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「カンヌ映画祭2007 その(3)− 日本作品」
− 河瀬作品グランプリ受賞」


本年のカンヌ映画祭で、日本から3本、そして、世界の著名監督による60周年記念オムニバス作品「人、それぞれの映画館」に北野武監督の参加があった。
唯一、コンペ出品作、河瀬直美監督の「モガリ殯の森」がグランプリを獲得した。第43回の小栗康平監督の「死の棘」(90)以来の快挙で、同監督は「萌の朱雀」(97)(新人監督賞)以来2度目のカンヌ受賞となる。
受賞作は、河瀬監督の自信作ではあるが、プレスの反応は醒め気味であった。現在の邦画界では若手女性監督、西川美和監督(「ゆれる」〔06〕)、荻上直子監督(「かもめ食堂」〔05〕)を始めとする俊英が続々登場し、日本映画界に新風を吹き込んでいる。10年前、27歳でカンヌ受賞を果たした河瀬監督も負けてはいられない。

「殯の森」カンヌ上映

河瀬直美監督の受賞記念会見にて(c)八玉企画

タイトルに用いられているモガリ殯とは、河瀬監督得意の大和風言葉からの引用だ。その意は「昔、貴人の死体を葬る前に、棺におさめてしばらく安置したこと」(新明解国語辞典)であり、河瀬監督は、敬う人の死を惜しみ、偲ぶ時間や場所と解釈。分かり易く言えば、魂の宿る時空であろう。
作品を見た第一印象は、「ウマ上手くなった」で、グランプリ受賞では「何と運の強い監督」であった。

映像的には非常に上手くなっており、冒頭の田んぼを行く葬列の超ロングシーンのインパクトは並ではない。一つ一つの映像に緊張感があり、プロの映画人としての成長の跡が見られる。第一作の「萌の朱雀」の吉野の緑一面の森の描写でも鋭い映像感覚が見られたが、これは小川紳介監督と組み、成田空港反対闘争ドキュメンタリーを手懸けた田村正毅撮影監督の技術に負うところが大きい。

プレス上映


河瀬監督と主演の二人(c)八玉企画
プレス上映は公式上映の一日前に、小ホールたる(千人収容)ドヴィッシーホールで行われた。
「殯の森」のユル緩いリズム、今年はパルムドールの「4ヶ月、3週間と2日」のような娯楽性よりはじっくりと自己の視点にこだわる作品が多かった。そして、いつもはテンポのない作品にイライラするプレスも、耐性がつき、日本映画独特の緩いテンポについて来られた。しかし、或るジャーナリストが、中途退場者数を数えたところ、95人という数字が出た。

約一割のプレスが帰ってしまった計算になる。筆者には、椅子をバタンバタンいわせ退席する人はそんなに多くない印象を受けていただけに、意外な数の多さだ。上映後の反応も、無言、全然面白くないとの否定的見解が多かった。
河瀬監督のカンヌ歴は50回(1997年)の監督週間で「萌の朱雀」を出品し、カメラドール(新人監督賞)、第56回(2003年)コンペ部門で「沙羅双樹」を出品、そして、本年第60回コンペ部門での「殯の森」で、第二席賞にあたるグランプリを獲得。トントン拍子の成功物語である。
プレス上映での期待したほどの反応がなく、では何故、グランプリ獲得の大銀星へとつながったのだろうか。

「殯の森」の評価

内容的には力作であるが、アート作品特有の映画的感興に乏しい。
奈良のグループホームを舞台とし、妻を失った軽度の認知症の男性と、子供を失い、それがモト因で離婚した若い介護士の女性が主人公。
その2人が郊外へ、男の亡妻の墓を探しに出かけ、色々苦心し、やっと墓を見つけ、男は、そこで眠るように亡くなる。

2人が嵐の中、森をサマヨ彷徨い歩くシーンが大きなヤマ場だが、そこまでの過程が、リズムの緩さと相俟って、集中力に欠ける。又、演出的にも、若い介護士の描き込みが不足し、男の方は、芝居のし過ぎで、もう少し抑制が必要だ。
公式上映の翌朝、日本人プレス向けの囲み会見が行われ、そこで河瀬監督は認知症の人間を、人格を持った一個人として捉えたいと発言、監督の意図はこの段階で理解できたが、映画の中で語られているかは別問題

グランプリ受賞

では何故、グランプリ獲得であろうか。審査委員の記者会見では、具体的な説明がなく、はなはだ物足りなかった。日本人プレスの間では、フリアーズ委員長が強く押したとする説が流され、この説と異なり、アジア人委員のマギー・チャンの強力な後押しとする情報もあった。
恐らく、両方とも正しいのではなかろうか。但し、決定はかなり迷走したようだ。受賞式当日の午後に事務局から連絡があり、受賞あり、なしと二転三転し、最終的にはグランプリに落ち着いた。

今年の審査の結果から、ある程度、河瀬作品受賞が読める。パルムドールは、地味なルーマニア作品で、見せることに長けたウェルメイドなアメリカ作品が退けられ、地味な社会を映す作品へと傾いた。そこに、「殯の森」の受賞の理由があるのではなかろうか。
最終日前夜22時30分に公式上映があったが、プレスの採り上げは少なく、その内の一つに「禅のはなし」(ニース・マタン紙)とする評があった。西欧人的勘違いの好例だが、スピリチュアルな側面を認めている。この辺りが、今年の審査員の心を捉えたものと推測出来る。


日仏合作

「殯の森」は日仏合作で、フランス側プロデューサー、セルロイド社のクリスチャン・ボテによれば、撮影は日本、音響デザインの仕上げはパリであった。アジア映画配給に実績を持つセルロイド社は、製作資金の3分の1を負担、残りは河瀬側が調達し、興行収入の取り分は、フランスはセルロイド社、日本は河瀬のプロダクションで、残りの国は折半。
製作総予算は約70万ユーロ(1億1200万円−1ユーロ=160円換算)、フランス側は23万ユーロ(3680万円)の負担、その内、9万ユーロ(1440万円)がフランス国立映画センター(CNC)からの助成である。

日仏間には政府間の映画合作協定はなく、「殯の森」は民間の共同製作であり、セルロイド社はCNCの外国映画助成の枠を使い、日仏合作に加わる形となった。CNCの外国映画助成は31件の企画に対し250万ユーロ(4億円)(2006年)を支出している。この助成、吉田喜重監督の「鏡の女たち」(02)にも適用された。
CNCの助成以外に、合作効果として、宣伝告知力の強さは無視出来ない。カンヌでは連日のレセプションやコンタクトがある。セルロイド社が宣伝吹聴すれば、日本人が担当するより効果的な作品宣伝が可能となり、カンヌでフランスの会社が動くメリットが生かされる。

河瀬監督の次回作は、同じくセルロイド社との合作が既に決まっており、そのために彼女、映画祭の始めからカンヌ入りし打ち合わせをしていた。
フランスではコピーが70本で、10月31日公開予定。コピー100本以上が一般上映とされ、それ以下はアート系中心となる。日本公開は6月23日に決定。


「大日本人」

記者会見での松本人志監督
(c)八玉企画

監督週間では、松本人志監督の「大日本人」(6月2日より既公開)が選ばれた。吉本興業製作で、スポーツ紙中心の宣伝を狙ったせいか、情報が事前に伝わらず選定の確認に手古ずらされた。
応募の詳細は、オリヴィエ・ペール代表から聞いたが、何も特別なことはなかったとのこと。4月に日本からDVDが送られ、それを見て決定し、事前に来日し試写を見たりはしなかった。松本監督は応募の事実を知らなかったそうだ。

物語は、ある冴えない男(松本人志主演)が、落ち目の時の人で、彼は電気を身体に充電し、大巨人に変身、プロレス張りにパンツ一丁で、得体の知れぬ怪物を退治する、奇想天外なアイディアである。彼への仕事を依頼するのが防衛庁、行きつけのそば屋で口にするのがチカラ力うどんと笑わせる。
随所で笑いがとれ、一応成功。松本監督もこの反応には満足気であった。
卓抜な発想だ。松本監督は「今まで見なかった映画を見せる。今までの映画をぶっ壊す」と、記者会見で意気軒昂であった。

アイディアは良かったが、それに頼り、笑いが線とならず、点に終わった。この辺りが終映後のまばらな拍手へとつながった。惜しい一作だ。
終わって直ぐ、会場ロビーでの囲み記者会見、上映の喜びと、緊張で大変な高揚振り。初めて傍で見る人気者、松本人志の率直に喜ぶ様子は見ていて快かった。



おわりに

他に、批評家週間に吉田大八監督の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(7月7日公開決定)が出品された。本谷有希子の人気戯曲の映画化で、日本から出品の3作の中で一番面白かった。
佐藤江梨子演じる主人公の勘違い女が白眉。自称、フランス映画は2千本見ており、ゴダール監督の「気狂いピエロ」を「キグルイピエロ」と読むタレントだけに、地を思わす芝居は、正に、はまりだ。
今年は、たけし、松ちゃんのカンヌ入りがあり、日本からのテレビクルーの数の多さが目立った。
彼らは、監督週間記者会見場では狭い会場の中央に陣取り、グランプリ受賞後の会見では前を占領し、他の媒体への配慮に乏しかった。特に、河瀬監督の受賞後の談話は殆ど取れず仕舞いであった。ワレサキ我先のテレビクルーの体質は問題だ。


(文中敬称略)
《続く》

中川洋吉・映画評論家