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第23回「東京国際映画祭」(4)
新藤兼人監督『一枚のハガキ』
反戦をテーマにした傑作

 第23回東京国際映画祭(以下TIFF)の最大のハイライトは、コンペ部門出品の新藤兼人監督の「一枚のハガキ」だろう。大監督がコンペに出すことは、正直なところ、有り得ないことに近い。これは、TIFFの選考責任者森岡道夫と、新藤兼人監督の息子、独立プロ「近代映画協会」社長、新藤次郎との永年の交友の賜物である。配給会社は、来年八月の終戦記念日前後の上映を考えており、この点が内部で議論が重ねられ、最終的に今回の出品となった。そして、今年のコンペ部門を大きく盛り上げた一作だ。

 
1912年生れの新藤監督は今年98歳、我が国の最年長監督だ。世界には、ポルトガルにマノエラ・ド・オリヴェイラ監督が、102歳で今でも杖無しで動き、元気なところを見せているが、これは唯一例外。

新藤監督と戦争

新藤監督
98歳の巨匠がコンペに出品

 彼は32歳(1944)の時に召集され、一番体格が見劣りする丙種合格であった。日本の敗色濃厚な時代で、身障者を除けば成年男子は誰でも軍隊に引張られた。いわば、最後の兵隊であった。同時に召集された100人のうち94人は戦死し、生存者は彼を含む6名であった。勤務地は宝塚で、清掃班に配属され、そこでは上官によるリンチが横行し、戦う軍隊としての兵器などはすでになく、木製戦車なるものでの軍事教練、最早軍隊としての体を成していなかった。そこから生まれたのが、新藤組・チーフ助監督山本保博の昇進第一作「陸に上った軍艦」(07)(脚本・主演 新藤兼人)だ。新藤組の撮影時、昼休みに監督自ら色々な話をし、その中で抜群に面白いのが戦時の話であった。

  そのときの話の中でよく出てくるのが「一枚のハガキ」で、このハナシから想を得て、今作が誕生した。軍隊の同僚が、ある時一枚のハガキを彼に見せた。文面は「今日はお祭りですが、あなたがいらっしゃらないので、何の風情もありません」と短く綴られていた。この時、新藤監督は銃後の女性の思いを痛感した。本当に短い文面であるが、万感の思いが込められている。通常、彼は、何時映画化しても良いように、数本のシナリオを手許に暖めているが、「一枚のハガキ」もその一作で、彼にとり49作目の作品。
  この新作を引下げて10月23日のTIFF開会式に羽織、袴姿で、孫の映画監督である新藤風に車椅子を押されてのグリーンカーペット登場。足腰が弱った彼がわざわざ登場しなくともと思えるが、彼は、自分の作品を皆に見てもらうために、求めに応じて何処でも顔を出すこと常としている。インタヴュー、テレビ、舞台挨拶と、精一杯、真心をこめて語るのが彼の流儀であり、現在も多くのインタヴューをこなしている。TIFFでも、前述のグリーンカーペット登場、記者会見、作品上映後のQ&A、そして、表彰式に顔を出し、自作への思いを熱く語った。これは、独立プロの超低額予算の映画製作で、スタッフの昼の弁当の数まで心配しながらの撮影を長年続けた彼にとり、何としても、自らの作品を多くの人に知ってもらいたいという心情からの行動だ。


反戦意識を貫く


「一枚のハガキ」
「一枚のハガキ」の文言は、新藤監督が自著「青春のモノクローム」(88)(朝日新聞社)で触れ、多くの講演でも語っている一節であり、監督自信の胸に深く刻み込まれ、彼の戦争体験談の中で優れて面白い箇所である。
  粗筋は、この非常に短い一節を膨らませたもので、彼の、戦争はしてはいけないとする反戦意識で貫かれている。主人公(豊川悦史)は陸軍の雑用兵として徴用され、天理市の兵舎の二段ベッドの同僚が、郷里の妻からの一枚のハガキを見せる。そして、彼は南方戦線に派遣され戦死。内地、宝塚部隊に配属された主人公は、終戦を迎え、郷里の漁村へと帰還する。しかし、留守宅には誰もいない。自分の父と妻は関係が出来、この村を後にする。そこで彼は、戦友のハガキを頼りに、岡山の山深い田舎の戦友の妻(大竹しのぶ)を、大きなリュックサックを背負い訪れる。そして、その未亡人の安否を確かめる。未亡人は、夫の出征、戦死後、彼の両親と暮らし、細々と農業で何とか食べていくが、暮らしぶりは貧乏のどん底。父は老齢で、もはや働けず、田舎の習慣で、近隣都市に働きに出ていた弟を呼び戻し、彼と結婚させる。

  ぎこちない夫婦生活、そのうちに弟にも赤紙(召集令状)が届き、戦地へ赴き戦死。その壮行会のシーンが印象的だ。近所の人が数人、風になびく日の丸、そして、村の班長による万歳三唱、送り出す老いた両親、妻は声もなく下を向いたまま。楽隊も、行列もない寒々とした光景。日本国が解けて行くようにも見える。働き手を奪われた妻は、老母(倍賞美津子)と2人暮らし。その彼女も、ある晩、食後「ごちそうさま」と丁寧に礼を述べ、首吊り自殺。総てを失った妻のところへ、主人公が突然現れる。そして、勧められるままに、何もない夕飯を振舞われ、戦争について夜中2人で話す。戦地の配属で上官の引くクジで、1人は戦死、もう1人、主人公は生還。このクジの不公平さに怒りをぶつける未亡人。彼は、郷里の家を売り払い、単身ブラジルに渡る心積もりであったが、未亡人を見て、彼女に有金を差し出すが、カネを受取っても、主人や弟は戻らぬと拒む。
  このクジの論議が、一寸ばかり分りづらいところがあるが、怒りの矛先の発露と受取れる。ラストは、主人公はブラジル行きを諦め、この地で未亡人と共に農業に生きることを決意する。


新藤流の作品作り


 人物像の描き方に圧倒的な厚味がある。新藤組はいつも同じメンバーを常とし、スタッフは勿論のこと、キャストも前作、「石内尋常小学校」と同じ。気が合い、彼の意見、行動に賛成してくれる人々との仕事を共にするのが彼の信条。キャストも時代毎に変るが、大体同じ顔触れの起用が圧倒的に多い。その代表が「午後の遺言状」の撮影後、癌で逝去した乙羽信子である。彼女は自ら新藤組に飛び込み、近代映画協会と歩みを共にした。「一枚のハガキ」も前作「石内尋常小学校」と変らぬキャスティングで、今回は、俳優自身が新藤流に馴染んだのか力みが少なく、自然な演技の流れが出来、コクが出ている。乙羽信子、杉村春子亡き後の新藤組の若きミューズは、新藤監督が「彼女と結婚したい」と公言する大竹しのぶである。筆者は、前作を尾道ロケで見たが、監督の意図を一発で理解する彼女の天才振りに驚いたものだった。また、海外映画祭の出品も、「裸の島」がモスクワでグランプリ受賞して以来、他には出さない律儀振りで、そのため、海外での知名度が低い。

  彼は、常に作品の意図を公言する作家である。今作では、勿論、反戦がテーマであり、彼自身、直接戦争を体験したことにより「自分には戦争を語る権利がる」と明言している。彼にとり義務ではなく、反戦はもっと強い意味が込められている。戦争により、犠牲になるのは庶民であり、大部分が女性であるとする主張は、新藤作品に一貫して流れるテーマである。彼自身、よく口にするのは、戦争で死ぬのは一般兵士であり、上官たちは安全な場から戦況を眺め指示を出す、戦争の構造である。一般兵士の後には数多くの女性や子供がおり、その子供を養いながら生き続けねばならぬのが女性であることを、きっちりと作品で指し示し、判断は見る人に任すなどと曖昧な主張を彼はしない。
 その折々、老い、教育、貧困などのテーマを描くが、反戦と女性の犠牲は、その中でも一番大きなテーマであり、98歳の老監督の思いはいささかも衰えていない。むしろ、逆に「一枚のハガキ」では、より純化された形で現れてきている。
 新藤監督は、今作を遺作と言い、周囲も健康問題をおもんばかって、最後の作品としたい意向である。しかし、次回作、50作目を期待する声は大きく、良い意味で欲の深い彼は、時に、次回作に関心を示したりしていることも事実である。 「一枚のハガキ」は大巨匠が若手の間に交じってのTIFF出品で、審査員特別賞(第二席)を得たが、第一席に値する傑作である。






(文中敬称略)
《了》
映像新聞2010年12月20日号掲載

中川洋吉・映画評論家