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「カンヌ映画祭2010」レポート

「カンヌ映画祭報告」(4)
惜しくも受賞を逃した秀作


 今年の第63回カンヌ映画祭でも、忘れられた作品が何本かあった。この、忘れられた作品に肩入れした人は、今年は、昨年より詰まらなかったというのが常である。確かに、審査員の構成が変われば、結果も変わることもあり得る。極言すれば、賞とは審査員の好みの問題なのだ。
一例として、昨年、ミヒャエル・ハネケ監督の「白いリボン」がパルムドール、第二席は「プロフェット」(預言者)(ジャック・オディアール監督)と、片や宗教的世界、他方は刑務所内の血で血を洗う派閥争いと、対極にある作品が最有力となった。しかし、最期は、審査員の好みであった。

日常性の輝き

「アナザー・イアー」

 今回、一番観客を残念がらせたのが、マイク・リー監督(英)の「アナザー・イアー」であろう。物語の展開に優れた監督で、過去に「秘密と嘘」(96)でパルムドールを獲得した、世界でも有数の名匠である。今回は、初老夫婦の家庭を中心とし、家族の絆、友情、日々の喜び、そして、日常の中の悲しみをケレン味なく春夏秋冬に合わせ描くものである。平凡な日常の中の輝きを淡々と活写し、波乱万丈ではない普通の人生を描いて見せた。特に、アル中気味で男運の悪い、妻の職場の同僚役、マリー(レスリー・マンヴィル)は上手いを通り越し、身につまされるものがある。彼女以外の中年の役者陣のいぶし銀の芝居も見物。


ケン・ローチ、突然の登場

「アイリッシュ・ルート」
 映画祭では、毎年、4月中旬に出品作を発表する。今年は18本がコンペ部門に選考され、オープニングがアメリカのリドリー・スコット監督の「ロビン・フッド」(ノン・コンペ)であった。正式発表後、数日経てから、ケン・ローチ監督の「アイリッシュ・ルート」の出品が突然決まり、コンペは合計19本となった。例年20本前後の作品が選考され、今年の18本は少ない感じがあり、見る側にとり嬉しい驚きであった。社会の矛盾を注視し続け、暴き、対決する彼の今回の矛先はイラクである。イラクへの英国兵派兵による死者の多さが問題とされ、戦争の下請け組織の存在が明らかとなる。下請けとは傭兵であり、正規の兵士よりも安上がり、その上、拷問など手を汚す仕事は彼らにやらせている事実がある。現在の英国の戦争は「民営化」(下請化)と記者会見でローチ監督は糾弾する。

 物語は、2人の友人がイラクへ派兵され、1人は死亡する。友人の死に疑問を抱き、もう1人が単独で調べ始める。そして、イラク戦争の実態が少しずつ明かされる。バグダッド近辺でもっとも危険な地域がアイリッシュ・ルートと名付けられ、多くの英国兵が犠牲となる。捕らわれたイラク人捕虜は傭兵により拷問され、同監督はジュネーヴ協定違反であり、当時のブレア元首相こそ刑務所へ送るべきと過激な発言をいとわない。

 アメリカ映画「ハートロッカー」について記者会見で意見を求められた同監督は、アメリカ人の死しか扱わず、その奥の一般のイラク人の死に無関心と批判的だ。撮影地は危険なイラクを避け、隣国、ヨルダンで行われたとのこと。次回作について「自分の作品はいつも男性中心であったが、今は女性を主人公とした作品を撮影中」と語った。
 パルムドールを獲得した監督の記者会見としてはプレスが非常に少ない。しかし、ローチ監督の会見は実に丁寧な応答で、毎回感心させられる。


植民地と旧宗主国

 フランスで一番多い移民は旧植民地マグレブ出身者(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)で、そのうちで最大はアルジェリア移民である。アルジェリアは1830年にフランスにより植民地化され、1962年の独立戦争を経て独立した。しかし、フランスでは、現在、移民の2世、3世の時代となり、彼らはフランス国籍を取ってはいるが、社会的にはサルコジ大統領が「社会のクズ」と罵った2等国民扱いであり、差別状態は未だに続き、失業率も高い。この、アルジェリア人移民のフランスでの生き方を扱ったのが「無法」である。

 第2次大戦後、フランスは解放されたが、アルジェリアはその恩恵に与れなかった。物語は1945年にセティフ市で起きた、フランスによるアルジェリア人虐殺事件を発端としている。それ以来、アルジェリアからフランスへ渡った3人兄弟の生き方を通し、フランスとアルジェリアの植民地関係を問い直す意図が「無法」にはある。1人は独立戦争の闘士として活動家となり、1人はインドシナ戦線(1946〜1954)に参加し、1人はパリで、ボクシング興行で財を成し、3人3様の在仏アルジェリア人の厳しい現実を再現。フランス社会でタブー視されていたアルジェリア・セティフ市での1945年のフランス軍による大虐殺などの歴史的事件が語られる。今でも続く両民族のわだかまりと同和政策、そして、社会から弾き出される移民2世、3世と、作品は現実の姿をアルジェリア人の立場から描くもの。

 監督のラシッド・ブシャレブの「原住民」(06)(日本未公開)はカンヌでパルムドールに輝き、今作も彼にとり、「アルジェリア史パートII」となる。現在、フランス映画界で一番元気なのがフランス人ではなく、移民世代のマグレブ人といわれ、本作はその代表。明らかに政治的メッセージを狙った作品だ。



直接的な格差問題の表現  世界の実情を伝える社会派作品

「ビューティフル」

 注目すべきは、貧困の格差問題を直接的に衝いた作品が出現し始めたことだ。ベニチオ・デル・トロが主演男優賞を獲得した「ビューティフル」や審査員賞を受けた「スクリーミング・マン」に見られる絶対的貧困の扱いだ。観念的ではなく、現実の迫り来る問題に寄り添う作品であり、極めて現代的である。この辺りが、政治性よりは多様性を標榜する審査委員会も、世界の現実を無視出来なかったのであろう。



父親を主役にした内容目立つ

 今年の特徴として、父ものの多さに触れたのが、日曜日発行の週間新聞「ジュルナル・デュ・ディマンシュ」であり、これは的確な指摘である。
 前出の「ビューティフル」、「スクリーミング・マン」、主演男優賞受賞の「アワー・ライフ」(伊)、パルムドール受賞の「ブンミおじさん」、「重慶ブルース」(中)などである。出品作品の傾向として、毎年、登場するのが家族であり、これは映画を含めた芸術全般の永遠のテーマである。しかし、今年は父親と子供、家族に焦点を当てている。今までなら、社会の重圧や苦しみは女性に負わす描き方であったが、今や、その深刻な社会問題が拡大し、女性のみならず、老齢層、貧困層の男性にまで及び始めた。女性が耐え忍び、男性が傍観して済ます社会状況が変っていることの反映だろう。時代の証言者となりうる映画という器が本来の機能を取り戻しつつあるのかも知れない。その証拠に甘い夢を売るハリウッドの衰退、ヴァイオレンスの減少が挙げられる。全体に映画自身が優しくなっていることに気付かされる。



カンヌ映画祭2010総括

ジュリエット・ビノシュ(c)八玉企画

 今年の審査委員会は、政治性よりも多様性の重視を掲げた。しかし、その発言とは裏腹に、社会派作品への目配りも忘れなかった。そのあおりで、マイク・リー監督「アナザー・イアー」などの秀作が選外に押し出された。また、アジア作品への評価は正当なものであった。アピチャポン監督の「ブンミおじさん」のパルムドールと、脚本賞の韓国映画「ポエトリー」のイ・チャンドン監督の受賞である。授賞に関しては、地政学的配慮があるようで、毎年、アジア作品が何らかの賞を獲得しているが、今年は、実力で賞をもぎ取った感がある。

 今年の審査員にはイランのジャファル・パナヒ監督が招聘されていた。しかし、イラン政府は同監督が反政府的として彼を逮捕し、来仏は実現しなかった。この措置に対し、主演女優賞を得たジュリエット・ビノシュは壇上で同監督の釈放を求め抗議の発言をした。人道的問題には鋭く反応するカンヌ映画祭の良き伝統が今回も見られた。(パナヒ監督はその後釈放された)




●受賞一覧
パルムドール 「ブンミおじさん」(タイ)アピチャッポン・ウィーラセタクン監督
グランプリ 「男たちと神々」(仏)グザビエ・ボーヴワ監督
主演男優賞 ハビエル・バルデム 「ビューティフル」
主演女優賞 ジュリエット・ビノシュ 「サーティファイド・コピー」
監督賞 マチュー・アマルリック 「オン・ツアー」
審査委員賞 「スクリーミング・マン」 マハマト=サレ・ハルーン
脚本賞 イ・チャンドン 「ポエトリー」
脚本賞 メイ・フェン(梅峰)「スプリング・フィーバー」

●審査員一覧
審査委員長 ティム・バートン監督(米)
委員 アルベルト・バルベラ(伊)トリノ国立映画博物館館長
エマニュエル・カレール(仏)作家
ベニチオ・デル・トロ(プエルトリコ)俳優
アレキサンドル・デプラ(仏)作曲家
ヴィクトール・エリセ(スペイン)監督
シェカール・カプール(インド)監督
ジョヴァナ・ミゾジオルノ(伊)女優
ケイト・ベッキンセール (英)女優

 


(文中敬称略)
《了》
映像新聞 2010年6月28日号

中川洋吉・映画評論家