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「FIPA2008 (2) − 受賞作品」

本年、日本から24本のエントリーがあり、昨年の19本より少しばかり増加した。そのうち、本選(コンペ)部門にノミネートされたのは、ルポルタージュ部門に1本、FIPATELは5本であった。
審査方式は、ドゥロ総代表が全エントリー作品を見、各部門へノミネートする。その後は、各部門の審査員の出番となる。今年は、予算不足のため、急遽、短篇部門を審査の対象から外し、1減の5部門となった。この5部門、それぞれ、5名の審査員から構成され、総計25名に上る。
今年の特徴として、フィクション、シリーズ部門の作品に強い社会性が見られ、この部門の充実振りが光った。


 各部門のノミネート本数は、フィクション(10)、シリーズ(8)、ドキュメンタリー(13)、ルポルタージュ(15)、音楽・ダンス(13)の計59本である。
 アジアの国々のエントリー構図は、ここ数年変化はない。中国が常に断トツで、その次に日本、韓国と続く。
 アジア(広義の)では、今年から豪州が積極的にエントリーを開始してきた。インド、台湾などは、FIPAとのルートが確立されておらず、数的に微々たるもの。他のアジア諸国のエントリー数の向上、これもFIPAの課題だ。

フィクション、シリーズ部門

7人目の陪審員

 充実した内容で光ったのが、この両部門である。
 フィクション部門の金賞「7人目の陪審員」(仏)(エドアール・ニエルマン監督)作品は見応え十分であった。
 ジョルジュ・シムノンを彷彿させる雰囲気があり、暗い地方都市での殺人事件が緊張感をもって語られる。主人公のジャン=ピエール・ダルサンが適役。彼は地方名士の薬局店主で、交友関係が広い。冒頭シーン、川で2人の男が釣りに興じている。1人が主人公のダルッサン、隣りは、警察署長。主人公の社会階層や人脈が人目でわかる仕掛け。
 主人公は、署長が居眠り中に退屈凌ぎに近くを散歩する。そこで納屋から女性の悲鳴があがり、駆けつけると同時に若い男が走り去る姿を目撃する。身づくろいをする女性に彼は性欲を催すが、騒がれ、思わず首を絞めた。翌日、アルジェリア人の若い男が逮捕されたことを利用し、沈黙を決め込む。60年代当時のフランスはアルジェリア人差別が激しく、犯人を必要とする司法、市民たちは、彼を死刑に追い込む。真犯人の彼は、良心の呵責に耐え、悶々たる日々を過ごすが、その彼、この裁判の陪審員に任命される。そこで、彼は、裁判の証拠の少なさ、書類の不備を衝き、保守的な町の人々の不興を買う。当時、フランス社会の差別感情は激しく、一般的に、白人がアラブ人にクミ与することは有り得なかった。
 思わず、身を乗り出す犯罪劇で、その結末が、又、ひねりが効いている。
 アルジェリア戦争(1954年~1962年)時のフランス社会の閉塞状況、厳しい人種差別感情、善良な男の一瞬の心の迷いと良心の問題、法廷でのやりとりと傍聴人の反応など、見るべきところが多い。

 監督のニエルマンは映画でも数々の実績を残し、テレフィルムの世界でも大物である。
この作品を見ると、映画とテレビの垣根が全くなくなっていることに気付かされる。現在のフランスにおけるテレビでの劇映画放映は、テレフィルムに押され、映画放映が漸減している。
この「7人目の陪審員」の企画、どのテレビ局も乗らず、国営のFR2が共同制作に名を連ねた経緯がある。ここに国営局の使命感が見てとれる。


ハウ・スーン・イズ・ナウ

 シリーズ金賞のスウェーデン作品「ハウ・スーン・イズ・ナウ」(How soon is now)は、ドキュメンタリータッチのモノクロである。そのモノクロ画面が1966年、スウェーデン第2の都市、ユーテボルグを蘇らせる。当時、一般市民から、悪魔の音楽として忌み嫌われたロックに心酔する若者を通し、青春、社会を描くもの。
ある青年の家の閉鎖を巡り、若者たちと行政が対立する。ここでロックライブをする若者4人に焦点を当て、彼らの日常、家族、将来を問い、それぞれのこだわりを持つ生き方が描かれる。ラストは、青春が弾け、4人が異なる進路を歩むが、その苦さに共感を覚える。スウェーデンテレビは、時々非常にインパクトの強い作品を制作するが、今回もその1例。
この両受賞作からは、作り手の、どう生きるか、如何に社会と向き合うか、シリアスなテーマが問いかけられる。これらが、ゴールデンタイムに放映されるのは、見る側に、これだけの硬質なテーマを受け入れる素地があるからだ。但し、両作とも国営テレビ局作品である。娯楽重視の民間テレビ局とは、視聴者層の違いがあり、一概に比較は出来ないが。


ルポルタージュ部門

3度の離婚
 日本からは、NHKの片岡利文ディレクター作品「激流中国、或る雑誌編集部 60日間の攻防」がノミネートされた。現代中国の一面を捉える、力に溢れた作品であり、明確な視点を持つ作品であったが入賞を逸した。
 この部門の金賞は「夜の住人たち」(モザンビーク)、銀賞は「3度の離婚」(イスラエル)であった。
「夜の住人たち」は、ポルトガル植民地時代のモザンビーク最大のホテルの現在の姿と、人々の暮らしを描くもの。既に廃墟と化した往時の超高級ホテル、現在は水道も電気もなく、そこに3500人の人々が住みついている。
往時を懐かしむわけでなく、又、現在の貧困を衝くわけでもなく、作り手の視線の曖昧さが気になり、筆者が審査員であれば、賞は出さなかった作品だ。
「3度の離婚」、イスラエルらしい緻密な作りで、この授賞は納得。或る、イスラエル人と結婚したパレスチナ人女性が主人公。彼女は6人の子持ちで、イスラエル暮らしの身である。この彼女、イスラエル人の夫と離婚し、養育権を奪われ、滞在許可も認められない境遇に陥る。ここで、養育権を取り戻し、イスラエル滞在許可を取るための女一人の闘いが始まる。現在のパレスチナ問題、イスラエルにおけるアラブ人の法的地位の低さ、女性の社会的地位の不確立の問題を的確に衝いている。問題提起が複層的なのだ。殆ど主人公の語りで進行するが、その展開に厚みがある。


34日間の戦争
 他のルポルタージュとして、興味深い作品に「34日間の戦争」(レバノン)がある。戦争の発端は、2006年7月のレバノンでのヒスボラによるイスラエル兵2名の拉致事件である。報復するイスラエル軍の、想像を絶する過剰攻撃の実体が明かされる。空爆、地上戦により、100万人が住まいを失い、1200人の一般市民の死亡。人間のすることとは思えぬ惨状がイスラエルにより引き起こされる。
死々累々の山、空爆され、車内の残る死体、焼きただれるレバノン国旗などが写し出され、淡々とした女性監督のナレーションで展開される。このインパクトの強さ、戦争の非情さがよく出ている。
作り手の確かな視点が感じられる、FIPAならではの作品だ。



ドキュメンタリー部門

島であること

 金賞は、ベルギーの現代画家の画業創作を描く「サム・ディルマンス」である。この現代作家の、アトリエでの仕事振りを追い、芸術、人生、仕事などについて語らせている。個人的には、1人の男がアトリエでひたすら語るスタイルがやや単調に思え、授賞の意図が判然としない。
銀賞は「エルサレムの死」(米)であった。2002年、エルサレムで起きた自爆テロ事件を扱っている。犠牲者は17才のイスラエル人女子学生、加害者はパレスチナ人の18才の女性。事件後、若い女性の母親がテレビによる直接対話を行う。双方の憎しみは一向に溶解せず、その傷の深さが浮び上る。テレビ対話とは、一寸、際モノだが、悲しみと憎しみの激しさが充分伝わる。
注目すべき作品に、韓国の女性ディレクターの手になる「島であること」(メキシコ)。作品はディレクターが現在住むメキシコの制作プロ出品となっている。日本占領中の韓国に、日本軍によりハンセン病患者を強制収容した島があった。
日本と同様、ハンセン病患者を隔離した施設の存在を明らかにし、人間の尊厳について語り掛けている。チカラ力のある作品だ。
ルポルタージュ、ドキュメンタリー両部門で、若手女性ディレクターの活躍が、今年は特に目立った。


音楽・ダンス部門

アントニオ・ガデス

 オープニング上映は「ラ・パッション・ボレロ」で、ラヴェルの名作を、数々の音とバレエの実写フィルムにより紡ぐ、楽しい作品。クルト・マジュールの指揮振り、ニジンスキーのバレエの珍しい映像など、ボレロの楽しさが見る者に迫る。
又、フラメンコ・バレエのアントニオ・ガデスの一生をドキュメントで構成した「アントニオ・ガデス−ダンスの論理」も見ものであった。スペインの偉大な踊り手の生い立ちから栄光の頂点までの足跡を描くもので、きっちりと構成された、ファン必見の作品だ。




映像新聞 2008年3月3日掲載
(文中敬称略)
《続く》
           

中川洋吉・映画評論家