を扱い、人間関係の濃密さとアクの強さに目を奪われる。同じ伝説でも、日本の木下版や今村版との解釈の違いが大きく、そこがキム・ギヨンの世界であろう。


「海辺の一日」

「海辺の一日」

 やはり「アジアの風」では先頃亡くなった台湾の監督、エドワード・ヤンの追悼上映で日本未公開作5本が上映された。
 「海辺の一日」(83)は彼の長篇第一作で、その完成度の高さ、とても新人監督とは思えない。
 もし、存命であれば、世界10大監督の1人であろう。夫が自殺との連絡を受け、浜辺に来た女性の脳裏をよぎる半生が、入れ子構造で綴られる。極めて優れた構成による脚本で、ヤン監督と今回の審査員である台湾の大物脚本家ウー・ニエンジェンの手になる。
 女性の兄の昔の恋人で、現在は世界的ピアニストとなったもう1人の女性のナレーションでストーリーは進行し、166分の長さが一向に気にならない密度がある。そこには1人の少女が大人へと成長する過程が、乾いたタッチだが情感を籠めて語られる。ヤン監督の傑作だ。



アジア作品
「シンガポール・ドリーム」

 例年のことながら、この部門の出品数は30数本あり、見る側にとり、せいぜい半分くらいしか見られないのが悩みの種。その中から、目に付いた作品を採り上げる。
 今年は担当ディレクターが交代し、作品傾向が変化した。従来、東南アジア中心の選考であったが、今年の新ディレクターの得意範囲である中東、中央アジアへと地域が広がった。
 アジア部門の人気の秘密は、日本人と同じ肌の色の東アジアの人々の生活や暮らし振りが見えるところにあった。その成功例が、昨年のマレーシア特集だ。
 その系統の作品、シンガポールから「シンガポール・ドリーム」が上映された。シンガポール社会の繁栄から取り残された家族の物語で、その生活感がすんなりと見る側に入り込む。
 この心情的なアクセスの入り易さがアジア映画の魅力であろう。
 一方、中央アジア、中東からの作品は、肌合いが異なる。トルコ、レバノン、イスラエルからの作品が何故アジア圏なのか不思議だ。いささか翼を広げすぎの感あり。しかし、作品的に見るべきものは多々あった。
 カザフスタンの「草原の急行列車」は、異次元的面白さがある。草原、馬、鉄道、そして、素朴なカザフスタンの父と娘の家族。中央アジアとヨーロッパの文化の違いがメインテーマであり、文明と一線を画した、自然と一体の豊かな生活が伝わる。



おわりに

 今映画祭は、コンペは堅調であり、その他の部門も見るべき作品が多かった。
地味ではあるが、しっかりした作品を集めることが、今後のコンペ部門の課題だ。事前の情報収集力と眼力が試されよう。
 コンペと共に、アジア、日本部門を大きな柱に据えることが、今後、東京国際映画祭の取り得る道であろう。




●審査員一覧
アラン・ラッドJr.(委員長) プロデューサー(米)
セルジュ・ロジック 映画祭ディレクター(加)
ニコラ・ピオヴァーニ 作曲家(伊)
ウー・ニエンジェン 脚本家(台)
香川京子 女優(日)
降旗康男 監督(日)


(文中敬称略)
映像新聞2007年11月26日号
《了》

中川洋吉・映画評論家