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「カンヌ映画祭2010」レポート

「カンヌ映画祭報告」(3)
強靭な骨格のアジア作品群


 タイのアピチャポン監督の「ブンミおじさん」のパルム・ドール獲得は同国初の受賞であり、タイ国民にどれだけ多くの誇りをもたらせたか、容易に想像できる。今年は、それ以外にアジアからの作品に特に力があった。韓国、イ・チャンドン監督の「ポエトリー」、同、ホン・サンス監督の「ハ・ハ・ハ」、同、イム・サンス監督の「ハウスメイド」、中国、ワン・シャオシュアイ監督の「重慶ブルース」、ジャ・ジャンクー監督の「上海」、そして、アッバス・キアロスタミ監督の「サーティフィケイテッド・コピー」と、キラ星の如く秀作が揃った。

イ監督の力感

イ・チャンドン監督
(c)八玉企画

 今や韓国の大物監督の一人と呼べるイ・チャンドン監督は、NHKとの合作「ペパーミント・キャンデー」でその力量が注目された。ある学生運動家の人生の軌跡をフラッシュバックで描くもので、当時の韓国の闘う知識人の在り様が強烈なタッチで示された。この時代、同監督は、韓国のニューウェーヴの先頭に立つ作家であった。今年56歳の彼、高校の哲学教師、人気作家、シナリオ作家を経て、「緑色の魚」(96)で監督昇進し、「ペパーミント・キャンデー」(00)でカンヌ映画祭監督週間出品を果している。そして、韓国民主化運動活動家であった彼は、監督業の傍ら、2003年にはノ・ムヒョン革新派大統領の下、文化観光大臣に就任している。現役映画監督が文化行政の長に任命されるのは、スペインの誇る脚本家ホルヘ・センプラン(「Z」〔69〕コスタ・ガブラス監督、「戦争は終った」〔65〕アラン・レネ監督)位ではなかろうか。

「シークレット・サンシャイン」(07)でカンヌ映画祭コンペ部門に選ばれ、主演のチョン・ドヨンが主演女優賞を獲得した。この後、同監督は2008年には審査員に選出され、アジアの監督として国際的に知られるところとなった。イム・ゴンテク監督を国宝的存在とするなら、韓国で一番インターナショナルな監督がイ・チャンドンだろう。文化観光大臣辞任後、韓国映像院(韓国シネマテック)院長を歴任し、現在は公職を離れ、映画製作に専念している。また、国際的にも認められ、第59回ヴェネチア映画祭(02)では監督賞を、カンヌ映画祭で「シークレット・サンシャイン」でのチョン・ドヨンの主演女優賞受賞もあり、国際的に注目され、韓国を代表する監督と目される。日本で知られる彼の作品は女優ムン・ソリが脳性麻痺の女性を熱演した「オアシス」(02)であろう。彼の作風は、いわゆる韓流と呼ばれるマシュマロのような甘く歯ごたえのない作品の対極に位置し、常に社会との接点に重点を置いている。今回の「ポエトリー」もこの路線を遵守している。
 物語の主人公は、初老の祖母(ユン・ジョンヒ)とその孫である。主演のユン・ジョンヒは60年代、70年代に活躍した大女優で、彼女のお婆さん振りは見物である。この彼女、80年代以降、引退し、フランスに住んでいたとのことで、記者会見ではフランス語で応答したが、韓国人記者会見では珍しいことであった。

 物語の冒頭は、川に女高生の水死体が浮かぶところから始まる。
 貧しい2人だけの生活、彼女は、認知症が始まりかけ、孫は引きこもり状態。劇中で祖母がカルチャーセンターで詩の教室に入学する。この詩の在り方がイ監督にとり大きな意味をもつ。「詩とは人生を託すものであり、花や蝶をめでるだけではなく、自身のコミュニケーションの手段」と語っている。或る日、孫の友人の父親たちに彼女は突然呼び出される。少年達がクラスの少女を犯し、殺し、それを隠蔽するために、各人が見舞金を調達し事件をもみ消すことであった。しかし、他の親たちと違い、祖母にはお金がなく途方に暮れる。彼女の詩会にたまたま警察関係者がおり、思い余った祖母は彼に相談し、心ならずも孫を告発せざるを得なくなる。何時、身の廻りに起きてもおかしくない青少年の性犯罪を、脚本は圧倒的な力感と構成力で押している。犯された少女の母も貧しい農婦、祖母も同様。そして、社会的に恵まれた他の親たちは事件の揉み消しをはかる。大人と呼ばれる人々のズルサが強烈なインパクトを与える。今作、脚本賞を受賞。パルム・ドールでもおかしくない作品だ。



韓国映画の新潮流

ホン・サンス監督
 韓国のホン・サンス監督は、同国人の中では非常にフランス的監督として評価されている。彼の手法は、簡単にいえば、「映像の中の漂う空気、その時間の経過を味わう、そして、どうとも解釈が可能なあいまいさ」を特徴とする。フランスで認められ、多くの作品を世界の映画祭に出品し、知名度からいえば、イ・チャンドン監督を上回るかも知れない。いわゆるシネフィルに絶大な人気を誇り、フランスではアート系作家として知られ、本国でも、映画学校の教授が「最近の学生映画はホン・サンスの亜流ばかり」と嘆くほどである。

 現在、若い映画人やマニアにとり、漂う空気や不条理というテーマは非常に好まれ、その意味では、彼は韓国の新潮流を推進する役割を果している。今回のカンヌ映画祭「或る視点」部門で「ハ・ハ・ハ」を出品し、同部門賞を獲得している。物語は、カナダに移住する若手映画監督と、友人の映画評論家との酒席での過去の青春談義であり、昔、旅行して出会った女性たちが話の種となる。そのうちの一人が先述のムン・ソリである。本当になんでもない青春の一コマを、さして起伏をもたらせずに描く、当世風の作品であり、この点が新しさなのであろう。賛否は別として、そのスタイリッシュな手法には人を惹きつけるものある。ホン・サンス監督はすでにカンヌ映画祭コンペ部門に2回出品、他の映画祭でも何度も受賞している。



伝説の名画のリメーク

「ポエトリー」

 今回のコンペ部門では韓国から先述のイ・チャンドン監督の「ポエトリー」とイム・サンス監督の「ハウスメイド」の2本が選考された。そのうちの一本、韓国映画界の伝説の巨匠作品「下女」(60)のリメーク版「ハウスメイド」は注目すべき一作であった。異能監督、キム・ギヨン監督(1919〜1998)は怪奇的作品で知られ、「下女」は初期の代表作であり、名優、アン・ソンギが子役として出演していることでも知られている。生涯に31本の作品を撮るが、自宅の火事で亡くなり、終り方も怪奇的である。敢えて日本の監督に例えるなら、中川信夫監督(「東海道四谷怪談」〔59〕)であろう。

「ハウスメイド」

「下女」では、ある裕福な家庭に雇われた下女が、その家の主人と関係を結び、家の中の秩序を破壊する薄気味悪い物語だ。下女が、ベランダからガラス越しにヌーッと顔を現わすシーンの恐さ、映画史の中でも指折りの恐怖シーンである。一方、今回コンペ上映された「ハウスメイド」は、シチュエーションは現代風に改められ、カラー版となり、「下女」のモノクロ世界の陰々滅々とした雰囲気とは異なる世界を描き出している。物語は不倫と主従の逆転に重点がおかれ、メイド役の美人女優チョン・ドヨンの悪女ぶりが楽しい。「下女」を自由に翻案化した「ハウスメイド」は原作とは異なる味わいがあり、別の作品と解釈できる。しかし、キム・ギヨン監督の編み上げたオドロオドロしい世界は魅力的だ。



中国第六世代の秀作

「重慶ブルース」

 今回のコンペで中国から唯一選考されたのが、ワン・シャオシュアイ監督の「重慶ブルース」である。中国映画らしい、重厚でオーソドックスな作りであるが、プレスの評判は今一であった。しかし、テーマの普遍性、人間の描き方に共鳴するものがあり、筆者としては、この低評価が不満であった。
 中国第六世代に属するワン・シャオシュアイ監督(同期はチャン・ユアン監督『東宮西宮』〔97〕、ジャ・ジャンクー監督『一瞬の夏』〔97〕、ロウ・イエ監督『パープル・バタフライ』〔03〕などの俊英揃いだ)の「北京の自転車」(98)は近々、日本公開予定。同作は2001年にベルリン映画祭で監督賞を受賞。彼を含め第六世代は自らの生きる環境を見つめざるを得ない状況にあり、それだけ、社会的意識が高く、ワン・シャオシュアイ監督も例外ではない。物語の主人公は重慶在の小さな舟で物資を運ぶ船頭で、一度旅に出たら半年も戻れない生活。その間に、25歳になる最愛の息子を警官により殺される。その死を契機に、ことの真相と正義を求め、仕事を辞め、かつて住んだ重慶で執拗に調べを自力で開始する。官高民低の中国現代社会の暮らし難さとそれに対する強い反感を背景とし、息子を亡くした父親の悲しみが綴られる。巨大な権力に対し徒手空拳で挑む一般市民の無力さが、作品のテーマであり、それが諄々と伝わるところに「重慶ブルース」の価値がある。




 


(文中敬称略)
《続く》
映像新聞 2010年6月21日号

中川洋吉・映画評論家


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